ダンの子育て日記 その26(2)「古いスタイルを変えよう」

【父親ありきの権利の主張】

私事ですが、連れ去りから3年5か月後、離婚調停「和解」に於いて子どもと会う頻度を共同親権・共同養育に近いかたちの和解となりました。(いくつかの規制はあります。医療・学校関係など)

調停が始まった頃(連れ去り直後)、相手方(母親)から※「転校して精神的に落ち着いていないので落ち着くまで会わせることはできません」と言われました。調停委員の働きかけにより翌月より月一回の面会交流がスタートしました。

その理由として:私が子どもと同居時に子どもとの多くの時間を費やしてきた事(権利)と子どもが育つのに当たって父親ありき(福祉)を主張し調停委員が認めてくれ相手方(母親)を説得して頂けたおかげです。

権利の主張とは:同居時、私と子どもが一緒にいた時間を離れていても同じ時間だけ合わせてもらいたいと主張した。また、一緒にいた時間分を権利として認めてもらいたかった。

福祉の主張とは:別居前から子どもの物(服・靴・バック・自転車・学用品・習い事に必要な物など)は成長に合わせた物を一緒に買いに行く。病院も子どもと一緒に矢来クリニック(風邪・溶連菌)・東京女子医大(緊急時)にと通院。歯科医(西條)・眼科医(小野)は父親の知り合いのドクターにお願いし保育園時代から通院させていました。保育園・小学校関係・習い事に関しても積極的に子どもと相談して進めていた。 :レポート24

※「転校して精神的に落ち着いていないので落ち着くまで会わせることはできません」この発言は調停委員から私(父親)に「何より私達は驚きました。こんなに資料を多く提出できるお父さんは今まで見たことがありません。」「座る席が逆なら分かります」と母親の一方的で傲慢な態度に「非人道的行為」と母親を叱咤した事を話してくれました。(父子に対しての愛情と思いやりのなさを見抜かれたと思いました。):レポート6

突然子どもが亡くなったならばまだ受け入ることもできるかもしれません。すぐそこに生きていても連れ去られたら毎週末休みに遊びに行っていた子どもに会いたくても会えない理不尽で残酷、到底受け入れることはできません。

これらのことから私は学んだことを書きます。

今までのような古い体質(スタイル)から変わらなければならないと思います。

父親・母親・司法(裁判所)もです。

古い考え方(スタイル)とは

父親が働き、母親は家で専業主婦。父親は休みの日も接待ゴルフに夜は接待会食にマージャンと、家庭(掃除、洗濯、育児など)の事は母親に任せていました。離婚に際し、こと親権にあたっては子どもの世話は母親ばかりが行っていたと誰もが認めてしまう。社会的な偏見もプラスされ母親がかわいそうだと。

子育=父親では無理の烙印が押されます。また、一家を支えてきた父親なのにも関わらず不利な立場です。

新しい考え方(スタイル)とは

共働きが増えたことにより、仕事や家事への理解が深まる。

最近、日曜日の公園では父親と子どもの遊んでいる光景をよく目にします。

社会の方向も父親に育休を推進する企業が増えてきました。

父親も母親同様に家事育児を共同(協力制)で行っている家庭は多くなっていると思います。

子どもをどちらが連れ去っても父親・母親が同じ頻度(連れ去られる前)で子どもを養育していたのであれば、共同親権・共同養育を要求(主張)する権利は共にあると思います。 (同居時と同じ頻度で会う)

このような新しいスタイルに社会全体が変わっていくのであれば、弁護士も司法(裁判所)も変わらにといけない時期にあるのではないかと思います。

諸外国の中には、協議離婚をなくし全てを裁判のみとし財産・親権を真剣に話し合い結論を出さないと次のステップには行けない。その様なスタイルも考えて(視野に入れて)も良いのかもしれない。

連れ去ったり、連れ去られたり、私の子どもも連れ去らわれました。そのことにより恨み・辛み・憎しみその他の感情が蠢(うごめく)きます。連れ去りは無いのが一番です。 DV・ネグレクトで悩んでいるご家族もいらっしゃると思います。ですが一番に考えないといけないのは子どもの事。子どもの利益・父母からの愛情を感じられる法案になる事を望みます。

3年前