https://news.yahoo.co.jp/articles/a1a9ed4213efe24124f6a404adbd1fc0187985c5?page=1
8/9(月) 11:00配信
AERA dot.
「子どもを養育してきたのは私」と主張する妻。審判の結果、子どもの監護権は妻が持つことになった。画像はイメージです。(画像/PIXTA)
離婚・別居の際、一方の親が相手に無断で子どもを連れて家を出てしまう「子どもの連れ去り」問題。もちろんDVや虐待など子どもに被害が及ぶ場合は別だが、夫婦の同意なく子どもを連れ去ることは海外では違法とされることも多い。一方で、夫婦の葛藤によって生じる問題から「避難」するためには、子連れ別居するのも仕方ないとの意見もある。
【写真】「妻に子を連れて行かれた」と語るノンフィクション作家はこちら
【前編 なぜ夫は妻に無断で子どもを「連れ去った」のか 連れ去り当事者が語る夫婦の内情】に続いて、連れ去った側の夫、連れ去られた側の妻、それぞれの言い分を掲載する。
* * *
LINEでのやりとりを見て以来、妻は、健吾さんをあからさまに無視するようになった。健吾さんが洗濯をしていると「私の服に触らないで!」と言ったりした。刺々しい雰囲気は子どもにも伝わる。子どもがそっと健吾さんのそばにやってきて、耳元で「パパ、大丈夫?」とささやいたときには、夫婦げんかに子どもを巻き込んでしまっていることに胸が痛んだ。
その後も妻の離婚願望は変わらず、それを受け入れない健吾さんに対する怒りは増幅していくようだった。イライラが高じてか、些細なことで子どもをしかりつけるようになった。
「僕が仕事帰りに子どもを学童に迎えに行き、買い物をして帰って夕食を作りながら子どもの宿題を見ていると、妻が帰ってきて一緒に夕ごはんを食べるというのが、当時の生活サイクルだったんです。その日はたまたま妻が夜勤明けで、子どもの宿題タイムに家にいた。それなのに子どもが、僕に宿題のサインをして、って言ったのが気に入らなかったみたい。『なんでママに言わないの』『ママのこと嫌いなの』って、1時間以上問い詰めて。子どもは何にも悪いことしているつもりはないのに、怒られたので泣きだして、見かねた僕が間に入ろうとしたら、すごいけんまくで怒鳴ってきて……」
ある夜、夜中の3時ごろ仕事から帰ってきた妻が、健吾さんと子どもが寝ている寝室のドアをいきなりバン! と開けて、怒鳴り込んできた。
「『あの金、どこにやった!』って。お金のことで、妻が気に入らないことがあったんです。子どもがびっくりして起きて泣きだしたので、僕は慌てて『下で話そう』と言って、リビングで妻と話をしました」
妻の形相が、子どもにはよほど恐ろしかったらしい。それからしばらくの間、子どもは夜、寝るときに「今日はママ、怒ってドア、バンって開けない?」と怖がる様子をみせた。
そんなある日、友だちから電話がかかってきた。「おまえの奥さん、見たよ」。どこで? と聞けば、妻の実家の近くのアパートの前だった。
「そんな場所に知り合いはいないはず……」
同じ日に、別の友だちから続報があった。
「奥さん、ニトリでたくさん買い物してたよ。引っ越すの?」
ここで、健吾さんはピンときた。
「そういえば、その数日前、いままで行ったこともない子どもの学校の面談に『今回は私が行くから』って。授業参観すら行かない人なのに珍しいなと思ったことを思い出しました。急いで学校に電話をして『もしかして、妻は子どもの転校の手続きをしましたか』と聞いてみたら、『まだですよ』と」
妻は、子どもを連れて出ていくつもりなのだ。それで健吾さんは、子どもの連れ去りを決意した。夫婦の葛藤が高まるなか、常にイライラし、子どもに当たり散らす妻から子どもを守るためには、いったん離れる必要があると思った。
子どもには、あらかじめ気持ちを確認した。
「夕方、学童の迎えに行った帰り道、子どもと散歩しながら『このままだと、ママが蓮くん(仮名)を連れてお引っ越ししちゃうと思う。それでもいい?』と聞きました。子どもは『いやだ、パパといたい』と言いました。それで続けて『それなら、パパが蓮くんを連れて、いったんおばあちゃんちに引っ越しするけど。そうしたら、今の家に帰れなくなるし、学校は転校しなきゃいけないし、お友だちとも会えなくなっちゃうし、ママともしばらく会えなくなるかもしれないけどいい?』と聞きました。そうしたら『いい』と」
健吾さんは、実家の両親と兄の協力を得て、翌日、妻が仕事に出かけたとたん作業を開始。自分と子どもの荷物をまとめて車に積み込み、実家に引っ越した。
妻から電話がかかってくるだろうとわかっていたので、スマホの電源は切っておいた。実家に電話がかかってきたが、「居場所は知らない」と言ってもらった。妻が実家にやってくることを恐れ、健吾さんと子どもはその日は実家ではなく、兄の家に泊まっていた。
健吾さんいわく、「自分が先に連れ去られなければ、妻に子どもを連れ去られていたと思います。僕は連れ去りはしたけれど、2週間後には面会交流に応じました。もし妻が連れ去っていたら、なかなか会わせてもらえなかったでしょう」
一方の妻・夏希さんの主張はこうだ(審判の陳述書などから、主張を抜粋、再構成した)。
夫への不満が募り、夏希さんは離婚を考え始めた。「別れたい」と夫に告げたが、夫はいやがった。とはいえ、態度も改めなかった。夫婦仲はどんどん悪くなり、夏希さんは家でも気がふさいでいることが増えた。夫が子どもと遊びに行こうと誘っても、とてもそんなに気にはなれなかった。
夏希さんは、ついに「離婚」を決意した。そして、子どもを連れて引っ越せるようにアパートを借りて準備を進めた。
子どもを連れ去られたのは、その直後のことだった。
連れ去られた翌日、子どもが通っている小学校に電話をしてみた。校長は「先週、お父さんが転校の手続きをしてほしいと言ってきました。お母さんと話し合ってくださいと言ったら、今朝『妻と話がまとまったので転校に必要な書類がほしい』と言うので渡しました」と、転校の経緯を説明した。
夏希さんは、すぐに弁護士を立て、夫に「まずは子どもに会わせてほしい」と言った。しかし、夫は「(妻が)精神的に不安定だから」という理由で面会を認めなかった。
そこで、夏希さんは、家庭裁判所に監護者指定と子の引き渡しの申し立てをした。そして、審判の手続きに時間がかかることを予想し、一日も早く子どもを引き渡してもらうために、審判前の保全処分も同時に申し立てた。子どもとは、2週間ほどで一回目の面会ができた。
子の引き渡しや監護をめぐる審判で、夫・健吾さんは、妻・夏希さんがいかに子どもをネグレクトし、精神的虐待をしてきたかについて述べ、「だから監護者としてふさわしくない」としている。これについて、夏希さんは真っ向から否定する。
「子どもをおもに養育してきたのは、夫ではなく私です。育児日記をつけながら、家事・育児を行ってきました。体調を崩しやすい乳幼児期には、私が子どもを小児科に受診させ、自宅で世話をしました。保育園の先生方とも連携をとり、毎日、送迎の際に情報交換を行ってきました。最近では、コロナウイルスに感染しないように、マスクを手作りしたりもしました」(陳述書より)
夏希さんから見ると、夫のほうこそ監護者にふさわしくないのである。
「夫はもともとバイクが趣味で、私が別れたいと言い出す前は、私や子どもを置いて一人で旅行に出かけてしまうこともたくさんありました。そんなとき私は、実家や友だちと過ごしながら、子どもの世話をしてきたのです。夫は、確かに子どもとの外遊びには積極的でしたが、それ以外の細やかな子どもの世話はずっと私がしてきたんです」(同)
それで、審判の書類には、これまでの子育てについてていねいに書いた。そして、もし夫と離婚しても、子どもには父親が必要だから、積極的に面会を進めていくつもりだとも記した。
「夫はまた家族で暮らしたいと思っているようですが、私はそのつもりはありません」(同)
審判の結果、子どもの監護権は夏希さんがもつことになった。
健吾さんは高裁に即時抗告したが、却下された。先に子どもを連れ去って監護の実績を積み上げた側に監護権や親権が認められやすいと言われるが、このケースでは「連れ去り勝ち」は成立しなかった。
判決に従って、健吾さんは子どもを妻に引き渡そうとしたが、子どもがいやがったという。再三、説得するも子どもは泣いて母親のもとに行くことを拒否した。それで、いまも子どもは健吾さんとともに実家にいる。
夏希さんは、子の引き渡しの間接強制を申し立てた。健吾さんは「子どもの気持ちを第一にしたいと考えている」と語った。
今も、決着はついていない。(上條まゆみ)
※プライバシーに配慮して、一部の個人情報を修正しています。