【2004日目】祖母の無念の死

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母(息子の祖母)が逝った。

私が入院中で手術の翌日に高熱を出している時に旅立たれてしまった。

昨年の12月2日、母の誕生日を祝った翌朝、脳卒中で倒れ、その後、コロナ禍の医療体制で会って励ますことが殆どできないまま、孤独を与え人生を終えさせてしまった。

膝や腰が変形し動けなくなるまで、毎日花屋の店頭に立ち続け廉価で花を提供し続けた母だった。

沢山の捨て猫を保護して、猫に囲まれて寝返りも打てずに就寝していた母だった。

既に先立った愛猫たちのお骨を少しづつ袋に詰め、納棺される母に添えた。

猫たちと一緒に安らかに眠って欲しい。

父と結婚する前は、教会幼稚園の教諭をしており、子ども達が大好きだった母。自身の孫が余生の生きがいであった母。連れ去られ突然生き別れにされた孫に会いたい、せめて声が聴きたいという願いは最後まで叶わなかった。

元妻の代理人ら(東京高裁長官賞受賞の東京家裁調停員)は、裁判所への提出書面で

私の実家は、猫が沢山で、ゲロを吐くこともあり、不衛生で子供に有害であると冒涜した。

私の母が、孫に興味を持とうともせず、殆ど会おうともしなかったと事実を捏造した。

母を監護補助者にはしていなかったので、そのような冒涜を受ける理由もなかった。日本の裁判官らが連れ去られ親側への誹謗中傷が大好きであることに忖度したかのような破綻請負弁護士たちの書面提出に苦しめられ続けた。

*連れ去られる前の離婚理由は無いことは立証されている。拉致断絶に泣き寝入りしない有責性を科され離婚が成立し、単独親権の規定により親権剥奪された案件である。

元妻側弁護士たちは、僅か数回、裁判所の天下り人たちの軟禁監視下で短時間、私と息子を会わせた実績を作った。息子を忠誠葛藤で苦しめる虐待にしか感じられないものだった。

息子と祖父母をビデオ通話をさせようとすると天下り人らに利用規約違反だと咎められ叶わなかった。何故、債務名義にない制約を強要するのか尋ねると「貴方がそのような制約がある私たちと契約したからだ」といい不満があるなら契約は破棄すると伝えられ、私と息子も生き別れになった。債務名義に、裁判所調査官の天下り先を使うことなど指定されていないが、裁判所との癒着を強めたい離婚弁護士は他では会わせないし、債務履行勧告の手続きをしようとも自分たちの天下り先を強固にしたい家裁調査官らは全く問題にしない。

母が脳卒中で倒れてから、コロナ禍の医療体制で全く会えなくとも私は頻繁に病院に通っていた。リハビリ病院のスタッフから「少し動く左手で、いつもパンダのぬいぐるみを抱きしめ、少しでも見失うとすぐに探しています」と聞かされた。

パンダのぬいぐるみは、孫と一緒に上野動物園に行ったときに買ったものだ。

「次は、ディズニーランドに一緒に行く!」と母は孫とのお出かけを楽しみにしていた。

日本が救いようのない拉致国家だとは知らず、生き別れを強いられる余生になることも知らず、希望に満ちていた。

そのわずか1,2週間後に生き別れにされた。

母は、孫と出かけたい気持ちに後押され、要介護2から要介護1に戻れていた。しかし、孫を連れ去られ生き別れを強いられ生きがいを奪われてからは、「お孫さん、どう?可愛いでしょ?」等の話をされるのが辛くて引きこもりがちになり、再び要介護2になり、要介護3、要介護4と崩れ落ちていった。

そして、脳卒中後のコロナ禍の面会謝絶で、動作だけでなく意識を保つ気力を奪われ、最期には呼吸をすることすら諦め人生を終えた。

あまりにもむごい。むごすぎる。

来世でもう一度、母と親子になりたい。余生を無念と孤独で終わらせないように、どうかもう一度やり直しをさせて欲しい。

2021.07.29 10:28

3年前