ダンの子育て日記 その21「過保護の現実」

第11回面会交流報告書

実施日時: 201x年9月x日

(子どもが親と会う権利/気持ち)

x月xx日は子どもの誕生日でした。前回の面会の時に欲しいものを聞きましたが、ちゃんと答えてくれなかったので、子どもに会って直ぐに「今、はまっているものはあるの?」と聞いてみると「レゴ」と答えました。「それじゃあ、レゴワールドへ行こう」そう言ってお台場に向かいました。

レゴワールドに着くまでは、なぜか遠慮がちにしていましたが、中に入ると表情なども変わって気になるものを手にしていました。「何か気になるものはあったか?」と聞くとレゴの説明をしてくれて、欲しいものを1つ選びました。本当にそれで良いのか確認をすると、「これが欲しい」と言ったので選んだものを購入しました。

レゴワールドを出て食事に行く事にしましたが、子どもが選んだものは、いつもと同じで蕎麦でした。お蕎麦屋さんに入って、蕎麦以外のメニューを勧めるが、結局蕎麦を選びました。蕎麦だけではと思い、私の食べていた親子丼を少しあげましたが、それも食べませんでした。蕎麦がそこまで好きなのか、偏食になってしまっているのか、本人に聞いても答えが出ないのがもどかしい。一緒に暮らしていた時は、バランスよく何でも食べていたので、このまま偏った食生活を続けて成長期を過ごす事への不安が益々大きくなってきました。

食後、ジョイポリスで遊びました。前回来た時よりも人手が多く、沢山のアトラクションで遊ぶことは出来ませんでしたが、3-Dイルカの画面の前に立ちダンスをするアトラクションをしました。ダンスの前に行くには慎重なのかなかなか入れない、「パパが先にやろうか?」と言うと後ろに隠れながら一緒に踊る。良く一緒に遊ぶ親子のお父さんに、「xxさんは過保護だな~。」と言われましたが今は離れているし、幼いので多少過保護になってしまうのも仕方がないと思っています。曲が徐々にアップテンポになり、子どももだんだんノッてくる。その内に知らない女の子が入ってきたので、あとは、その子と子どもに任せて私はその様子を見ていました。

あっと言う間に帰宅の時間になり、「もう時間だ。帰らないと。」と言うとまた寂しそうな顔になりました。子どもの寂しそうな顔を見るのは辛いけど、必ずその時間が来てしまうのは仕方がない事なので、出来るだけこの状況が早く改善出来る様に、しっかり努力をしていこうとこの表情を見るたびにそう思います。

 子どもは何かのタイミングで一気に甘えて来たかと思うと、寂しそうな表情をしている事があります。子どもの中で葛藤があるのかもしれません。何も気にしないで甘えさせてあげたい。もっと一緒にいて寂しい思いをさせなで済むように頑張らなくていけないと思いました。


当時の感想

201x年7月子の監護に関する陳述書に関して:相手方(母親)からの陳述書が提出され驚愕でした。

弁護士から「相手方の陳述書を先に読ませてもらいました。定石通りの陳述書が提出されています。こちらからは同居時の事をまとめて反論文として提出します。」と伝えられました。

「家にお金を入れない」「欲しい物も買えなく我慢していた」「父親は子育てに興味がない、子育てを手伝ってくれなかった」「子育ては全て母親で父親は遊び惚けていた」などと記してあり、反論として裁判所に提出していた子育てに関する年表・時系列(お出かけ記録・写真)に付け加え母親の給与支払い明細・源泉徴収票・父親の通帳から引落しの生活費・公共料金に関する支払明細一覧・マンション賃貸契約時の覚書(顧問の会計事務所メモ)・家族でお出かけの際に父親が支払った明細書・子どもの習い事・保育園・小学校関係の支払明細書(ダンス教室,サッカークラブ,公文,英会話スクール,保育園料金,小学校支払い費用及び給食費,学童料金)など父親支払いを全て提出しました。

母親側からの反論はありませんでした。(レポート3.16)

母親から裁判所に提出した物証となるものは、連れ去り時に持っていった母子手帳・保育園・小学校の連絡帳のみ。休日子供と一緒に出かけた写真、お出かけに関するものの提出はありませんでした。

私事ですが、母親の行為に対して精神的落ち込み円形脱毛症となり通院することとなりました。

母親が子どもを連れ去ったと聞きつけた近所の方から「マスター(父親)は朝早くから市場に行き仕入れて夜遅くまで飲食店を経営しているのに、奥さん(母親)はほぼ毎日喫茶店でお茶と喫煙してからの出勤。休みもマスターはお子さんとお出かけしているのに」「お子さんが心配でかわいそう、嘆願書書きますよ」と言って頂きました。

他にも、「母親のことはすぐに忘れてしまう」と言われショックでしたと記してありました。私はその様な話はしていません。何故なら、私の両親は小学校の時に離婚し母親に養育されました。その際、感情的に家族写真から父親だけを切り取った覚えがあります。数か月後に父親・妹・私の3人で出かけた大阪万博をきっかけに時々合って遊びに連れて行ってくれるようになりました。離婚時は悲しかったこともあり一時期感情的になっていたかもしれませんが父親との幼少の頃からの思い出は今でも覚えています。これは私を引き取ってくれた母親側の人が誰一人父親の悪口を言わなかった事もあると思います。(レポート7)

私は決して「母親のことはすぐに忘れてしまう」などとは言わない。思いやりのない自分勝手な言葉にしか聞こえなかった。

その他にも、「父親は入学式前日は家に帰って来なかった」と記してありました。

事実は、小学校入学式の朝:子どもが「パパ起きて、学校行くよ」「パパ早く、パパ早く」とお起こしに来ました。子どもは入学式の服を着て出かけるところ、母親は家の外でした。大急ぎで支度をし2人を追っかけて小学校に向い、正門(入学式看板)の前で3人で記念写真を撮りました。無事に入学式を終え、お祝いに椿山荘で食事をし庭園を回ってゆっくり過ごしました。(経営していた店は休みにしました。) (レポート7)

もし、朝起きれなく入学式に間に合わなかったら母親の思い通り(提出文通り)父親のいない入学式になっていたでしょう。何故、母親は子どものことを一番に考えてやれないのか。子どもが起こしてくれたおかげで入学式に出席することができ子どもも私も救われました。

別件ですが、第1回面会交流時に子供から「パパには悪いお友達がいて、僕のことを誘拐しようとしている。学校の名前は絶対に言ってはいけない」「パパは悪い人なんだよとママとママのお姉ちゃんが言っていた。」と話してくれました(3度も)。その言葉に耳を疑いました。

第1回面会交流時に子供から話してくれた事を面会交流報告書にて裁判所に提出しても相手方(母親)に内容の確認はしていただけなかった。どうして?何をしてもいいのか?子どもの為の調停ではないのか疑問は尽きませんでした。(レポート11.15)

母親側から提出された陳述書の文面通り、父親は「子育てをしない」・「お金を入れない」・「悪い人だ」と事あるごとに聞かせられていたとしたら子どもは父親の事をどの様に思うでしょうか。幼い子どもましてや連れ去られて精神的に不安定で落ち込んでいる時にすぐ近くの人達からこの様な事を聞かされている、かわいそうでならなかった。

最後に、母親提出書類より「母親のことはすぐに忘れてしまう」の裏を返せば、連れ去った側(母親)は父親に会わさなければ子どもの記憶から父親を忘れてしまう(無くしてしまう)、忘れてもらいたい(なくしてもらいたい)と思っての発言(発想)とするならば、実に子どものこと(親と会う権利/気持ち)を無視した身勝手で残忍な行為としか思えない。

家族の支払い費用に関しては、私自身が通帳の保管・管理をしていましたが、一般的に家族共有の通帳ならば連れ去り時に相手方に持っていかれたら父親支払いに関しては証明が困難なことも。母親が「父親は遊び惚けて家にお金を入れず子育ては全て母親で、欲しい物も買えなく我慢していた」の言葉を裁判所は鵜吞みにすることになってしまうでしょう。

「事実は小説よりも奇なり」

財産分与開示請求により、7年満たない婚姻中に母親の預金残高は5百万円近く増額していた事を知り驚きました。

今の日本は連れ去りは常套手段(じょうとうしゅだん)=セオリーとなっています。この様な行動を抑制する、させないようにする為にも司法の取り組みが必要だと思います。

私の子どもの様な事(親と会う権利/気持ちを剥奪する)が起こらないようにするには、一方的な連れ去りがあるから起こる要因。連れ去りをなくし共に子どもを育てられる環境、共同親権・共同養育の法整備を望みます。

3年前