養育費や面会交流は親権と関係ない?
「『離婚後共同親権』の拙速導入ではなく、『親権』そのものを見直す民法改正を」と題する日本共産党の見解(以下「見解」)によれば、共同親権の導入に、面会交流や養育費の支払いを促進するためとの声があるものの「これらはそもそも『親権』制度とは関係ありません」とある。本当だろうか。
日本の養育費支払い率が2割程度で全然上がらないのはかねてから問題になってきた。面会交流についても同様だ。法務省が実施した24か国の親権制度についての調査においては、日本とトルコとインド以外は何らかの形で共同親権が法的に可能で、もちろん、先進国の中で唯一未婚時に単独親権「しかダメ」なのは、日本だけ。そして日本の養育費支払い率が諸外国に比べて極端に低い。であれば、親権制度と関係あると考えないほうが無理がある。共産党の主張は何か根拠があるのか。
会えないと払えない(払わない)
日本で裁判所で親権指定されれば、93%の割合で男性が親権を失う。親権のない父親は、「親権がないのに『会いたがる』」と、社会からはさもとんでもない親だと見られやすく、実際会えないと「何かやったからだ」と言われる。
赤旗紙で「海外に見る離婚後の養育」というシリーズ記事を書いた手島陽子記者と電話で話したが、ぼくが子どもに会えない状態だというと「宗像さんのお話を聞いていないから」「母親の子育てはたいへんですが、宗像さんは何をしたんですか」というのを何回か聞かれた。この運動を10年以上続けているので、「どうせ会えなくなるようなことしたんでしょう」「子育ての経験もないのに会いたがるなんて」という言外の意味をくみ取ることは可能だ。しかし「養育費を受け取れないのは何かしたからでしょう」「働いた経験ないのに何で仕事をしたがるの」と女性が言われたらどんな思いがするだろう。ジェンダー平等がどんな意味か少しは考えてもよさそうだ。
彼女は、面会交流で育児経験のない父親もいるから支援を充実させないとと言っていた。支援はないよりあったほうがいいけど、仕事の経験のない女性が、職業訓練を受けないと仕事につけないわけでもない。権利としての子育てが確立していないのは、単独親権制度によって性役割をまたいだ行為をする者への偏見があるからだ。
赤旗紙の記事は、この偏見を利用して記事を構成している。いちいち反論をしてきたものの、何度もこういう記事が繰り返される。そろそろ「単独親権制度があるせいで男が養育費を支払いたがらない」という現実を日本共産党も受け入れたほうがいいのではないか。
ちなみに「父子の交流と養育費」(https://link.springer.com/article/10.1353/dem.2007.0008)という研究では、「養育費の支払い」と「父子の交流頻度」の前後関係を調べて、「交流が養育費に与える影響の方が、養育費が交流に与える影響より強い」とある。交流が原因で支払いが結果ということだけれど、親子関係を切られるので、お金を払わなくなる、ということだ。
田島さんには、ぼくは本を出しているので読んでみたらどうですか、と一応言った。
別居親(男)を差別して搾取する
日本共産党の主張は、別居親には権利は与えたくない、しかし金は出せということに尽きる。奴隷のように差別を肯定しなければ、通常こういう主張は通らない。通用するためには、婚姻外のみの性役割を肯定して、「それが本来の姿」と強調することだ。
戦前の女性には選挙権がなかった。投票できないけど女性としての役割は果たせ、という不満は共産党の課題ではなかったのだろう。権利はやらないけど義務は果たせは、別居親を二級市民として差別し搾取しているにほかならない。そして司法をくぐれば93%の割合で女性が親権を得る。
母子家庭も「欠損家族」として差別されてきた。その不満は核家族の会社社会を支えるために、児童扶養手当の拡充で抑え込まれてきた。男性の側は「引き離せば金もとれなくなるだろう」という程度の感覚でここでも口封じが図られている。シングルマザーの子どもは別居親の子どもでもある。男性を搾取しても、単独親権制度が生む貧困は解決しない。別居親を貧困問題の当事者としてとらえられなかったからだ。(つづく。宗像 充 2021.6.30)
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