ダンの子育て日記 その18「パパ時間は大丈夫?」

第8回面会交流報告書

実施日時: 201x年6月x日(日) 9:00-17:00

事前に面会交流日にどこへ行きたいか、いくつか具体的な提案をし母親側弁護士に送りました。当日、子どもが選んだのはプールでした。

xxxxセンターに向かいました。車内で先月行われた運動会の話をしてくれました。「どこにいるかわからなかった、途中で見つけた」と寂しそうに、その後リレーや徒競走、大玉転がしなどの競技を楽しそうに話してくれました。私の携帯に入っていた(同居時)、小学校1年生の時の運動会の写真をみながら、お友達を叩いてしまった時の話、リレーでの情けない写真、50メートル走を完走した時の話など、懐かしい話を楽しくすることが出来ました。

プールに到着、まずはマクドナルドでブランチ。この時は学校の話をしてくれて、担任の先生が男性で、友達も少し出来たと。学校行事に参加をすることが出来ないので、本人の口から学校の話を聞けるのは本当に嬉しい事です。

ただ、母親が仕事を始めてから通い出した学童については17時半まで居る事以外はあまり話したがらないので、気掛かりでしたがそれ以上は聞きませんでした。

そして、宝くじの話もしてくれました。「宝くじが当たったら大きな家に引っ越しをする。」と話してくれたので、「今はどんなお家に住んでいるの?」と聞くと言葉に詰まっていました。「大きな家に引っ越したいの?」と聞くと「うん」と答えたので、家の事を聞くのはそこで止めました。「布団は畳んでいるのか?」「靴は揃えているのか?」の質問には言葉を濁していましたが「ラムネはラップをして冷蔵庫にいれたよ。でもテーブルの上にはお菓子がいっぱいあるよ」と言ったので、お菓子ばかりではなく、ご飯もちゃんと食べているのか確認をすると「昨日は野菜の入ったラーメン。今日はチャーハンだよ。」と教えてくれました。

その直後、子供から急に話を振ってきました。田舎で一緒に乗ったラフティングの話になりました。あまりに楽しそうに話をしていたので聞いていました。田舎の話し=祖母の話し、祖母の死を子どもに伝えておらず、子どもは祖母の事が大好きで、「今度一緒にボートに乗る。」と話していたのを思い出して、居た堪れなくなり話を変えてしまいました。こんなに楽しそうに田舎での思い出を話す子どもに、祖母の死をどんな風に伝えたら良いのか、長い間知らせてあげることが出来なかった事を含めてちゃんと説明してあげたい。

食後、体験コーナーに参加をしプールへ行きました。いつもなら1時間で出るところを、今回は「もっといる」といって2時間ほどプールにいました。同居時同様、私が浦島太郎のカメになったり、戦隊ものの悪役になって子どもに投げ飛ばされたりして、いつも以上にスキンシップが取れたと思います。途中、4歳の男の子と友達になり、私が2人の水泳のコーチになって泳ぎ方を教えたりして子供同士でも楽しそうに遊んでいましたが、今回はじゃれ合う頻度が半端ではなかった気がします。

プールを出て、xxxに移動し、xxxxへ行って洋服を買いました。以前に比べると地味目な色を選ぶようになっていて、ダーク系のズボンを2着購入しました。

店を出て、エレベータ横から下をみるとボートのアトラクションがありました。また、田舎で乗ったラフティングの話になり、自分たちのボートよりも多く乗っていた他のお客さんの話になったので、ボートに乗ってる人数によって、ボートの回転数が違う事を教えました。子どもが「またいきたい」と、機会があれば連れて行きたいと思いました。

遅めの昼食で寿司屋に入りました。子どもが「ここに来るのは初めてだよ」と言ったので、私も初めて来たことを伝えました。私が「おまかせ盛りをください。」と注文すると、「おまかせってなに?」と聞いてきたので、「おまかせ」で注文をすると、お店の人がそのお店で一番のお勧めで、いいものを出してくれると説明すると「へ~」と感心していました。たわいもない会話ですが、疑問に思った事をそのままにしないで、投げかけて来てくれる積極的な子になったのかなと嬉しく感じました。

食後、アトラクションに行こうとした時に、「パパ時間は大丈夫?」と聞いてきたので大丈夫だと答えました。1つのアトラクションが終わり、「もう1つアトラクションをやりたい。パパ時間は大丈夫?」と、また時間を気にしていたので、誰かに時間の事を言われたのか聞いてみると「学校で・・・。」と答えました。その答えに疑問をもちつつも、2つ目のアトラクションを終えて、車に戻ろうとすると、お土産が欲しいと言うので、戦隊もののおもちゃを買いました。

車に乗り込みしばらくすると、私の妹から電話があり子どもに電話を変わりました。横にいる子どもの声が徐々に小さくなり、涙ぐんでいるのがわかりました。私に変って、どんな話をしたのか聞くと、「また田舎に遊びにおいでね。」と「誕生日に何が欲しい?」という普通の会話でした。

今日は会ってから徐々にテンションが下がっていった事、叔母との何でもない会話で泣いてしまった事、田舎でのラフティングの話を何度もするなど、今日の様子をみていると、少し情緒不安定になっている気がしました。

離れて居ても出来る事があるなら、何でもしてあげたい。子どものあんな姿を見るのは本当に切ないです。

当時の感想

調停委員の方のおかげで月に一度面会交流を許されていました。会えることで気になることもあります。

しかし、全く会えないと子どもはもっと精神的に不安定になるのではないかという懸念をぬぐい切れません。

毎週遊びに行ったり旅行に行っていた父親と一緒にいられない。子どもにとってどれほど辛い残酷なことか。

調停委員から相手方(母親側)に対して「非人道的行為」と咤した言葉のおかげで今日も会えました。

調停委員の方には感謝しています。(レポート6)

余談となりますが、2021/5月-国連子ども権利委員長に日本人の大谷美紀子氏が就任しました。子どもの親に会う権利を守るためにも頑張ってもらいたいです。そして、連れ去りがなくなり子どもが自由に行き来できる環境と両親が子どもを共に育てられる共同親権・共同養育が叶うことを期待したいと思います。

3年前