同姓の強制が男女不平等と上野さんは教えますが、共同親権は「男には無理」というところが、インチキなところです。
事実婚で、親権がないから子どもに会えなくなった父親なんて、たくさんいますよ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/69736250d0a8a5b2907b6f51e2658b0c0e8a6458?page=1
5/20(木) 17:12配信
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文春オンライン
牧野紗弥さん
『VERY』モデルの牧野紗弥さんは結婚12年目となる今年、夫婦別姓に向けてペーパー離婚をし、事実婚で新しい家族のかたちをスタートさせるという。3人の子どもを持つ母でもある牧野さんに、決断の背景を聞いた。(全2回の1回目/ #2 を読む)
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苦しかったのは夫婦関係が平等じゃなかったから
――結婚12年目の今年、法律婚から事実婚へシフトしようと思ったきっかけはなんですか。
牧野紗弥さん(以降、牧野) 共働き夫婦ですが、2年前まで私が3人の育児・家事をほとんど抱え込んでいました。いっぱいいっぱいだったその時、女性学者の上野千鶴子さんのインタビュー記事を読み、「私が苦しかったのは夫婦関係が平等じゃなかったからだ!」と気づいたことが大きいです。
――「平等ではない夫婦関係」とは具体的にどのような状態でしょうか。
牧野 3人目が生まれて小学校、幼稚園、保育園と、全員を違う場所に送り届けることになってから、夫とケンカが絶えなくなりました。私一人では家事・育児を回しきれなくなっていたんです。
長女の習い事が終わるのは19時。その娘をピックアップして、夕飯の買い物をしてご飯を食べはじめるのが20時。でも下の子なんて小さいから寝ちゃってて、「起きて~」とかやりながらなんとか食べ終えて。そこから小学生のランドセルを開くと、明日学校に持っていかなきゃいけない三角巾やら消しゴムやらが判明する。「今Amazonで頼んでも間に合わない!」と、コンビニまで走って買いに行って……。
そんなことを毎日やっていたら、キャパオーバー過ぎて涙が出てくるようになりました。どんどん笑えなくなって、頭の中は常にパンク状態。それでも当時の私は「家事・育児は女の仕事」と思っていたので、どうしていいかわからなかったんです。
11年前、子どもが「夫の家の孫」扱いされたことにモヤモヤ
――その時、牧野さんの夫は?
牧野 彼の平日の役割は、朝に子どもを保育園、幼稚園へ送っていくことの一点。どれだけ前の晩遅くなっても9年間必ずやってくれているのですごくありがたい。でも当時ママ友から「さやちゃんの旦那さん、すごいよ。めちゃくちゃ協力してくれて」と言われると、育児家事の多くを私が負担しているのになぁとモヤモヤ。
そもそも11年前に長女が生まれた時、子どもが「夫の家の孫」扱いされることに違和感を感じていたんです。結婚して夫の姓になると、私と夫の子どもでも「夫の家の子」になってしまうのかと、割り切れない思いでした。
母からも「あなたは嫁に行った人間なんだから」と言われたように、自分が生まれ育った姓を捨てて相手の名字を名乗るということは、相手に所有されることなのかもしれない、と感じました。夫自身もそういう風に考えているフシがあったので、「私はあなたの便利屋じゃない」と言ったこともあったんです。
1週間全部、家事・育児をやってもらって変化が起きた
――そこからどうやって夫婦間の不平等を改善していったのでしょうか。
牧野 「俺だって家のことはやってる」「私だって」という平行線の言い合いが続いていた2年前、夫がポロッとこぼしたんです。「言われたことはやれるけど、言われてもいない“やってほしいこと”を想像するのは無理だよ」と。そこで1週間全部、家事・育児を夫にやってもらうことにしました。そこからは話が早かったですね。
――1週間を経て夫婦はどう変わりましたか。
牧野 夫から「はじめて全体を俯瞰して見られて流れを掴むことができたから、あと1週間延長させてほしい」と言ってきたんです。合計2週間すべてをやってもらった後は、夫の家事・育児に対するコミットメントが格段にアップしました。
私自身、彼に家事・育児の全貌を見せていなかったことにも気がつきました。ある一部分だけを“お手伝い”させていた自分のやり方にも問題があったんです。「家事・育児=女の仕事」という無意識のバイアスによって、なんでも一人で背負い込んでいました。
それからは私も割り切って、まるごと夫にお願いをしています。たとえば息子のサッカーチームのことであれば、LINEグループに夫を招待して私は抜けるというような感じで、今では夫婦間で家事・育児の共有と分担を進めていくことができています。
夫婦別姓の話し合いは去年から
――家事・育児の平等負担が、夫婦間のジェンダー平等につながっていったんですね。夫婦別姓の提案は牧野さんからですか。
牧野 そうです。夫とジェンダー平等の意識を共有できたと感じた去年の秋から話し合いをはじめました。もともと名古屋の実家が牧野家の本家だったので、祖母はずっと「牧野姓を残してほしい」と言っていたんです。
実は25歳で結婚となった時、夫の両親に「結婚を考えていますが、名字は変えたくありません」と、事実婚を希望している旨を話していました。でも義父母は「何を言ってるの?」という感じで、味方だったはずの夫も黙ってしまい、結局、事実婚は叶いませんでした。
でも当時の夫や義理の両親を責める気はありません。多くの人にとって「女性は結婚したら夫の家に嫁ぐ」のが当たり前だったわけで、今まで考えたことがないだけなんだと思います。それに当時は私自身も知識不足で、度胸も行動力もありませんでした。
子どもたちの意思をどう尊重するか
――今はどういう状況なのでしょうか。
牧野 子どもたちも含めた家族会議を経て、年内に夫婦別姓が成立できるよう、今は弁護士と話し合っているところです。
――夫婦別姓を叶えるために書面上は離婚をし、事実婚というかたちで家族のかたちを継続する、ということですね。
牧野 そうです。ただ今の日本では「共同親権」が認められておらず、父か母のどちらかだけが親権を持つ「単独親権」なので、どうしても父・母どちらかに親権を決めなくてはいけません。そこをどうにか共同親権に近いかたちにできるような書面づくりを弁護士と一緒にやっています。
――たとえば母親が親権を持つことになると、子どもの名字も母の名字になるということですか。
牧野 これがまたややこしいのですが、戸籍と親権は別物のため、戸籍は夫と一緒で父親の名字を名乗っているけど、親権は母親にある、というパターンもあります。ただうちの場合はそこまでぐちゃぐちゃにしたくないので、親権を持つ方の籍に子どもも入る、というかたちにする予定です。
子どもが15歳以上の場合、どちらを親権者にするのかを子ども自身で選ぶことができますが、我が家の場合は一番上でもまだ11歳のため、一旦は夫婦で決めるしかありません。そこで弁護士の先生にもらったアドバイスとしては、子どもが15歳になった段階でもう一度親権について話し合う、という文言を盛り込むこと。そうすれば、子ども自身が自分の意思で選択をすることができます。
子どもに「選択肢がある」ことを提示すること。それも、夫婦別姓に踏み切った大きな理由のひとつです。自分たちらしく生きるとはどういうことなのか、両親である我々がその選択肢を模索しながら掴み取っていく姿を見てほしいと思ったんです。
夫婦別姓に対する、子どもたちの反応
――夫婦別姓に対して、お子さんたちの反応はいかがでしたか。
牧野 子どもたちははじめ離婚に対してネガティブなイメージを持っていました。ただ、結婚・離婚にかかわらずお父さんお母さんが一緒に住んでいない家もあるし、女の人2人で子どもを育てている家庭もある。
子どもたちに、「お父さんお母さんが一人ずつひとつ屋根の下にいないとみんな幸せじゃないのかな?」と尋ねると、「本人たちが幸せならどんなかたちでもいいよね」という答えが返ってきました。そこから、今回の決断はネガティブなものではない、と理解してもらえました。
――牧野さんの夫は、どう受け止めていますか。
牧野 夫婦別姓自体には賛成してくれていますが、親権のことですごく悩んでいます。夫が親権を持てなかった場合、あくまでペーパー上の離婚とはいえ、子どもと暮らす権利が保障されなくなるのではないか、という恐怖と今も戦っています。
「夫婦間の不平等」について悩んでいるのは女性だけではありません。親権のことだけでなく、「男だから稼がなきゃ」といったジェンダーバイアスに夫も苦しめられていた部分もあるでしょう。これからは夫が抱えるモヤモヤも汲み取っていきたいんです。
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写真=深野未季/文藝春秋
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小泉 なつみ