“監視”付き面会の法整備で奪われる「愛される権利」 家族法改正議論に違和感

ああ、その監視機関って、自分でやるって言った約束守らない、特任教授がやってるやつね。民法的に言うと、債務不履行だけど。

https://www.sankeibiz.jp/econome/news/210513/ecc2105131321001-n1.htm

以前、このコラムの中で私は、養育費と面会交流は車の両輪のようなものだと言いました。そういった意味では、養育費の問題と面会交流の問題が同時に議論されるのは歓迎されるべきことだと思います。だからこそ、私はこの法制審議会に強く期待していました。
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 別居・離婚に伴う親子の問題に関して、従来の日本でまかり通ってきた慣習、つまり離婚したら別居親と子供は生き別れになるのが当たり前という考え方を転換し、現代の家族観に合った新しい法制度を構築してくれるものと信じ、応援しようと思っていました。

 ところが先日、こうした私の期待を根底から覆すような話を聞きました。5月5日のこどもの日、埼玉会館(さいたま市)で開催されたトークイベントで、私はにわかには信じがたい情報を耳にしたのです。

 「面会交流を安心・安全に行うために、巨大な監視機関を複数作る。そして、その監視機関を法制度化し、認証機関を設ける。裁判所から出向している法務官僚に依頼され、すでに某大学教授が監視機関の認証基準を作成済みである。この方針ですでに多くの根回しを終えていて、子どもに会えない親の代表として選ばれた法制審議会委員に対しても強い説得があってその委員もやむなく賛成せざるを得ない状況である」
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 これって、本当? と思わず自分の耳を疑ってしまいました。だって、この日のトークイベントにリモートでWEB登壇してくださった弁護士でもある前文科相の柴山昌彦衆院議員もおっしゃっていた通り、「まだ審議は始まったばかりでこれから内容を詰めていく」という段階のはずですから。なのに、すでにそんな話が固まっているなんて。だとしたら法制審議会の議論って何なの? これって出来レースなの? と思わず疑いたくなってしまいます。

 そもそも今回の面会交流の議論に入る前段階から、不安はありました。議論のテーマが、「安心・安全」な面会交流の実現になっていたのです。何がおかしいの? と思う方もいらっしゃるでしょう。実際に子供と会えない状況に置かれておらず、この国の面会交流のシステムを知らない人にとっては、何が問題なのかなかなか分からないかもしれません。
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 まず知っておいていただきたいのは、日本では夫婦が別居して、同居親が別居親と子供との交流に対して消極的であれば、別居親と子供との交流の頻度はとても少なくなるということです。場合によってはまったく会えなくなるというケースも少なくありません。

 「監視機関」が親子の交流を縛る恐れも

 5月5日のトークイベントで登壇されたある当事者の方の発言で印象的な話があります。この方は、イギリスに住んでいた経緯もあったことから、日本とイギリスの両方で調停を起こしたそうです。すると、日本では、6カ月に1回数時間の面会となったのに対して、イギリスでは、裁判官から「イギリスに引っ越してくることは考えていないのですか? イギリスに引っ越してくれば、1年の半分はあなたとお子さんが会うことができますよ」と言われたそうです。詳細は分かりませんが、「日本とイギリスでのあまりの違いの愕然(がくぜん)とした」とおっしゃっていたのが印象的でした。
別居親が子供と会うことに不自由を強いられることは、人権上問題があるばかりか、子供が親から愛される権利を奪うことになる.。

別居親が子供と会うことに不自由を強いられることは、人権上問題があるばかりか、子供が親から愛される権利を奪うことになる(GettyImages)※画像はイメージです
別居親が子供と会うことに不自由を強いられることは、人権上問題があるばかりか、子供が親から愛される権利を奪うことになる(GettyImages)※画像はイメージです

 このような大変な違いがあることを念頭に置いておいてください。その上で、あくまで噂ではありますが、法制審議会が向かおうとしていると言われている内容がどういったものなのかを聞けば、多くの方が違和感を抱くと思います。
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 巨大な監視機関を設けて、安心安全な面会交流を実現するということは、つまり、別居親と子供が会う時には、監視機関がそばにいつも張り付いていて、その交流の状況を監視することになります。親子のプライベートなどありません。さらに、監視機関の都合に大いに左右されます。

 例えば、監視機関が、「ウチは月に1回4時間までしかやりませんから」と言えば、それ以上、親子が会うことができなくなってしまいます。実際にそういう方針の監視機関は存在します。さらに監視機関が「プレゼント禁止」とか「監視者のいないところでの私語禁止」などというルールを設ければ、親子の交流はそれに縛られてしまいます。

 確かに、このように別居親と子供との交流をルールと監視でがんじがらめにしていれば、面会交流中に別居親が子供を殺害する事件などは起きないでしょう。噂が本当だとすれば、法制審議会の外で水面下に行われている議論は、恐らくこうした事件が起きるリスクを防ぐことを目的としているのでしょう。

 奪われる「子供が親から愛される権利」

 こうした噂がもし本当なのだとしたら、私はそうした方向、つまり「監視付き面会」を法的に整備することで面会交流を実施していくことを原則とする方向での議論には断固反対します。その議論の進め方は、原則と例外が逆転しているのです。
別居親が子供と会うことに不自由を強いられることは、人権上問題があるばかりか、子供が親から愛される権利を奪うことになる(GettyImages)※画像はイメージです
別居親が子供と会うことに不自由を強いられることは、人権上問題があるばかりか、子供が親から愛される権利を奪うことになる(GettyImages)※画像はイメージです
別居親が子供と会うことに不自由を強いられることは、人権上問題があるばかりか、子供が親から愛される権利を奪うことになる(GettyImages)※画像はイメージです
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別居親が子供と会うことに不自由を強いられることは、人権上問題があるばかりか、子供が親から愛される権利を奪うことになる(GettyImages)※画像はイメージです

 先ほどのイギリスの例を思い出してください。別居親と子供がごく自然に交流するのは当たり前のことで、イギリスはそれを実現しています。他の先進諸国も同様です。もちろん、中には事件も起きることだってあるでしょう。しかしそれは、夫婦が同居している中で起きることだってありますし、夫婦が別居してシングルマザーが子供を虐待することだってあります。
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 また、シングルマザーの交際相手が子供を殺害することだってあるのです。これらすべてのパターンにおいて一切の事件を防止しようとすれば、生まれた子供は、すべて国が特別な施設で管理して国の責任で養育していくほかないということになります。これが馬鹿げていることは誰だって分かるでしょう。

 一部の反社会的な人間については、警察権力を有効に使う法制度を作るなどして対策すべきですが、それをもって、世の中の多くの別居親が子供と会うことに不自由を強いられることは、別居親の人権上問題があるばかりか、子供が親から愛される権利を奪うことになります。国は、今一度、子供の福祉とは何かという、基本のテーマに立ち返って、議論を進めてほしいと心から願います。

 次回もこの法制審議会に関する私の「違和感」についてお話いたします。
上野晃(うえの・あきら)
弁護士
神奈川県出身。早稲田大学卒。2007年に弁護士登録。弁護士法人日本橋さくら法律事務所代表弁護士。夫婦の別れを親子の別れとさせてはならないとの思いから離別親子の交流促進に取り組む。賃貸不動産オーナー対象のセミナー講師を務めるほか、共著に「離婚と面会交流」(金剛出版)、「弁護士からの提言債権法改正を考える」(第一法規)、監修として「いちばんわかりやすい相続・贈与の本」(成美堂出版)。那須塩原市子どもの権利委員会委員。

3年前