親の再婚は子にとって幸せ?不幸せ? 再婚後に良い関係を築けるかどうか…その決定的な分かれ目とは

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1/8(金) 17:12配信

文春オンライン

「あの人がお父さんになるのよ、パパって呼びなさい」再婚カップルが陥る”正しい親”幻想 から続く

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 親の再婚によって継親子関係が生まれた「ステップファミリー」は一般的な家庭に比べて、家族間の関係性が複雑になりがちだ。継親を親と思えない子ども、継子から親として認められたい大人、両者の間に葛藤が生まれ、コミュニケーションがすれ違うことも決して珍しくはないだろう。とはいえ、継親を家族の一員としてみなし、良好な関係を築いているステップファミリーももちろんある。

 家族社会学者の野沢慎司氏、菊地真理氏の両氏の調査から、良好な関係を築いているステップファミリーに共通する、ある特徴が見えてきた。ここでは「正しい親」幻想が招いた悲劇を受け止め、あらゆる親子が幸福に生きられる家族の形を考えた書籍『 ステップファミリー 子どもから見た離婚・再婚 』を引用。再婚後に良好な関係を築けた家族について、具体的なエピソードとともに紹介する。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

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「おじさん」は、母の夫で、私にとっては相談相手

『ステップファミリー 子どもから見た離婚・再婚』

 継子の立場でステップファミリーを経験した人たち(若年成人継子)19名へのインタビュー調査のなかで、継親を「親」とみなさずに関係をうまく発達させたケースがありました。(*1)4ケースと少数ですが、継親を「親」ではないけれど自分の「家族」の一員であるとみなしています。なぜそのような認識をもつことができたのでしょうか。

*1 野沢慎司・菊地真理「若年成人継子が語る継親関係の多様性―ステップファミリーにおける継親の役割と継子の適応―」明治学院大学社会学部付属研究所『研究所年報』44巻、2014年、69~87頁

 美里さん(20代後半・女性)は実父とは死別したあと、小学校高学年のころに実母から「同級生」だと継父を紹介され、一緒に遊びに行くなど交流がはじまりました。中学生になると継父が近所に引っ越してきます。そして成人してから美里さんたちが住む家の隣に住むようになります。実母と継父は入籍しておらず、美里さんは継父と同居したことはありません(食事も別々です)。美里さんの実母はふだん子どもたちと一緒に過ごし、ときどき継父の住む家に泊まりに行くというかたちでパートナー関係を維持しています。

 実母は十分な経済的収入を得ているため、自分の生活費や子どもの教育費などを夫(継父)に依存することもありません。そもそも継父に対して、父親として子どもたちに接してほしいという期待をしている様子もなく、呼び方も美里さんやその兄たちの自由にさせています(「ウッチー」というあだ名や「おじさん」と呼んでいます)。美里さんには兄がいるのですが、継父とは「飲み仲間」でフラットな関係であることが読み取れます。継父に対する当初の印象は「母の新しい再婚相手」というもので、「母の夫」だけれども「私の父ではない」という気持ちを現在まで持ち続けています。友だちにも実母の「彼氏」と紹介します。

 死別した実父の話題が継父を含めた家族内で出ることもあり、継父も交えて実父のお墓参りにも行っています。つまり、美里さんの家族史に起こった出来事を家族全員で共有しているため隠し事(タブー)がありません。再婚以前の経験や別居親(もうひとりの実親)の存在をタブー視していないところも、前編でとりあげた継子たちの事例と異なっています。

“親”ではない存在として築く、子との信頼関係

 美里さんは、入籍も同居もしていないけれども、いまでは「おじさん」を「家族」だと思っています。「おじさん」が重要な存在であることは、学生時代に大学を中退するかどうかを悩んだときのエピソードにあらわれています。大学中退という人生を左右しかねない大きな決断について、まず「おじさん」に相談して背中を押してもらうことで、実母に言い出せるようになりました。このような信頼関係の築き方もアリです。

〈 大学に行ったんですけど、ちょっと嫌になってやめようかなってなったときに、「こう思うねんけど」みたいなことを相談しました。(「おじさん」には)「わしは、その、ほんまのお父さんじゃないし、そんな強いことは言えへんけど、まあお前の好きにしろ」みたいなことを言われました。(中略)結局その学費とか払ってくれてるのが母なんで、結局はもう母に言わないとあかんし、結局は母には言ったんですけど、何かいきなり母に言うよりも、おじさんに先言って、こう、間に入ってもらったほうがちょっと何か言いやすかった。〉
「コバヤシくん」は、ふつうの家にいないおもしろい存在

 成美さん(20代前半・女性)は、小学校低学年のころに実父と別居することになりました。その後も数年は家族旅行をするなど交流は続いていましたが、だんだんと交流が途絶え、高校生になるころに両親は離婚します(数年後に、実父は病死)。その後、実母の友だちとして後の継父があらわれ、突然家に来るようになって、当初は嫌悪感や拒否感を持っていました。その交際相手とできるだけ顔を合わせないようにして、実母に対して彼(後の継父)には自宅のお風呂を使わせないでほしいと伝えていました。それなのに、継父がお風呂を使っていたことがわかり、約束が破られたと怒りをぶつけます。祖父母にも話して気持ちを実母に伝えてもらい、実母は娘の感情に配慮して、家に交際相手を呼ぶことはなくなりました。

〈 まあそれでも、(現在の継父に風呂を使われて)どうしても我慢できなくなったときがあって、「来ないで」って言って、もう何か家で相談じゃないですけど、祖母、その、母方の祖母とか祖父を呼んで、その、話をしたことはあるんですけど、そのときにもう(彼は)何カ月か来なくなって、母はそっち(彼)の家に行く感じになっちゃったんですけど。〉

 成美さんの実母も、継父とは事実婚の内縁関係を続けており、お風呂事件があって継父が家に来なくなった数カ月のあいだ、実母が継父の家に行くという通い婚のスタイルをとっていました。この冷却期間のおかげで、成美さん自身の態度が変化していきます。

〈 まあ小林さん(継父〔仮名〕)はそんな悪い人ではなかったので(笑)。(中略)まあ、話をつけてから数カ月来なくなったんですけど、母が(彼の家に)行ったり来たりしてるのを見たりとか、ちょっと母がかわいそうかなっていうのが見てたときにちょっとずつ思い始めて、「ああ、コバヤシくん(継父の呼び名〔仮名〕)、来てもいいよ」っていうのを言ったら、来るようになりました。〉

 このように変わったのは、子どもの気持ちを尊重して大人側がその要求に合わせて、パートナー関係のスタイルを柔軟に変更したからだと思います。実母は継父を「親」として受け入れるよう求めることもせず、関係を無理に縮めようともしていません。継親に「親」としての役割を期待することもありません。呼び方も「コバヤシくん」のままです。

「来てもいいよ」とゴーサインを出してから再び家にやって来た「コバヤシくん」と、成美さんは少しずつ距離を縮めていきます。大けがを負った交通事故のとき、相手方と交渉してくれて頼りになった。対外的には「父親っぽい感じで出てくるときもある」。でも、父親という意識はなさそう……。ふだんは冗談を言ったりちゃかされたりすることもあって、だんだん「ふつうの家にはいない存在と思うとおもしろい」ユニークな存在だと思うようになりました。それに、「コバヤシくん」がそばにいると実母の機嫌がよくなるから、小言を言われそうなときでも怒られなくて済む(「緩衝材になってる」)。いまでは、急に来なくなったらどうしようと思うほどの存在だと言っています。

〈 帰るのが遅いだったりとか、もうちょっとちゃんとしなさいだったりとか、すごい怒られそうだなっていうときに、コバヤシくんがいると(笑)。〉

 美里さんと成美さんに共通するのは、同居親である実母が、子どもの気持ちを尊重し配慮しながら、ゆっくりと継親との関係づくりを進めていこうとしたことにあります。子どもに無理をさせていないのですね。最初から通念的な「ふたり親家庭」に継親子を当てはめようせずに、子どもの反応を見て(あるいは仲介に入った祖父母の意見を取り入れて)、その都度やりかたを変えていく。トライ&エラーを繰り返して、独自の継親の役割、家族のあり方をつくりあげていくようなイメージです。

実母が「お母さん」で、継母は責任をもって面倒をみる「保護者」

 今度は継親の立場から、「親」ではない存在として継子との関係づくりをしてきたという事例を紹介します。

 直子さん(40代前半・再婚継母)は小学校低学年の2人の子どもを連れて夫と再婚しました。夫にも同じ年頃の男の子が1人います。再婚してから7年が経ちますが、ふたりの実子は実父と、継子は実母と、それぞれ離婚時から再婚後も変わらず交流を継続しています。それぞれの別居親と子どもたちとの交流を継続することは、直子さん自身の強い信念によるものでした。

 再婚することによって生活環境や名前が変わること、それまで近くに住んでいた別居親とは簡単には会えなくなってしまうことなど、何がどう変わってしまうのかを子どもたちに説明します。そして、この状況について「ある程度はわかっているうえで」、子どもたちの了承を得てから再婚を決断しようとしました。なぜなら、子どもたちが「納得」したうえでなければ、彼らがステップファミリーとしての生活を受け入れられないと考えていたからです。

〈 基本的に実父と実母との関係を断ち切るようなことはしたくなかったのね。離婚をするのは親どうしの都合で離婚したわけで、再婚するのも親どうしの都合で再婚したんで、子どもたちからすれば一緒に暮らしてないけれど、お母さんはお母さんで、お父さんは好きじゃなくなったかもしれないけど、自分はずっと好きなわけじゃないですか。私が(「母親」)とかいうふうに主張してしまうと(実母とのあいだで)板ばさみになったりする……。それはかわいそうだし、嫌だったんです。〉

 継子に対しても同じように、月に一回ある実母との面会交流を尊重し、直子さん自身は「母親」ではない存在として関係づくりをしようとします。双方の別居親子の関係が先にあって、継親は後から継子の人生にかかわることになった大人(第三者)だという事実にもとづいて、考えられているからでしょう。このケースでも、ステップファミリー以前の家族史にタブーはありません。直子さんは継子から「直子ちゃん」と呼ばれていて、責任をもって日常生活の面倒をみるという役割にあると考えています。夫に対しても、元夫との間の子どもたちの「父親」になることを求めることはありません。

〈 本当のお母さんとも行き来してるんで、私があなたのお母さんなのよっていう押し付けはしたくないんで、ただ彼(継子)はまだ子どもで私は大人だから、私はちゃんと責任を持って面倒みるわよだいじょうぶよっていう関係……。あまりだから、お互いが無理に私があなたの親なのよ、みたいなそういう感じにはしなくていいと思って。だから私の子どもたちと(夫)の関係も、無理にお父さんなのよっていうふうにはしなくていいと思ってるんですけど……。〉

 継子の実母は隣町に住んでいることもあり、祝日・休日や長期休暇のときなど面会交流の機会は頻繁にあります(直子さんの実子は、実父が遠方に住んでいることもあり、直接的な交流は年に1回程度)。実母は部活の試合や運動会など学校行事にも参加するため、直子さんと現場で遭遇することもあります。親しくはなくとも、実母と継母が、母親役割を実質的に分担するような関係にあります。継子と実母との交流を断ち切らないことによって、継子からの信頼を得て、継子との関係は安定的に発達していると感じられています。継子の「母親」は実母であって、直子さん自身は「責任をもって面倒をみる存在」あるいは「保護者」であるという肯定的な自己認識は、再婚初期から変わっていません。(*2)

*2 菊地真理『ステップファミリーにおける家族関係の形成と対処支援の研究―継母のストレス対処過程のメカニズム』奈良女子大学大学院人間文化研究科博士論文、2009年、全161頁

 最初から母親、お母さんがいますからね。そのお母さんと会うことを禁じてないし、関係を断ち切らそうということを最初からしてないんで。本人にとってはお母さんはそっちですよね。(中略)彼(継子)にすごく何かを求めるということはなくて。……お互いの距離感みたいなものはしっかりできてるし。彼も安心なんだと思いますね。お母さんのところへ行くのに絶対文句も言われないし。(中略)安心してる、そういう面では私に対しては信頼してくれていると思うんですね。そういう意味で言えば、この子たち(実子)に対しても、(夫は)自分を父親と思えっていうことは絶対ないですから。

野沢 慎司,菊地 真理

3年前