女たちの離婚サバイバル

西牟田靖『子どもを連れて、逃げました。』

著者の西牟田さんは、前作『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』に続いて、離婚と子どもの問題を、当事者たちから話を聞き出して、ルポとしてまとめている。

ぼくは自分も子どもと引き離された経験があるから、どっちの本も読み始める前は自分の経験と反響して身につまされたり、しんどくなったりするんじゃないかなあと思っていた。だけどどちらも単純に読み物としておもしろく読み進められた。なぜなんだろう。

自分の体験をベースにして、他の人のこともよく理解しようと話を聞き進める著者の姿勢とプロセスには、率直さを感じて好感が持てる。もう一つは、話をしてくれた方の体験は、どこにでもいそうな「普通の人」であるにもかかわらず、一人ひとりドラマを抱えているというのにあらためて気づくからではないかなと思った。今回は女性の側が離婚を乗り越えていくプロセスを聞き取っていくのだけど、それらを読んで感じたのは「たくましさ」だ。

本の帯には、DV、モラハラ、浮気、貧困とあるし、語ってくれた女性たちの経歴も、マジシャン、イベント屋、弁護士などいろいろ、そして結婚や子どもができるに至った経過も、学生のときの同級生や国際結婚、父親には子どものことを告げていないなど共通する部分もあまりなくて、次の人の話はどんなだろうなと思って読み進めることができる。

そして、離婚というのは、そういうドラマを引き起してかつ、それぞれの人に試練を与える冒険なんだろうなと読んで思った。帯には「困難な状況をどのように生き抜いたか」と書かれているけど、つまりこの本は、彼女たちのサバイバル体験を収録している。多分、そういった体験は、離婚体験のない人にとっても興味を掻き立てる。「界隈の人」向け本として読まれるのはもったいない。

そして、そう思わせるのは、著者本人の「違った世界を見てみたい」という好奇心の強さが背景にあるような気がする。シングルマザーの本であれば、被害者目線で多くまとめられていたと思うけど、この本はそういったカテゴリーから抜け出ていて、新しい取り組みだと思う。そういう意味では、前作も、子どもに会えなくて泣いている男、という世間一般の基準で言えば、かっこよさとはマッチしないところが、おもしろ味につながっていたのだと思う。

著者の西牟田さんは、本人も子どもと引き離された経験があるのだけど、彼女たちの話を一人ひとり聞き取っていくにつれて、自分の家族との体験や思い込みが客観的に見られるようになり、心が揺さぶられている過程を率直に書いていて、それが本書のもう一つの「見どころ」になっている。

例えばDVの扱いでは、前作を作る過程では、親子の引き離しやでっち上げDVについて取り上げ、なんてひどいことをすると感じたと本書にはある。それに対して戦闘モードでやってきた編集者との出会いから、じゃあ逆の立場はどうなんだと取材を重ねる。そして今度は多くの女性が父親から引き離したいとは思っていない、DVの危険がある場合は、簡単には会わせられないと述べるようになっている。

課題も見えそうだ。子どもに会いたい側がいて、父親への関与を望む側もいて、だけど危険があれば引き離していい、となっていること自体が、現在の制度の限界だろう。著者は、共同親権・共同養育の知識があって、登場人物たちの発言や行動について相対化したり、自分の経験をジェンダー的な観点から振り返りもするけど、基本的には、父親が会いたい側、母親が会わせる側という対照軸になっている。どうしても、その発想の中からの異性の置かれた立場に対する視点の欠如への振り返りという感覚になりやすい。

それ以外の性役割を超えた実践をしている人、例えば、子どもに会えない母(一部本書にも出てくる)や、同居父などの経験は周辺的な問題として制度を扱う場合に考えられやすい。また、危険性という観点からのDVと引き離し問題の扱いだけでは、では子どもが両親から愛情を受けて育つにはどうするのか、という視点が弱くなる。

これらはいずれも本書をまとめるにおいては著者の関心の範疇外だったと思うので、「ないものねだり」であるのは確かだ。だけど、体験談と制度を両方見据えて本書をまとめているので、課題として出てくるのは避けられないかなあと思う。(2020.1.17)

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