子どもを連れ去られたり、約束を守ってもらえなくなったりして、裁判所も味方になってくれないとき、子どもの居場所が分かっていれば、「家に行ったら」と勧めることがよくある。
別に親が子どもに会うだけのことだし、子どもが住む家に様子を見にいくのは当たり前のことだ。
だけど、「弁護士に止められます」「警察を呼ばれたりするんじゃないでしょうか」「裁判官の心象が悪くならないでしょうか」と子どもと引き離された親は不安でいっぱいになる。
通常弁護士や裁判所は、司法の場以外のところで何かされることを嫌がる傾向がある。司法の場であれば、勝ち負けも含めてある程度の結果が出て、それにクライアントや利用者が従ってくれたら仕事は楽だ。負けても「別居親の弁護は難しい」とかとりあえず言っておけば着手料だけはとりっぱぐれない。
弁護士にとっては、争点が増えるので、裁判で有利に事を運びたいと思ったら、できればクライアントが不確定要因を生じさせることは避けてほしいと考える人は多い(もちろんあえて争点を増やすやり方を戦略としてとることはある)。
裁判官も同じで、「余計なことをして」と苦々しく思う人はいるかもしれないが「いいことじゃないですか。裁判官さんは喜んでくれると思ってたのになあ」とか言ってれば別に問題にならない。
そもそも会えていない状況で、弁護士が会わせてくれるでもなし、司法もあてにならないのなら、今以上に悪くなる要因がない。むしろ何をやっても自由だ、と考えたほうがいい。
だけど、警察を呼ばれたらどうしよう。
相手が面会を拒否しているときに、実際に警察に呼ばれるのもよくあることだ。こういう場合、会いに行く名目は「安否確認」だ。警察も「安否確認」が目的だと、一概に追い払えないし、トラブル防止のため寄り付くなと言われたら、「だったらあなたたちが安否確認に行ってください」というと、実際に行ってくれたケースもある。
トラブルが予想できるとき(多くの場合予想できる)、あらかじめ警察の生活安全課に相談して、「もしかしたら向こうが警察を呼ぶかもしれませんし、呼ばれたら来ないといけない立場はわかりますが、こうして相談しているのもわかるように、事件性はないですし、そもそも民事不介入ですから」と言えば、呼ばれたところで問題は起きないし、警察も双方の利害の調整は民事不介入でできない。何回も行っていれば警察もなれて呼ばれてもめんどくさくなってかかわらなくなる。
事件になるのは、敷地に入ったり、相手の挑発に乗ってフィジカルなトラブルになったりする場合だ。ストーカーに関して言えば、男女間の問題なので、子どもに対してはまず適用されない(親が子に会うだけなので当たり前だ)。
今年、オーストラリア人のジャーナリストのマッキンタイアさんが住居侵入で逮捕され有罪になったので、自分もそうなったらどうしようと心配するのはわかる。マッキンタイアさんの場合は、部外者立ち入り禁止のマンションのオートロックのドアの内側に入ったことが罪に問われたけど、通常住居侵入の扱いは略式で罰金刑にされる(10~20万)ので、裁判まで行くのはめったにない。事後逮捕だったし、見せしめの弾圧だったのはついてなかった。
夜討ち朝駆けのジャーナリストたちは時々逮捕されることもある。だけど、たいがいの場合は会社が罰金を払ってくれる。逮捕されるのはあまり気持ちのいい経験ではないけど、最長でも23日の勾留で、起訴されることはめったにないし、起訴されたら、「子どもに会うのは正当な理由」と構成要件を争うこともできる(マッキンタイアさんは戦略的に争わなかったので有罪になったけど、争っていたら憲法裁判になって判例になったかもしれない)。もし逮捕されたら連絡してくれたら救援を組むこともできる。
だけど、家まで行ってピンポンを押して、「〇〇ちゃんいますか。安否確認に来ました」と言って、ポストに手紙でも入れて引き上げれば通常は問題にならない。向こうから挑発されてエキサイトするのを避けたり、後々証人になってもらうことを考えたら、録音や撮影の用意をできるだけして、弁護士、カウンセラー、親家族、友人と誰かに同行してもらうのがいい。ぼくはカウンセリングの後に同行支援もすることがある。
家まで行っても子どもに会える場合は多くはないかもしれない。ぼくは実際に会えたケースも見たし、親だけが出てきたときもある。当人同士が顔を会わせると何か言いたくなって、言い合いになると別居親には不利なので、「今日は会わせないということですね。ではまた来ます」と同行者に言ってもらうのがいい。
定期的に何回か行っていると、話し合いを拒否していた相手が話し合いに応じたり、調停を申し立てたりすることがある。そのときに、「実際に家に行っているんだから」という実績は大きい意味を持つ。そもそもトラブルになってないし制約は今更できない。「家まで行っても会わせないのは向こう」と言いやすい。
何よりも子どもの周りの環境にこっちもなれるし、会いに来ること自体が大げさなことではないと向こうも学ぶし、よくしたら、子どもの家の周りの人と知り合いになれるかもしれないし情報も得られる。子どもとあえなくても、子どもは親が来たことくらいはわかるので、その場では会えなくても後々意味がわかるだろう。そして行動することは、会えない親にとっては大きな安心感につながる。
そういう実績が広がっていけば、親が子どもに会いに来るのは当たり前のことという社会環境が広がるし、人々が共同親権という考え方に接するいい機会になる。やってみてね。
おおしか家族相談
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