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『西牟田靖』 2020/12/17
西牟田靖(ノンフィクション作家、フリーライター)
現代社会では、離婚を経験した子供の数が増えている。厚生労働省が公表している人口動態統計の年間推計を見てもそれは明らかだ。戦後間もない1947年に生まれた子供は約267万8千人で、同年の離婚件数は約8万件だった。
それに対し2019年では出生数が86万4千人と大幅に減少する一方で、離婚件数は21万件と3倍近い数になっている。 離婚し別れる親子が激増する中、親子の生き別れが社会問題化している。
2002年には約29万件を記録し、昨年は21万件とやや減っている。ただ、その一方で子供に会いたいと思う別居親は激増している。
司法統計によると全国の面会交流申立調停時件数は2000年が約2千件あまりだったのに対し、12年には1万件を突破、16年には全国で1万2千件にまで増えている。つまり別れた一人親が関係を保とうとするようになってきている。そんな中、近年、高まってきたのが離婚後の共同親権の論議である。
私自身も7年前、妻が一人娘を連れて家を出て行ったときは、ショックで体重がおよそ10キロも減った。それまでに私は、アフガニスタンでタリバンに一時的に拘束されたり、海でおぼれて溺死寸前のところで助けられた経験があったが、そうした経験とは比べられないほど家族との別れはつらかった。
他国でのトラブルや海難事故ならば運が悪かったと、あきらめがつくかもしれない。しかし、離婚による子供との別れは違う。相手から自分を否定されてしまうことに加え、血を分けた子供と離れることは自分自身の体が引き裂かれるような、そういう喪失感がある。しかもその苦しさがずっと続くのだ。
離婚直後から、私は相談場所を求めて交流会に参加した。その場で私は、同様な立場にある人が実に多いことを痛感した。典型的な例としては、弁護士に解決を依頼したことでお互いがののしり合いをしてしまい、修復が不可能なほどに悪化してしまうケースがある。そのほか、夫婦ゲンカが原因で役所に相談した妻が支援措置を受けたうえ、DV(ドメスティック・バイオレンス)被害者と認定され、子供と共にシェルターに逃げ込んだというケースなどもあった。
他にも浮気した妻をとがめると子供を連れて行かれてしまったり、子供の様子を学校に見に行くと警察に通報されたり、離婚した夫に子供を会わせたところ連れ去られてしまい成人するまで会わせてもらえなかったりといった、気の毒なケースを数多く知った。
話を聞いていく中で私は、こうしたつらい現実を伝えねばと使命感を抱くようになった。そうして取材を重ね、3年前に「わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち」という著書を出版するに至った。
著書を出版して以降、本件に関していくつかインタビューを受けるようになった。その場でよく質問されたのが「反対側の立場である、かつて同居していた方には話を聞かないんですか?」というものだ。また、交流会で会った当事者たちからも「ぜひ話を聞いてみてください」と言われた。
愛し合い、子供ができ、家族となったのに別れたら会えなくなるというのは確かにおかしな話だ。これは皆さんの言う通り「さまざまな方の話を聞くべき」と決心し、20人以上のシングルマザーに会って話を聞いて回った。そのうち書籍化の依頼に許可してくださった16人の話を収録し、解説をつけてまとめたのが、先日出版した拙著「子供を連れて、逃げました」である。
話を戻そう。この取材を始める前は、シングルマザーに対して先入観を抱いていた。元夫への恨みを同じ立場の私にぶつけてくるんじゃないかとか、DVの事実がないのにレッテルを張って別れたことを平然と語るのではないかなど、警戒する気持ちや恐怖、敵対の気持ちが正直あった。
しかし、実際に話を聞いてみると、皆さん一生懸命子供を育てている人ばかりで、彼女たちの苦境や悩み抜いた末の決断には同情しかなかった。
また、彼女らの話を聞いていて、以前の交流会のときと同様の気づきがあった。それは裁判や調停でののしり合いや役所による支援措置に乗せられた結果、関係がこじれてその修復が難しくなっているそうだ。つまり周りがよってたかって、夫婦や子供たちを不幸にさせているケースが、少なからずあるということだ。
けれども「会わせたくないのに裁判所が面会を勧めてくる。面会からは逃れられない」という声や、逆に「会わせた方が養育費も払ってもらいやすいし、面倒を見てもらっていたら自由な時間を作れる」という意見もあった。
要は、別れた元伴侶に会わせるということが既に前提になっている現実もまた、あるということを知った。
後者の意見に関しては大変驚きであった。というのも、それこそ私が子供時代の80年ごろでは離婚すれば元の親が会いに来るなどということはあり得ないことだった。
母親は「お父さんは死んだ」と言ってごまかしたり、再婚して子供に新しい親をあてがったりするのがごく普通だった。ましてや面会交流という権利など、まったく社会的に認知されていなかったのだから。
高度成長の時代では男性は仕事、女性は家事に育児という役割分担が社会において当たり前の風潮ではあった。家庭では父親という大黒柱がいて 母親はそれをアシストするという家族像が一般的だった。
しかし、86年に施行された男女雇用機会均等法により、女性の社会進出がようやく認められるようになった。近年では安倍晋三前首相が一億総活躍社会の実現を掲げたことが記憶に新しい。
そのように男女双方が輝ける社会への実現に向かっている感がある。ただ、現実はジェンダー・ギャップ指数では世界121位と低落しているが…。
それでも今では、保育園の送り迎えを父親がするのが普通の光景になってきた。それと共に、子供を産んでも夫婦共働きというのがスタンダードになってきている。少なくとも結婚している間は、男女とも働きながら子育てするという流れにある。これは、技術・家庭と男女別に科目が分かれていた中学校の授業が90年代以降、男女共に必修になったことが影響しているかもしれない。
私もそうだったが、家事や育児に積極的に関わると子供への愛着が増す。その結果、別れた後も子供とのつながりの維持を願い、面会交流を続けたり、それを願って調停を起こしたりする人が増えているようだ。
しかし、日本の民法819条には「父母が協議上の離婚をするときは、その協議で、その一方を親権者と定めなければならない。裁判上の離婚の場合には、裁判所は、父母の一方を親権者と定める」と離婚後の単独親権が、いまだにうたわれている。
一方で、子供の監護に関して記した民法766条第1項は11年に以下のように改正された。
改正前:父母が協議上の離婚をするときは、子の監護をすべき者その他監護について必要な事項は、その協議で定める
改正後:子の監護をすべき者、父又は母と子との面会及びその他の交流、子の監護に要する費用の分担その他の子の監護について必要な事項は、その協議で定める
この改正の結果、面会交流の権利と養育費について触れられるようになり、より具体的になった。シングルマザーの皆さんが面会交流を意識しているのはこうした時代の変化もあるのかもしれない。
冒頭に記したように、昔に比べ数多くの家庭が離婚し、別れても関係を続けたい人々が急増している社会の現実に押され、日本国内でも諸外国のような共同親権制度のような法改正が叫ばれるようになった。そして、それに向けての法改正の検討はすでに始まっている。実際、菅義偉(すが・よしひで)政権下で法務大臣となった上川陽子氏は本件について意欲的である。
子供に会えない親たちや、一人親家庭で育った子供たちが同時多発的に国家賠償請求を相次いで起こしたり、共同親権導入を訴える街頭デモを始めたりといった当事者によるアピールが続いており、当事者自身が世の中に可視化されるようになった。
私自身は、もちろん共同親権が導入されることを願っている。日本を含む世界各国が批准している国連の「児童の権利に関する条約」(通称子どもの権利条約)第9条1項の「締約国は、児童がその父母の意思に反してその父母から分離されないことを確保する」ことが、子供たちが健やかに育つために何より大事だと思うからだ。
とはいえ、国内では「男は仕事、女は家事・育児」という考え方や、子供は家の持ち物という考えは依然として非常に根強い。また、共同親権導入によってDV被害から逃れられなくなるというシングルマザー関係の団体の声もある。
もちろん、仮に共同親権を法制化したからといって、DVがあった場合なども含めて無条件に会わせるべきではない。そこは精査するべきであるし、結局は親同士の意志次第というところもあるのだ。法制化が実現されたとしても、関連法や社会制度の整備、世論の理解なしに、ずっと会えていなかった人がすぐに会えるようになるとは思えない。
どうすれば丸く収まるのか。誰もが幸せになる法整備や運用はどのようにすればよいのか。私自身も、今後取材を通してこれからも考えていきたい。また読者の皆さんにも、拙著や本記事をきっかけに、この問題について関心を持っていただければ幸いである。
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