妻に子を連れて行かれたノンフィクション作家が「夫から逃げる妻たち」を取材した理由〈dot.〉

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12/14(月) 18:00配信

AERA dot.

離婚後の親権者の約9割は女性となっている。写真はイメージ。(写真/PIXTA)

厚労省の調べでは、離婚した夫婦のうち未成年の子どもがいる割合は約58%(2016年度)。離婚後の親権者の約9割は女性であることから、未成年の子のほとんどは母親と暮らすことになる。ノンフィクション作家の西牟田靖氏(50)は、長女が3歳のときに妻子が家を出ていった。以降、子どもに会えない父親たちを取材して単行本を出版したり、共同親権に関する記事を書いたりしてきた。

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そんな西牟田氏が、今度は「妻」の視点から夫婦問題をとらえた新著「子どもを連れて、逃げました。」(晶文社)を出版した。自らも妻に「逃げられた」立場である西牟田氏が、夫を置いて逃げた妻たちを取材しようと思った理由は何だったのか。

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――新著「子どもを連れて、逃げました。」では、16人のシングルマザーがなぜ夫から逃げて子どもと暮らすことになったのかを赤裸々に語っています。同時に、西牟田さんご自身が妻子と別れることになった経緯にも触れられています。この自身の経験が今回の著書のテーマと密接に結び付いているわけですが、まずは西牟田さんの結婚生活がどういうものだったのかを教えてください。

西牟田:結婚したのは、2007年。妻になった女性は年下の聡明な女性で、僕の本の読者だったことが縁で出会いました。娘が生まれたのは、結婚して3年目でした。もちろん妻の妊娠はうれしかったのですが、正直、僕はそのころ、子どもがいる家族の将来像を明確には描けませんでした。というのも、不安定なライター業ですぐにはもうからないと思っていたし、家計を支えられないかもしれないという不安もあったからです。

とはいえ、娘が生まれたことは本当にうれしかったし、沐浴やおむつ替えは積極的にやっていました。離乳食作りも簡単なものはやっていたかな。あと、娘が保育園に入ってからは送迎を半分はやっていたし、夕食などの食事作りも3~4割くらいは担っていたと思います。もちろん、元妻側の言い分は全然違うかもしれませんが(笑)。娘が体調を崩したときなどは、妻の実家から義母がかけつけてくれたり、ファミリーサポートを利用したりもしていたので、家のことは回っていると思っていました。

――元奥さまから家事や育児で不満を言われたことはなかったのですか?

西牟田:それは、もちろんあります。これは今でも後悔しているんですが、寝かしつけと夜中のミルク作りは元妻に任せっぱなしでした。僕は夜に原稿を書くタイプで、とにかく夜は仕事モードになってしまう。元妻から「たまには(寝かしつけを)代わってよ」と言われていたのですが、仕事を理由に断っていました。当時は自宅の近くに仕事部屋のアパートを借りていたので、執筆に集中したいときは、夜は自宅を出てそっちに行ってしまうこともありました。これには、元妻は相当不満をため込んでいたと思います。

――寝かしつけの大変さはやってみないとわからないので、乳幼児を持つ夫婦の火種になりがちですが、これだけで離婚ということも少ないかと思います。他に何か思い当たることはありますか?

西牟田:一度決定的なことがあったのは、3・11の東日本大震災のときです。娘はまだ0歳だったのですが、ちょうどその年の4月から元妻が仕事復帰するので保育園に入ることが決まっていました。一方で、僕はライターとして「これは福島に行くべきだ」と思い、4月上旬から福島出張を決めていました。元妻からは「保育園の入園式には一緒に出てほしい」と言われたのですが、僕は「もう決まった仕事だから」と仕事を優先してしまったんです。保育園に入ってからは、元妻も働きながらの子育ては大変だったようで、仕事を辞めて、出張がない仕事に就きました。後で知ったことですが、このとき元妻は義母に「このままでは(結婚生活を)やっていけない」という相談をしていたようです。でも僕は「仕事のことは(妻は)理解してくれているはずだ」と思っていて、相変わらず出張に行く生活を続けました。

結局、僕は自分の仕事のペースは落とさずに、肝心なところは妻任せにしていたんです。子どもが生まれても僕はどこか恋人気分のままというか、妻への愛情があるから大丈夫だろうと考えていました。だから、元妻から言われる子育ての不満にもきちんと向き合あわず、仕事優先のスタンスで生活してしまっていたのです。

――すると、西牟田さんが仕事のペースを落とさずに育児を元奥さまに任せっぱなしだったことが離婚の主たる原因だったということですか? 西牟田:もうひとつ、大きなネックになっていたのは経済状況です。当時、僕は生活費も含めて月に10万円しか家に入れていませんでした。全然足りないのはわかっていたんですが、そこは僕なりに考えがありました。浮き沈みの激しい仕事だということはわかって結婚してくれたんだから、お金が入らないときがあっても一緒に頑張ってほしい。それに今、本を書くために全力で頑張っているんだから、今こそ支えて欲しいって。ちなみにその10万円も、僕の実家から援助されたお金を充てていたんです。こうした状況は元妻も知っていたと思います。一度、「コンビニでバイトしてでもいいから、もっと家にお金を入れてほしい」と言われたこともあったのですが、僕は「そんなこと言われても……」と正面から向き合わなかった。それともうひとつ、家の中に本を置きすぎていたことも彼女の気持ちを損ねた原因だと思います。

――そこから離婚までの経緯はどういったものだったのでしょうか? 西牟田:娘が3歳だった13年の12月ごろには、元妻から「今後のことについて話し合いを持ちたい」と言われるようになりました。このころはちょっとしたことでお互い気持ちが高ぶってしまうありさまでした。同年の12月末には、朝におせち料理の準備をしていた元妻が全然起きてこない僕の態度に怒り、おせちの材料を持ったまま、娘を連れて実家に帰ってしまいました。このときは年明けまで5日くらい帰ってきませんでした。

そして、翌年1月に元妻が実家から戻ってくると、もう離婚の意思は固まっているようでした。「別れの条件」を突き付けられて、そこには「親権は私(元妻)が持つ」「月に2回は娘に会わせる」など具体的な取り決めが書いてありました。「公正証書にしたいから確認しといて」と言われたんですが、僕は離婚するつもりはなかったので、まともに取り合わず、返事をしませんでした。すると予約をとっていて、ある日公証役場に行くことになりました。ここからはもう僕の意思とは関係なく、別居は避けられない状況になっていきました。元妻は3月末に合わせて引っ越し業者を手配して、自分の持ち物を実家に送るなど着々と準備を進めていました。僕も最後はどうにもならないと諦めて、3月下旬には娘との最後の思い出作りとして、遊園地や観光地などに行ったりしました。別居当日は、引っ越し業者が家財道具を運び出すのを、ただぼうぜんと見ていた気がします。そして最後、元妻は私の前で3歳の娘を連れて出ていきました。

その直後のことは、正直、あまり覚えていません。体重は10キロくらい落ちました。僕はぼうぜん自失の状態だったので、求められるがまま、(離婚届に)ハンコを押してしまったんだと思います。そうしたら、4月上旬には役所から「離婚届を受理しました」という通知が届いたんです。あの日は前年、家族の経済状態を挽回するために渾身の力を振り絞って取材・執筆した作品が、応募していた文学賞から落選したという知らせがあった日でもありました。ガッカリしてして記憶が全部飛んでしまって、その日、乗っていた自転車をなくしてしまったほどでした。

――現在、西牟田さんは共同親権や共同養育も取材テーマの一つとしていて、17年1月には離婚後に子どもと会うことができなくなった父親たちを取材した「わが子に会えない―離婚後に漂流する父親たち」(PHP研究所)も出版しました。西牟田さんは離婚後もお子さんに会えているということですが、こうした父親たちと関わるきっかけは何だったのでしょうか?

西牟田:離婚後の喪失感を埋めるために、パートナーや妻子と離れ離れになった親たちの当事者団体に連絡をとって、その集会などに参加するようになりました。そこには僕よりも辛い経験をしている人たちがたくさんいました。身に覚えのないDVを妻からでっち上げられて子どもと全く会えなくなった父親などもいて、日本では夫婦が離別すると、親が子どもに会えない実態があるのだと知りました。

そのとき僕が頻繁に相談していたのが、旧知の仲である某テレビ局の報道記者でした。彼は離婚調停中だったのですが、Facebookには親子で面会する様子などをたまに書き込んでいました。その文面はとても悲しげで、もっと子どもと会いたいという思いはひしひしと感じました。それでも彼は福島の除染業者の実態をルポするなど、精力的に仕事をしていました。しかし、僕が彼に相談を始めてから4カ月後、彼は自ら命を絶ってしまったのです。なぜ彼の心の不調に気が付けなかったのか。すごく大きなショックを受けました。彼の死によって、「子どもと会えない父親の実態をもっと社会問題として提起すべきだ」という思いが強くなりました。そうして書いたのが「わが子に会えない」(2017)という本です。

ただ、夫婦関係においては、どちらが一方の主張が正しいということはなく、一方の主張を聞くだけでは不十分だろうとは感じていました。また、当時から当事者団体の中では「相手の同意なく子どもを連れて家を出ることは実子誘拐だ」「外国では犯罪行為になる」などの主張も多く聞かれたのですが、これには違和感を持っていました。というのも、欧米では共同親権や共同養育に関する法整備が進んでいて、妻側が一方的に家を出なくてもいいような仕組み作りができている。親権制度も違う日本では「連れ去り」の定義自体が異なります。日本では、どうしても逃げなければいけない状況にある妻子を救済する仕組みが不十分だという思いも抱いていたのです。

そんなタイミングで「わが子に会えない」について「cyzo woman」から取材を受けたのですが、そのインタビューが「なぜ一方的に男性側の主張だけを掲載したのか」とケンカ腰だったんです(笑)。編集者たちと話をする中で「じゃあ、逆の立場から女性側のインタビューを掲載する連載をしよう」ということになり、妻側の話を聞く企画がスタートしました。

――それまではご自身の体験も含めて「夫側」に共感する部分も大きかったと思いますが、「妻側」の話を聞いていくことで、新たな発見や心境の変化はありましたか?

西牟田:取材に応じてくれた16人の女性はさまざまな理由でシングルマザーになっていました。直接的なDV被害にあった人もいれば、夫が精神的な病にかかってしまって別れざるを得なかった人、義母との関係が悪化した末に離れ離れになった人など、本当にさまざまです。取材前、僕はもっと元夫に対して憎しみのような感情を持っていて「絶対に会わせたくない」と思っている女性ばかりなのかと思っていました。でも、少なくとも取材した女性たちは「離婚後も元夫には子どもに会ってほしい」と語る女性が少なくありませんでした。「会わせたくない」という女性にしても「面会交流はしなくちゃいけないもの」という認識をほとんどの方がお持ちでした。これは意外でした。じゃあ、なぜ夫を置いて子どもを連れて出ていくという行動に出たのか。もちろん理由はいろいろですが、僕なりに解釈すれば、女性たちが生き残り、そして幸せになるための「究極の選択」だったということです。このままでは子どもと自分の生活がダメになってしまう、ここから抜け出して一歩でも幸せになるにはどうしたらいいか。それを考えて、考え抜いた選択が「子どもを連れて逃げること」だったということです。もちろん、自分の感情に任せて元夫に会わせることを拒否している女性も一定数はいると思います。でも、世の中のシングルマザーの多くはもっと寛容なのではないかと。たとえ元夫とは会いたくないと思っていても、子どもにとって必要な存在であることは十分に理解しているのではないか、と思えるようになりました。

――すると、今考えると、西牟田さんの元奥さまも生き残り、幸せになるために「究極の選択」をしたというお考えですか? 西牟田:うーん……すみません、僕の中でその答えはまだ出ていません。ただ、自分が深く考えなかった経済的な不安は彼女にとっては相当に大きかっただろうし、その上で、僕自身が支えてもらうことばかり考えていて、自分が夫として父親としてどうやったら家族を支えていけるか、ということを真剣に考えられていなかったことは痛感しています。本当に大人になりきれていなかったんですね。何度も修正するチャンスはあったのに、妻の気持ちと正面から向き合わなかった積み重ねが、「子どもを連れて出て行かれた」という結果になったのだと思います。自分の中で何か結論が出たわけではないですし、自分と向き合う作業はこれからも続けていきます。

――この本の取材、執筆を通して、共同親権や共同養育に対するスタンスに変化はありましたか? 西牟田:今でも共同親権の導入に賛成であることには変わりませんが、もっと柔軟に対応すべきだとは考えています。たとえすぐに民法が改正されなくても、世の中全体は「子どもは夫婦一緒に育てるもの」という意識はもっと強くなっていくはずです。学校教育では家庭科と技術の授業は男女別ではなくなっていますし、共働き夫婦の増加で男性の育児意識も以前よりもはっきりと高まってきました。離婚後の共同養育に関する親教育はもっと充実させるべきだと思いますが、今の30代~40代は「共同養育」という価値観は自然と身についているように思います。

共同親権や共同養育の議論は、強硬な反対派と賛成派のせめぎ合いがずっと続いてきました。反対派の女性支援団体などが主張している「DV被害者の救済」はDV防止法の改正など別で法整備をしていくべきですし、一部のDVだけにスポットを当てて共同親権そのものを否定する論調には同意できません。一方で推進派の人たちは、元妻側とかなりモメてしまって調停や審判に進んでいる人たちが大半で、子どもに会えないことで「相手憎し」になってしまっている部分もある。しかし、離婚した夫婦の9割は協議離婚です。つまり、強硬な推進派の人たちもまた「少数派」なのです。少数派同士が賛成、反対を主張し合っても、建設的な議論にはなりません。もっと社会の全体像をとらえながら、「どうやったら子どもとの関係が途切れない社会にしていくか」を議論すべきだと思います。男性側も「連れ去った元妻が悪い」と凝り固まった考えにこだわるのではなく、妻が「究極の選択」をしなければいけなかった背景をもっと考えるべきだと思います。今回の本がその一助になれば、と思っています。 (構成=AERAdot.編集部・作田裕史)

西牟田靖(にしむた・やすし) ノンフィクション作家。1970年、大阪府生まれ。神戸学院大学法学部卒。中国経済や家族をテーマにした記事を雑誌やウェブメディアに執筆している。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『本で床は抜けるのか』『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)など。

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