この間、「親子断絶防止法」という法律の対応に振り回されている。
例えば、「週刊金曜日」は「子どものため? 親のため? それとも……『親子断絶防止法案』は誰のためのもの?」とタイトルを振って、7ページも割いて特集している。冒頭は「問題のある別居親のための法律は必要ない」という弁護士の斉藤秀樹の論文を載せている。びっくりした。
たとえば、「問題のある部落出身者のための法律は必要ない」や、「問題のある労働者のための法律は必要ない」、あるいは「問題のあるシングルマザーのための法律は必要ない」というタイトルを振って週刊金曜日が記事を作ったら、いったいどうなるだろう。ぼくは別居親を名乗っているが、リベラルや反権力を標榜している雑誌だけに、そういう人たちの間に出ていくのが正直怖くなった。なるほど、知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で起きた大量殺人事件では、犯人から見て「問題のある」障害者が選んで殺されたという。その後、障害者の中には街中を歩くのが怖くなったと心情を吐露する人もいた。その感覚が何となくわかる気がした。
ぼくは週刊金曜日の編集長に、事前にどう考えているのか聞かれて、法律には反対している、と答えた。週刊金曜日の特集とは反対の理由でそう答えたのだけれど、週刊金曜日が作る記事の水準は想像できた。何しろ、週刊金曜日で共同親権運動について企画を上げてもほとんど通らないし、通っても「DVや虐待のことについて触れてくれ」や「宗像さんはいいけど、ほかの別居親の方は……」とあからさまな差別を受けるので、うんざりして書く気がうせた。以後「エア人権、反権力の雑誌」として金曜日とはつきあっている。「事前にもうちょっと中身のあること議論したらどうですか」とそのときは答えたけれど、期待外れを通り越したヘイト記事に、当然ながら週刊金曜日に申し入れることにした。また上京の理由が増えた。週刊金曜日はスローライフの敵だ。
ミサンドリー
ようやく最近、男性に対する蔑視表現が指摘されるようになった。夫のことを指して「粗大ごみ」というような差別表現はメディアでさして問題とされてこなかったのだ。民主党代表の蓮舫が、夫の家庭内での地位の低さをテレビ番組で誇っていたそうだ。それを許す家族関係と言ってしまえばそうだけれど、「夫なんだから妻はたまに殴りますよ」とテレビで誇らしく言う男が、二度とテレビに出られないだろうことは想像がつく。
こういった男性嫌悪・蔑視の表現は「ミサンドリー」と呼ばれるそうだ。フェミニズムの中での「ミソジニー」の対語ということになる。前号で紹介した久米泰介さんは、『広がるミサンドリー ポピュラーカルチャー、メディアにおける男性差別』というカナダの大学の先生が出した本を昨年翻訳している。
もちろん、親子断絶防止法に関しては、週刊金曜日だけでなくて他のメディアでもヘイト記事が作られている。その中では、「オーストラリアの親子断絶防止法は失敗した」(産経新聞や武蔵大学教授の千田由紀)といったあからさまな情報操作もある。オーストラリアにはそんな法律はそもそもない。週刊金曜日でも、斉藤は「2006年からわずか5年で離婚後の共同養育を柱とする法律を柱とする法律を廃止している」と解説するが、そんな事実もない。
アメリカでは面会交流中の殺人がたくさんあって日本もそうなると斉藤は言うが、もちろん、日本で虐待の加害者として一番多いのは実母である。父親の養育時間が増えれば、父親による子殺しは増えるかもしれないが、母が殺していた子どもの割合を父が分け合うというのはいいことではないが、客観的に見て想定できることだ。だから、父と会せれば子どもが殺されるとする「面会交流殺人」という表現はヘイトである。そもそも子どもと会えなくて怒った父親が、月に1回の面会を裁判所に決められて腹いせに子を殺したのなら、それは「単独親権殺人」だ。
親子断絶促進法
日本では、子どもを連れ去って会わせない行為が放置されていて、連れ去ったほうが裁判所で夫のDVを主張することは実に多い。だから会わせなくていい、という理屈だ。しかし、申出だけで住所秘匿ができ、しかも子どもを確保したほうに裁判所では親権が行くので、DV法の支援措置が親権を取るために使われている事例もあまたある。もちろん、診断書の偽造なども、欧米並みに行なわれている。
しかし問題は、親としての権利義務が、何の審査もなく自動的に解除されてしまう点だ。まさに子どもと引き離された時点で、法の枠外に親たちは置かれてしまう。被害者にもかかわらず、親たちが「子どもと会いたい」と言えば、「DV男のワガママ」「寄りを戻すために子どもを利用」となる。ぼくに言わせれば、子どもを会わせないのは「虐待母のワガママ」で「親子関係を切って関係を終わらせる」のは立派な子どもの利用だと思うのだけれど、男性、別居親側の被害は意図的に無視されてきた。
親子断絶防止法の構造は、「連れ去りはよくないけどやっていい」「両親との交流は大事だけど、DVや虐待は例外」という、現在の無法な親子断絶の論理を温存していて、例外措置はそれでは足りない、という反対派と、とにかく立法措置が必要という推進派がじゃれあっていたところに、そもそも現在の体制を温存しさらに固定化する法律は、子どもの連れ去り問題にとってマイナス、と掲げてぼくたちが反対派として参戦してきた、という構図になっている。断絶規定を明文化した法律なんて、そもそも「親子断絶推進法」だろう、と同居親中心の反対派+別居親の推進派、両派に反対、というのがぼくたちだ。そもそも現在の体制温存という点では、推進・反対両派は同じ穴のムジナである。
(宗像 充「府中萬歩記」39号に掲載)