宗像充のホームページ「単独親権でも共同養育はできる?」

一昨日、長野県庁で記者会見をした。

勝手連で「子育て改革のための共同親権プロジェクト」を長野駅でした後、賛同運動と長野市と大鹿村に陳情を提出した件について、会見を開いた。県内で共同親権陳情は初めてなので、信濃毎日が記事にしてくれた。

会見では、記者数名と県庁の職員も来て聞いていた。

地方紙の記者は、「単独親権でも共同養育はできる」という議論があるけどどう思うか、とこの問題でよくある疑問をぶつけてきた。予習している。

単独親権でも共同養育できるカップルがいるのは当たり前だけど、だったら共同親権でそういうカップルが増えたらもっといいじゃないと思う。だからこういう質問は意味はない。

だけど記者には、「単独親権で共同養育はほんとうにできるんですか」と聞いた。

問題は親権がなかったら子どもに会う保証がなくなるということだ。どちらかに親権を決めないといけないとなると、親権を奪うために連れ去ったりもするし、相手になつかれたくないから引き離しもする。

お互いの関係が法的にも対等であること、男女平等が進むこと、離婚しても子どもから見たら双方の親の地位が変わらないこと、それが明確であれば、相手より優位に立とうと相手の養育を妨害する動機がなくなる。つまり、単独親権で共同養育という状態を維持することはできるが、それは常に猜疑心との闘いになる。実際、しばらくは別れても子どもと会えていたのに、再婚や別のきっかけで子どもと会えなくなる親はとても多い。

宗像さんは共同養育に反対してるのか?

という問いがうわさされているというのを仲間に聞いた。そんなの直接聞けばいいのに、と思う。そもそも共同養育は状態なので、状態に反対してもしょうがないと思う。

というかこういう問いを出す人は共同親権に反対なのだろうか。

ぼくが共同親権を強調するのは、共同養育という状態を作り広めるためには共同親権が大前提だからだ。だいたい共同養育を求めている別居親たちは、単独親権でも共同養育ができていない自分の状態は何が原因だと思っているのだろうか。権利が対等でないことは問題ではないのだろうか。そもそも100日の面会を求めるといっても、それが権利なら、あえて共同養育を強調することに何が意味があるのだうか。

親の権利はもううんざり、とか言ってる人たちは、子どもの視点から見て双方の親が決定にかかわって責任を分け合うことは子どものためとは考えないのだろうか。そもそも子どものためには共同親権ができたほうがよくて、それができる制度と支援を広めたほうがいいと思うのだけど、それに反対するのはどうしてだろう。

「権利ばかり言って」という批判を恐れてということなら、そもそも運動なんてする意味あるのだろうか。「権利ばかり言って」なんて女性運動でも、少数民族の運動でも、差別される側は何度も繰り返し言われてきたことだ。運動したくないならそれもいいけど、だったら他人のことを品評しなくてもよさそうなものだ。

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4年前