”連れ去り”の闇、3年間、毎月19万円を妻に払い続けても我が子に会えない男の苦悩

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11/17(火) 11:03配信

デイリー新潮
連れ去り 我が子に会えない親たちの告白1

ある日突然、父子は引き裂かれた(※写真はイメージです)

 ある日突然、妻や夫が子供を連れて家を出てしまう。その日から“制度の壁”が立ちはだかり、我が子に会えなくなる。日本ではこのような「連れ去り被害」が続出している。背景にあるのは、日本特有の「単独親権」制度だ。初回は、些細な夫婦ケンカがきっかけで、妻に3人の子供を連れ去られた40代サラリーマンの話を紹介する。

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 月に1度、子供たちに手紙を書く。便箋はイラスト入りの子供向けのものだが、長女にはピンク、長男・次男にはブルーと、使い分けるようにしている。

 文体も変える。小5の長女ならば、もう常用漢字は読めるはずだ。小2と小1の長男・次男には、優しい漢字を用い、ルビも振ってあげねばならない。机に向かい、3人の顔を思い浮かべながら、彼らが喜びそうな話題を一字一句、丁寧に書いていく。最後に“おまけ”として入れる「クイズ」を考えるのが、彼の楽しみだ。

 あっかんべー と1000回いってから たべるものってなに? 
 くちから だして みみに いれるものは なに? 

 一緒にいた頃は、いつでも、こうして子供を喜ばせることができた。だが今の彼には、こんなたわいのないことすら叶わない。野崎剛(40代、仮名)が、3人の子供たちに手紙を送るようになって2年近くになる。

「最初は、文通に一縷の望みをかけていました。返事が届くようになれば、きっと状況は開けるだろうと」

 だが、そんな希望は萎んでしまった。20通近く手紙を出し続けているが、返事が来たことは一度もない。気づけば、子供たちに会えない日々も2年半以上になった。

 子供たちは手紙を読んでいると思うか? そう尋ねると、野崎は苦笑し、首を横に振った。

「おそらく、読んでいないでしょうね」
ある日突然、連れ去りは起きた

ある日突然、連れ去りは起きた(※写真はイメージです)

 始まりは、3年前の「風呂掃除」であった。野崎家では、最後にお風呂に入った者が湯船の栓を抜いて掃除する、というルールがあった。

「私は前日、仕事が長引いたため帰宅は遅く、家族の中で最後に風呂に入りました。ただ、初夏の時期だったのでシャワーだけで済ませ、湯船に湯が張られていることに気づかないまま、寝てしまったのです」

 翌朝、起きると妻が「なんで風呂を掃除していないの」と、烈火のごとく怒っていた。

「機嫌が悪いんだと思いました。こういう時、私はあまり相手にしないことにしていました。そして、黙って風呂場に向かい、掃除を始めたんです。ただ、その日の妻は怒りが収まらず、『そんなんで掃除しているつもり?』となじり始め、やがて『もう家を出て行って』と癇癪を起こしました」

 野崎もカッとなった。なんで風呂を掃除しなかったくらいで出ていかねばならないのか。家の頭金やローンは全て野崎が払っている。「あなたこそ出ていって」と言い返すと、朝から空気が悪くなった。

「和解できないまま、私は会社に向かいました。会社から仲直りするためのラインを送りましたが、妻の機嫌は収まらず……。悶々としたまま帰宅すると、もう家には誰もいませんでした。妻は子供たちを連れて実家へ帰ってしまっていたのです」

「連れ去り」が起きていた。だが、この時の野崎は、「連れ去り」という言葉も、その言葉の持つ重みも知らない。

「数年前に一度、同じようなことがありましたが、その時はホテルに一泊して帰ってきたので、今回もそのうち帰ってくるだろうと思っていました。が、その後いくら連絡を取っても、妻は頑なに帰ることを拒否。そして、離婚したいと言ってきたのです」

住民票が閲覧できない。子供たちはどこへ……

 幸い妻の実家は近所だったので、10日ほど後、喫茶店で話し合いの場が持たれた。だが、妻が決意を翻すことはなかった。

「彼女は、15年間の結婚生活で鬱積した私への不満を打ち明けました。過去の私の言動も含まれていたのですが、中には言われて初めて、“そんなに不満に思っていたんだ”と気づかされた話もありました。ただ、私は浮気もしていませんし、妻や子供に手を挙げたこともない。言葉の暴力も一切ありません。だから、時間をかけて話し合いを続ければ、きっと解決すると信じていました。妻側が養育費と生活費を要求してきたので、それから月々19万円払うことになりました」

 話し合いは平行線のまま一向に進まなかったが、この頃は、2週に1度くらいの頻度で、子供たちに会えたという。

「連れ去られたのは7月末でしたが、その後しばらくは、娘の習い事や息子の運動会などで、子供たちとは接することはできました。11月には長男の七五三も家族5人でやっています。ただ、妻は『食事は一緒にしたくない』と言い、“儀式”が終わると子供を連れ帰ってしまった。長女はもう小学2年生だったので、何が起きているかはわかっており、私と会うと緊張している様子が見て取れました。一方、長男は年中、次男は年少でしたので、無邪気に私のところへ寄ってきました」

 だが、クリスマスを迎え、プレゼントを渡したいと連絡しても断られ、正月も会えずじまい。そのうち、妻との連絡自体も途絶えるようになってしまった。

「10月あたりから、本格的に弁護士に相談をし始めました。そして10月末に、妻が『引っ越しを考えている』と話していたことを思い出し、嫌な予感がして区役所に行ったのです。すると、住民票に閲覧制限がかかっていました」

 この時、野崎は、我が子の住む住所を調べる術がなくなったことを知った。

 日本では離婚すると、どちらか一方だけが親権を持つ「単独親権」制度が取られている。だが、野崎は別居をしていたものの婚姻中であり、歴とした親権保持者だ。なぜこのようなことが起きてしまったのか。

「おそらく妻が、地域の警察署や女性センターに駆け込み、私にひどいことを言われた、などと訴え出たのでしょう。すると、相談記録が作成される。それを役所に持って行くだけで、簡単に閲覧制限がかかってしまうシステムになっているのです。繰り返しますが、私はDVをしたことは一度もありません。もちろん、妻にこのような方法があると指南している弁護士がいます」

同時に始まった離婚調停と面会交流調停

離婚後の単独親権は「違憲」として国を訴えた原告団(2020年10月21日、東京・霞が関の司法記者クラブ)

 このままでは埒が明かない。そう考えた野崎は、17年11月、家庭裁判所に円満を希望する「夫婦関係調整調停」と「面会交流調停」を申し立てた。それを受けて妻側は、離婚を希望する「夫婦関係調整調停」を申し立ててきた。

 二つの調停が始まって少しして、突然、妻は日時を指定し、子供たちに会わせると連絡してきた。

「後から考えると、妻側が調停を有利に進めるための戦略の一環だったのでしょう。ただ、私としては3カ月近く子供たちとは会えていなかったので、救われた思いでしたね」

 季節は真冬だったが、陽が差した暖かい日であった。

 午前中にまず、娘の学校行事のマラソン大会を応援することが許された。野崎は自宅近くの会場へ向かい、目の前を駆け抜ける娘に向かって、路上から歓声をあげて応援した。彼らは引っ越したものの、転校はしていなかった。

 その後、息子たちとは公園で落ち合い、サッカーをした。

「息子たちは久しぶりに私に会えて大喜びでした。『暑い』と上着を脱ぎ、夢中でボールを蹴り続けていました。しばらくすると、近所の友達が加わり、戦隊ヒーローごっこに。やがて約束の1時間半が過ぎ、妻が迎えにきましたが、息子たちは『ねえ、お願いもっと』と妻に懇願し、30分延長してもらいました」

 夕方には娘が自宅に帰ってきて、5分だけだが玄関先で会話もできた。

「娘とも、以前と変わらない感じで接することができました。子供たちに負担をかけたくないと思ったので、夫婦間で起きていることについては一切口にしませんでした。ただ、心の中で“もう少しの辛抱だ。必ずパパはママと仲を取り戻すから”と彼らに訴えかけていました」
“パパと会うとママは苦しくなっちゃう”

 だが、事態は解決に向かうどころか、悪化していくのである。17年12月から始まった離婚調停は、3月に不調で終了。一方、面会交流調停のほうは、遅々として進まなかった。

「2カ月に1度くらいの頻度で裁判所に通うのですが、妻側は『子供が会いたがっていない』と頑なに主張し、面会交流を認めませんでした。私は妻側の主張がまったく理解できませんでした。会って、子供たちに危害を加えるわけでもない。連れ去るわけでもない。なぜ妻がそこまで態度を硬化させるのか」

 ようやく9月になって、家裁の調査官が子供たちの意向や心情を調査することになった。調査官は、まず妻宅を訪問、その後、家裁に呼び出すという手順で、子供たちに2回、聴き取りを実施した。だが、翌月開かれた調停で、報告書を手にした野崎は愕然とする。

「長女は『一番いいのはパパの性格が変わって、5人で喧嘩しないで暮らすことなんだろうけど、それは無理だと思う』と。長男も次男も『パパと会うとママは胸が苦しくなっちゃう』と、面会交流に否定的な話を調査官にしているのです。それを踏まえた調査官の意見は、『間接交流が相当と考える』という結論でした。調停員も、『面会は難しい。まずは間接交流から』と強い口調で誘導してきました」

「家裁は事務的に作業をこなしていただけ」

 間接交流とは、すなわち手紙のやり取りである。夫は月に1度だけ子供たちに手紙を出せ、受け取った妻は、子供たちが返事を書いたら返信する。加えて、妻は3カ月に1度、子供たちの写真を夫に送る。それが妻側の合意案だった。この条件を蹴れば、調停は不調に終わり、審判に移行する。

「調停員は畳み掛けるように『もし審判に移行したら、月1回の手紙も、もっと減らされてしまうかもしれませんよ』とプレッシャーをかけてきました。私の弁護士も、『手紙を出せたほうがまだ目があるだろう』と。結局、私は、プロたちがそう勧めるなら、と合意してしまったのです。が、これが大きな失敗でした。一度、調停に合意してしまうと、ひっくり返すことが難しいのです」

 なぜ失敗だったのか。答えは冒頭で伝えた通り、交流とは名ばかりの、一方通行の文通になってしまったからだ。野崎は家裁に騙されたと憤る。

「結局、彼らはただ事務的に、作業をこなしているに過ぎません。私が最後に子供たちと会った2月、彼らが私を嫌がっている様子などまったくありませんでした。息子に至っては、『もっとパパと遊びたい』とすがりついてきた。それがなぜ、パパに会いたくないと変わってしまったのか。調停が続く間、長時間、私たちが引き離されてしまった影響だと思います」
「家裁の不作為が私と子供を引き裂いた」

 彼が特に疑問視するのは、調査員調査が9月に行われた点である。

「11月に調停を申し入れてから9カ月もの間、父子は引き離された状態にありました。当然、父親不在の家庭が常態化してしまいます。子供たちは、唯一そばにいる親を大事に思うだろうし、母親がパパと会うと苦しいと言えば、当然、母親の肩を持つでしょう。彼らは幼い子供です。大人の顔色を窺い、本音を言えるとも限りません。後で勉強して知ったのですが、イギリスでは別居が始まると、すぐに調査官を派遣するそうです。そして、6回も聴取を繰り返し、子供の心身状態をあらゆる角度から検証し、『片親疎外』が起きていないか調査するのです。私は家裁の不作為が、私と子供たちを引き裂いたと思っています」

 片親疎外とは、同居親が子供に不適切な言動などを取ることで、別居親との関係が破壊されることだ。

 現在は、妻側が起こした離婚裁判が続いているが、

「もし離婚が成立してしまえば、親権は妻側に行ってしまうでしょう。裁判所は『監護の継続性』といって、いま現在、妻と暮らし続けていることだけを重視します。結局、日本の司法制度は、“連れ去り勝ち”を許してしまっているのです」

「離婚弁護士」は子供から父親とお金を奪う

 野崎の怒りの矛先は、家裁だけではない。妻の背後で絵を描く、弁護士に対する憤りはもっと激しい。

「離婚が成立したら、弁護士は財産分与の10から20%を成功報酬として得られるシステムになっています。さらに、彼らは養育費からも成功報酬をかすめ取ります。実は私は、子供たちのためにもこれ以上、争い続ける意味もないだろうと、一度、財産分与700万円、親権なし、面会交流なしで和解を提案しました。しかし、妻の弁護士は安すぎると、1500万円を要求してきたため、裁判が継続することになったのです」

 野崎は語気を強めて続ける。

「弁護士は何がなんでも私たちを離婚させ、高額な報酬を得たいのです。面会交流も絶対に反対します。万一、元鞘に戻ってしまったら、お金が取れませんから。彼が妻に付くまでは、妻は子供を会わせていました。彼が付いてからは、シャットアウトです。妻の弁護士はホームページで『離婚弁護士』と名乗り、実績を誇示している。私は彼の神経が、到底理解できません。子供から父親を奪うことの、どこが成功なのでしょうか。彼の成功報酬の原資は、私たち夫婦が子供のために働いたお金です。彼は子供から、父親もお金も奪おうとしているのです」

 では、妻に対する思いはどうなのか。

「もちろん、言いたいことがないわけではありません。でも、人間同士が交わる以上、感情のもつれが生じるのは致し方のないこと。妻にも言い分はあるでしょうし、当然、責任は両方にある。ただ、だからといって、なぜ父と子が引き離されなければならないのでしょうか。私は、妻ではなく、この制度が憎いのです。そして、その制度の狭間で、金儲けを企む離婚弁護士たちが許せません」

 同様の思いを抱いているのは野崎だけではないという。野崎は様々な当事者の会に参加し、500人以上と話してきたが、最近は子供に会えない母親も増えている。11月11日には日本で6件目の単独親権による被害を訴えた国家賠償請求が提訴された。いずれも法改正を求めるものだ。野崎もその内の一つに加わっている。

「本当のところ、私自身の問題はもう、どうにもならないと諦めかけています。でも、この不条理を経験した当事者として、次の世代にこの問題を残したくない。連れ去り被害は、いつ誰にだって起こりうる話です。私の子供たちも同じ目に遭うかもしれない。彼らのためにも、私は制度を変えたいのです」

なぜ返事が来ない手紙を書き続けるのか――

 結局、3年間の闘いで、野崎が勝ち取ったものは、3カ月に1度、妻から届く子供たちの写真だけだった。彼はこの間、子供に会えぬ絶望を乗り越えながら、職場に通い続け、毎月欠かさず19万円を妻に支払い続けてきた。にもかかわらず、許されるのは写真だけ。まだ子供の親権を保持する親なのに、である。

 それも弁護士を介して催促しないと滞るという。だが、ないよりはありがたく、スマホに保存し、毎日のように眺めている。その後、裁判を通し、子供たちの住まいが判明した。幸いまだ近くに住んでいることがわかったが、一度、間接交流で合意してしまったので、仮に街で出くわしたとしても、声をかけることはできないという。

 彼が子供たちにできることは、手紙を書き続けることだけだ。返事が来ない手紙を、なぜ書き続けるのか? そう問うと、毅然と答えた。

「生きている限り、いつか会える日が来るはず。その時、彼らから“なんでパパ、会いに来てくれなかったの?”と聞かれるかもしれない。私はどれだけ君たちに会いたかったか、想いをちゃんと伝えたい。その証しが、手紙なのです。すべてコピーして保管しています」

 そして、彼はこう訴えるのだった。

「連れ去りの最大の被害者は、私ではありません。ある日突然、父親を奪われてしまった子供たちなのです。彼らはとても苦しんで今の状況を飲み込んだのだと思います。これから成長していく上で、父親が必要な場面が何度もあるでしょう。でも、私は何もしてやれない。手紙を書き続けることは、私ができる唯一の子育てなんです」

週刊新潮WEB取材班

2020年11月17日 掲載

3年前