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11/4(水) 8:01配信
現代ビジネス
写真:現代ビジネス
過去に戻ってやり直すことができたら――。誰もが抱いたことのあるこんな想いを映画にした『PLAY 25年分のラストシーン』が11月6日に公開される。
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本作の舞台は1993年から2018年のパリ。ひとりの少年の25年間の成長を通して、さまざまな愛の形を浮かび上がらせる。友情、幼馴染への初恋、親の離婚、同棲、子育て……。本作に見る人生模様は私たちの多くがたどる愛の体験だが、文化や制度が違う日本人の目には新鮮に映る愛の形もある。例えば映画の中のパリの人々は、いくつになっても、また子供がいても、新たな出会いや恋愛を大切にしている。
本作のアントニー・マルシアーノ監督への取材をもとに、フランスの結婚・離婚観について考えてみたい。
誰かのホームビデオのような映画
『PLAY 25年分のラストシーン』より
主人公のマックス(マックス ·ブーブリル)は13歳の誕生日にビデオカメラを両親から贈られる。それ以後、毎日のように家族や幼なじみたちとの瞬間をビデオに収めていく。
エマ(アリス・イザーズ)への恋心、仲良しグループで行ったバルセロナ旅行、両親の離婚、初めての車の運転、フランスのワールドカップ優勝、ミレニアムを迎える夜、エマの結婚、ファニー(カミーユ · ルー)との出会いと娘の誕生……。ビデオを撮り始めてから25年目の38歳、マックスは自分が思い描いた人生を送っていないことに気づく。その理由を求めて25年分のビデオを再生(PLAY)する彼が見つけた答えとは……? というのが本作のあらすじだ。
1990年代から2000年代のカムコーダーで撮影したかのような映像にするため、わざとブレた映像にしたり、あえて雑音を入れたりなど、緻密な計算の下に行われた本作の撮影は、通常は数日間程度であるカメラテストに半年もかけたという。その苦労のかいもあり、劇中、マックスが再生するビデオ映像は、本当に誰かのホームビデオのように見える。
ウィーザー、レニー・クラヴィッツ、オアシス、ジャミロクワイなど90年代の大ヒット曲を背景に、青春時代あるあるのエピソードが惜しみなく散りばめられているので、30代から40代の大人なら自分の過去を追体験することができるだろう。
そんな本作は意外なことに、フランス本国では幅広い年齢層に支持され、とりわけ若い世代から大人気だったそうだ。
「試写会に来てくれたティーンによると、この映画は彼らの『現在』、そしてこれからやってくる『未来』を見るようだ、と。恋愛、結婚、子育て、離婚……。すごくリアルで心が震えたと話してくれました」(アントニー・マルシアーノ監督、以下同じ)
フランスに見る多様なカップルの形
『PLAY 25年分のラストシーン』より
映画で見るように、現代のフランスの家族構造は多様性に富んでいる。カップルの形にも、ユニオン・リーブル(法的手続きを踏まない事実婚)、パックス(法的契約に基づいた事実婚)、婚姻の3種類があり、同性婚も合法だ。
フランスでは離婚しても共同親権の下に育児の義務を平等に共有するし、政府の子育て支援も手厚く、国立なら大学院まで学費は無料である。こういった恵まれた社会保障制度や教育制度のせいか、パリの夫婦は約半数が離婚するそうだ。つまり、現代のフランス人にとって結婚せずに子供をもったり、子供がいても離婚することは至極当たり前の現象なのである。
作中、マックスの好きなエマは他の男性と結婚し、マックスもまた他の女性ファニーと子供をもち同棲を始める。婚姻を選んだエマと事実婚を選んだマックス。同世代であっても、パートナーシップへの思いには個人差があり、自分らしいカップルの形を選ぶことができる。
ちなみに、ソルボンヌ大学で社会学を教えている筆者の友人曰く、最近のフランスでは、パックスや婚姻を結ぶ前にまず子供をもつ、というカップルが年々増加しているそうだ。
エマやマックスが築くそれぞれの愛の形には、自分らしさを追求するフランス人の生き方が表れているが、こういった個人主義は世代を越えて垣間見られる。例えば、マックスの両親は熟年離婚に至り、それぞれに新しい恋人がいる。そして、マックスと母親は彼女の新しい恋人についてカジュアルに話すことができるのだ。
それにしても、パートナーや親子の間でも境界線をきちんと引き、自分の幸せを追求する生き方、そして、それをサポートする法制度が整っているフランスが正直羨ましい。家父長制意識が残る婚姻制度、婚外子差別や夫婦同姓の強制が維持され、同性婚が実現しない日本とはえらい違いである。
自分らしい選択をしないことが別れの一因に
『PLAY 25年分のラストシーン』より
個人の幸せを尊重する考え方が根付いているように見えるフランスだが、それでも離婚に至るのはなぜなのか。監督に意見を聞いてみた。
「それは、時の移ろいとともに人が変わるということの他に、自分らしい人生の選択をしなかったことも、別れの一因なっているのかもしれません。もちろん、様々な文化的バックグラウンドや考えをもつ人がいるので、一概には言えませんが」
映画でも、自分らしさを見つけられていない者は、本当の愛に出会えないことが描かれている。25年もの間自分らしさを見つけられていなかったマックスは、その間、愛を成就することができていなかった。
面白いことに、マックスの職業は舞台俳優だ。彼は“自分ではない誰か”を演じる(PLAY)ことが得意で、それを生業にしている。これは、本当の自分に向き合わない状態のメタファーとも言えるかもしれない。日常を、人生を滞りなく進めるため、誰もがある程度は、本当の思いを押し殺して平気な風を演じているものだ。
自分を見失ってしまったとき、過去を振り返るのは効果的だと本作は教えてくれる。マルシアーノ監督も、本作を通して自らの過去と向き合い、心境に大きな変化があったという。
「この映画をつくることは、過去の記憶をフィルムに落とし込み、もう一度人生を振り返るような経験でした。本当に、後悔でいっぱいの過去でしたね(笑)。でも一種のセラピーのような効果があったような気がします。ずいぶんと癒やされましたから」
映画のタイトル『PLAY 25年分のラストシーン』は、過去を再生(PLAY)することで、過去から学び、それを活かして未来を再生する(PLAY)ことを意味する。社会規範や思い込みから解放されて、本当の自分らしい選択ができるようになったときに、私たちは思い通りの人生のラストシーンを描くことができるのかもしれない。
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『PLAY 25 年分のラストシーン』は11/6(金)より新宿武蔵野館、YEBISU GARDEN CINEMA、 kino cinema 立川高島屋 S.C.館ほか全国順次公開
配給:シンカ/アニモプロデュース
(C)2018 CHAPTER 2 – MOONSHAKER II – MARS FILMS – FRANCE 2 CINEMA – CHEZ WAM – LES PRODUCTIONS DU CHAMP POIRIER/ PHOTOS THIBALUT GRABHERR
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此花 わか(映画ライター)