共同親権制度が生まれることで何か子どものために効果があるとすれば何か 家族分断法体系は温存されるのか 

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まもなく日本も、離婚後も共同親権とする制度が生まれます。
この法制度化に、私は多くの労力を使おうとしていません。

理由は
①外圧による国際水準化なので、共同親権制度はどうしても生まれる
②過剰な期待をすることは大変危険である。
③法律や司法によって子どもの幸せを図ろうとすることは間違い
ということになります。

①先ず、国際水準化ということですが、離婚後親であるにもかかわらず、子どもに対する権利がなくなってしまうというのは、国際的にみて産業貿易が普通に行われている国では日本くらいだということです。特に欧米は、日本人の子どもの連れ去りを犯罪視していて、根本原因が日本の法制度が、離婚によって一方の親の親権をはく奪する単独親権制度にあると見抜いていますから、共同親権制度にしろという圧力がとても強いのです。親権制度は内政干渉にはならず、子どもの人権問題だという正当な理由がありますから、外圧はやむを得ません。日本は、EUの会議等では、北朝鮮と同じ拉致を容認する国だという扱いになっていますので、親が離婚したからと言って子どもとの関係に変化が起きるという法制度を変更することになるでしょう。

②それに対して、子どもを連れ去られた親御さんたちが、共同親権制度に過剰な期待をしていることが心配されます。共同親権制度になれば、子どもの連れ去りがなくなるとか、子どもと面会できるようになるとか、そのようなことを考えていれば、それは間違いだとはっきり言えるでしょう。なぜならば、現実に夫婦が離婚前であれば、現代日本も共同親権です。共同親権の中で連れ去りは起き、子どものもう一方の親への面会は同居親によって阻まれています。別居親は、自分に責任が無くても監護権が裁判所によって奪われ、どこに子どもがいるかもわからない状態が多発しているではありませんか。

③そもそも、連れ去りや面会妨害は、両親の不仲によって発生します。どちらか一方に主たる原因があることが多いのですが、どちらか一方だけに原因があることも少ないように感じます。そして、同居親は、様々な事情で(別居親に主たる原因が無くても)、別居親を嫌悪し、恐怖を覚え、子どもと別居親が交流することを嫌がっています。このような状況を直視し、現実を改善する手立てを講じないまま、法律や裁判で制度を変えたところで、親子の効果的な交流や連れ去り防止ということは変わらないということにこそ、気が付かなければなりません。連れ去りや面会拒否は、親権制度の問題というよりも、感情の問題だと私は思っています。この感情問題を少しでも解決することによって、子どもにとって有効な交流や連れ去り予防を講じていくことこそ本論だと思っています。
 親子というものは、国がどういおうと法律がどう変わろうと、親子なのです。家族で解決することが最も妥当な解決を図りうると考えています。法律をどうのこうのとするよりも、家族が幸せに暮らす工夫の知識、人的物的支援の充実で解決するべきだと私は考えています。

このように共同親権制度に水を差す議論を始めたかというと、理由があるのです。私の考えは正しいと思うのですが、それでは、なぜ、ヒステリックに共同親権反対を叫ぶ人たちがいるのかということに着目したからです。法律家や学者といった、論理を大切にしなければならない人たちまでもなりふり構わずに、感情論で離婚後の共同親権制度に反対しています。加熱するののしりの外から見れば、大変気の毒な議論に終始しているとしか見えないのです。そして、その論拠が見えない。ここを、つまり、彼ら、彼女らが本当は言いたいけれど言えない反対する理由があるのではないかということが着目されるべきなのでしょう。

共同親権反対者の先生方は、連れ去りや面会交流拒否を支持しているようです。このことの是非については今日は議論しません。大事なことはどうやら、離婚後の共同親権制度ができると、連れ去りや面会交流拒否ができにくくなると考えているようです。もしかしたら高名な学者や法律家の先生方の危惧は正しいのかもしれません。検討してみましょう。

連れ去りをする親、高名な先生方が擁護するのは女性限定なので、妻と置き換えて論じます。連れ去りをする妻たちは、本気で夫を嫌っています。但し、離婚事件の中では、いわゆる日本ではレノアウォーカーが有名ですが「配偶者加害」として国際的に論じられているような暴力があるケースは稀ですし、マリーフランスイルゴイエンヌが「モラルハラスメント」で取り上げた自己愛型パーソナリティー障害の疑いのあるようなモラハラも日本の離婚事件ではほとんどありません。通常の市井の夫婦の問題がある事例がほとんどだということは指摘しておきます。ただ、夫の方は、妻の精神的異変に気が付かず、例えば子どもが生まれる前と後と、妻への対応を変えておらず、それがために自分の行動を修正するべきだったということに気が付きません。そのため、妻が一方的に自分に卑劣な仕打ちをする、あるいは弁護士や行政が妻をそそのかしたという把握の仕方をします。このため、さらに絶望が深くなり、精神的ダメージも大きくなるという悲劇を起こしてしまいます。深入りするときりがありませんね。

高名な先生方はこのような事情を知りません。ウォーカーやイルゴイエンヌ等の書籍を結論だけ輸入した講学上の知識で、妻が苦しんでいるのは、夫が悪い、女性は攻撃を受ける被害者で、被害者を攻撃をするのは男性という加害者だという単純な二者択一的思考をされますので、直ちに苦しんでいる妻を加害者である夫から解放しようという使命感に燃えられるようです。彼らにとっては正義感なのでしょう。正義感が人を盲目にして、考えなければならない本当の利益、ここでは子どもの利益を考慮できなくなるという典型例ですね。

どうやって妻を解放するか(家族分断の法・実務体系)。
とにかく夫から逃げる。夫を妻に近づけさせないようにする。女性が子育てをするべきだというジェンダーバイアスがかかった考えがあるので、女性は子どもを連れて逃げなければならないという流れになります。
行政や警察は妻を隠し、住民票を非開示にして、夫が探し出して近づこうものなら、保護命令やストーカー規制で妨害する。裁判所も、子どもは女性が育てるべきだというジェンダーバイアスと、女性は家で子育てをするべきだという時代錯誤的な感覚がありますし、言った当の本人(ボールビー)が否定している、人間は最初に一人(母親)とだけ愛着を形成するという理論を未だに修正しない継続性の原則を金科玉条としています。連れ去りさえすれば子どもを手元に置くことができる法体系になっているわけです。これには例外があります。夫が子どもを連れ去ったケースに限って、裁判所は原則論に立ち返ります。妻に子どもを戻せという決定がいくつか出ています。また、最初に子どもが生活し、友人たちも親戚もいるという環境から分離して、未知の生活を押し付けても誘拐罪は適用されません。逆に父親が元居た場所に子どもを戻すと誘拐罪で逮捕されます。極めて男女不平等というか、恣意的な運用がなされています。
さて、逃げ続けるという単純な作戦なのですが、これは逃げろ逃げろという人たちにとってはそれほど負担はないかもしれません。ものを考えないで済みますね。しかし逃げている妻本人は大変精神的負担がかかります。怖いから、嫌だから逃げていたはずなのですが、次第に逃げているから怖いという感情がわいてくるようです。いつ夫が自分のところに来るかという余計な心配が増えるからです。これは10年たっても消えないケースもありました。それはそうです。元々、理由なく不安を感じていただけの精神的に影響がある疾患を患っていた人が、不安には理由があるということを断定されたため、理由が存在する限り不安を抱かせられるよう呪いをかけられたようなものだからです。
このため、逃げることは長続きすることが難しいのです。逃げたゴールが必要なのです。それが、離婚です。日本の家族法は、法律の体裁をよそに、離婚したければ離婚ができるように裁判例の変更がありました。但し、夫からの離婚だけは、離婚したいから離婚できるわけではないという判例があります。妻からの離婚は、離婚意思が固いとして婚姻破綻があるとして認められる傾向にあります。もちろん子どもの親権は連れ去った同居親たる妻にあり、単独親権制度の下では夫の親権は奪われる。そうすると、あとは強制力のない面会交流の決定は無視して、強制執行できる養育費だけは受け取って、夫とは顔も観ず、声も聞かず、メールも受け取らない、全くの別人になれる。
単独親権制度は、このように家族分断の法律と実務の体系の最終目標となっていたということだったのです。
だから、なりふり構わず離婚後の共同親権制度に反対しているのかもしれません。

この考えが正しいとしたならば、共同親権制度は止められないとするならば、彼らは換骨奪胎を狙ってくるでしょう。逃げるゴールを温存させようとするわけです。これが、選択的共同親権制度というものですが、名前を変えてくると思います。原理はこうです。原則共同親権だが、当事者が同意しなければ単独親権となるというものです。つまり、連れ去りをするような妻は自分のケースでは共同親権には同意しないでしょうから、これまで通りの単独親権になるという「落ち」です。
ゴールがある以上、連れ去りは起こるでしょうし、面会交流拒否は継続されるでしょう。共同親権推進グループの中で政治家が選択的共同親権を創設すると演説していましたが、ブーイングは起きなかったようです。現在の実質的単独親権制度である選択的共同親権をもくろんでいる勢力があるわけです。これで単独親権制度に批判的な諸外国を言葉で交わそうとしているわけです。共同親権という言葉に惑わされて、その内容を吟味しないで、一歩前進なんてごまかされて、実質的に選択的共同親権制度を応援してしまうことが起こりうることを示していると私は思います。

4年前