https://news.yahoo.co.jp/articles/6778caf05b04bf1117806fcd01123ca094587461?page=1
ある女性は「離婚届に判を押すまで寝かせない」と毎晩離婚を強要され、子どもを奪われた。ある女性は、子どもに会えない中で『しね』『ババア』と書かれた紙と一緒に写った子どもたちの写真が送りつけられる――今、自分の子どもに会えず、悲嘆に暮れる母親が増えている。夫婦の離婚後、子どもの親権をどちらか一方のみが持つことになる日本の「単独親権制」。親権を確実に自分のものにするために、相手の非をあげつらって子どもに会えなくしたり、子どもにもう一方の親の悪口を吹き込み「会いたくない」と言わせたりする意図的な「引き離し」が横行している。こうした被害を訴えるのは、かつては男性が多かったが、実は母親も同じ目にあっていることがわかってきた。
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9月16日、厚生労働省で、離婚や別居によって子どもに会えなくなった母親たちが記者会見を開いた。23人の母や祖母が集まり、その体験を語った。
不貞を繰り返す夫の元を離れる決意をしてから、夫と義母によって3人の子どもと引き離されたという30代女性Uさん。別居の原因は夫の不貞行為だったにもかかわらず、子どもは夫と義母に奪われ、面会すら認められない。月に1度、写真だけは送ってもらう約束をしたが、自身が子どもたちに宛てた手紙を破っている写真や、「しね」「ババア」「バカ」などと書かれた紙を持っている写真、中指を立てたポーズをしている写真などが嫌がらせのように送られてくる。
また、子どもに会えない祖母の立場で登壇したMさんは、娘が子どもの引き離しに遭い、孫と会うことができない。娘は出産後、精神的に不安定だという理由で実家に帰され、実子との面会も断られ続けた。2年後、最愛の娘は自殺した。
実の子どもと引き離される女性たちに、まったく子どもに会えなくなるほどの、ましてや自殺に追い込まれなければならないほどの非があったのか。「子どもに会えなくなるなんて、あなたにも何か悪いところがあったのでしょう?」と周囲に言われ、「自分が悪いから子どもに会えないのか」と誰にも相談できずにひとりで苦しみ続ける当事者も多い。
実際には、どのように子どもと引き離されてしまうのか。産後うつで実家に帰っている間に、子どもに会えなくなってしまったひとりのお母さんのケースを紹介したい。
あやさん(仮名)は、6年前に長男を出産。抱っこの仕方、授乳、おむつ替え、寝かしつけ、どれも初めての体験にとまどいながらも、試行錯誤しながら子育てに励んでいた。しかし、産後3週間を過ぎたころから、夜眠れないことが多くなり、精神的にもつらくなってしまったため、夜間のミルクだけは夫に代わってもらうようになった。
それでも精神的な不安から一睡もできない日が何日も続き、夫に「眠れなくてつらいよ……」と助けを求めた。しかし夫は「眠らせてくれ。話しかけないでくれ」と面倒臭そうな態度。あやさんはどんどん追い詰められていった。
しばらくすると、夫から「2人分の面倒は見られない。1人で実家に戻って休んだらどうか」と言われたため、あやさんはこのままうつ状態が続くよりは、早く心身の健康を取り戻すほうを優先したほうが、この子にとっても、今後の夫婦関係にとってもいいのかもしれないと、数日間ひとりで実家に帰ることにした。長男の翔くん(仮名)がまだ寝返りを始める前、産後1カ月のことだった。
実家に戻ってすぐに、夫に翔くんの様子を尋ねるメールを送っても返事がなく、ようやく1週間後に電話で話すことができたものの、「昼間も泣きっぱなしで困る」「子どもの湿疹がひどくなったのはアンタのせいだ」などと怒鳴られ、電話を切られてしまった。
あやさんは翔くんのことが心配になって、あわてて自宅に戻った。しかし、夫はあやさんが自宅に入ることを拒否。「子どもを置いて出て行ったと、近所や会社の人にも言ってある。ここは俺の家だぞ。話し合うなら代理人を連れて来てくれ。こちらはもう依頼している」などと一方的にまくし立てられ、翔くんにも会わせてもらえないまま追い返された。その後、一方的に荷物を実家に送り返され、自宅の鍵を替えられてしまった。
あやさんは「一時的な療養のために実家に帰っただけ。高齢出産で、しかも初産だったから、出産後は想像以上に大変で迷惑をかけてしまったけど、少しでも良くなったら自宅に戻るつもりだった」と説明しても、夫からは、「出産後に家事ができないなんておかしい」と責められ続け、子どもの写真1枚すら見せてもえなかった。
別居から約半年後には「産後うつが治癒した」と医師に診断されたので、夫にもそのことを告げたのだが、直後に連絡が取れなくなってしまった。ますます子どものことが心配になり、あやさんは家庭裁判所に監護者の指定と子どもの引き渡しをする審判を申し立てた。その審判の中で裁判官が、「最低でも月に1回、1時間はお子さんを申立人に会わせてください」と夫に指示を出した。あやさんが翔くんに会えるのは双方の代理人が付き添ったうえで月に1度1時間だけと、ここで暫定的に決められた。
自宅を追い出された後、翔くんと再び会えたのは、10か月後のこと。寝返りをはじめて、首が座り、ハイハイやつかまり立ちを始める瞬間を、そばで見ることができなかったあやさんは、「赤ちゃんが母親を最も必要な時期に何もしてやれなかった」と悔やんだ。
翔くんが1歳8か月になった時から、会える時間が月に1回、5、6時間となった。午前11時頃に待ち合わせて、昼食をはさんで夕方までというスタイルが続いた。「お腹空いた」と言う翔くんに、あやさんが作ってきたおにぎりを食べさせていると、終了時間ぴったりに「もう時間だ! 帰るぞ!」と夫が翔くんの腕を引っ張って、まだおにぎりを食べている翔くんのことを泣かせてしまうこともあった。
また、夫は翔くんの前でもあやさんを罵倒したり、足蹴りしたり、大声で非難したりすることもあり、そんな時翔くんは、あやさんと夫の顔を交互に見て不安そうな表情をしていたという。
親権については現在も裁判で争っているが、一審判決では夫が親権を持つことが妥当とされた。その理由は「夫や義母(翔くんにとっての祖母)との関係は問題ない、環境を変えることは子どもに良い影響ではない」というものだった。それが引き離しによるものであろうと、今の環境を継続することが子どもにとって有益とされる「継続性の原則」は、多くの親権をめぐる裁判で優先されてきた。「継続性の原則」を重視した判決は、今や裁判所の慣例となってしまっている。これに対しあやさんは、控訴をして現在係争中だ。
貴重な月に1度の面会交流でも、夫側が拒否すれば、それすらもかなわないこともあった。あやさんは、日本の裁判実務では、一方の親と子どもを引き離すこのような決定が普通なのだと知った時、「地獄に放り込まれたような気分だった」という。
現在、翔くんは6歳に成長。体を動かして元気よく遊ぶのが大好き。とても甘えん坊で、会えた時は「いつ帰るの?」とあやさんに不安そうに尋ね、一時も離れたくない様子でぎゅっと抱きついてくるという。「もっと一緒にいたい」という翔くんの気持ちに答えてあげられないことに、あやさんはつらい気持ちになる。
こうした親子の引き離しが生まれてしまう背景には、日本の単独親権制度の弊害が指摘されている。共同親権制度を導入している海外では、離婚後に子どもと別居することになった親でも子どもの年齢に応じて、面会交流のさまざまなプランが決められており、「子どもの利益」を中心に取り決めがされている。例えば、フランスやオーストラリアでは身体や情緒面の発達が著しい乳幼児は、離れて暮らす親との時間も密に取ることが推奨され、週3回、3~5時間または、週2回、6時間面会するプランに加え、長期休暇はさらに別途面会時間を設けるというオプションを付けることができるという。一方、日本では、何歳であっても「月に1回数時間」がスタンダード。乳幼児期の成長が著しい時期なども考慮してもらえないのが現状だ。
翔くんがもう少し大きくなって「なぜ自分は母親と好きなだけ会えなかったんだろう」と疑問を持つようになった時、あやさんは「父親が面会を制限していたことを知ったら、息子は傷つくでしょう」と想像する。そのうえで、「本当に子どものことを考えたら、片方の親を排除するような制度の運用は止めるべきです。子どもがどちらの親に気づかうこともなく『お父さんもお母さんも大好き』と素直に自分の気持ちを表現できるようにしてあげたいです」と訴える。
今の制度が改められ、翔くんの意思のもと、あやさんが長男とより自由に会える日はいつ来るのだろうか。その時、翔くんは何歳になっているだろうか。子どもの成長はあっという間だ。それを考えると、この問題が今の日本全体の喫緊の課題だということがわかる。
◎牧野佐千子(まきの・さちこ)
ジャーナリスト。早稲田大学第一文学部東洋哲学専修卒。読売新聞記者、JICA青年海外協力隊(アフリカ・ニジェール)、素粒子物理学の研究機関の広報など、異なるフィールドを渡り歩いた末、フリーランスに。夫はニジェールのトゥアレグ族。2児の母。