https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakatoshihide/20200904-00196581/
■基本的人権と、監護の継続性
離婚時、「単独親権」システムを明治の近代化より延々採用する我が国では、両親のいずれかのみ子どもと同居できる。この、子どもと同居できるかどうかの判断の基準となるのが、親が子どもとずっと同居していた実績、法的には「監護の継続性」と呼ばれる実態だ。
その監護の継続性の不思議さについては、以前当欄にも僕は書いた(「子の連れ去り」という道徳~共同親権を阻むもの)。それを受けて、Twitterにはこんなふうにも書いてみた。
親子は「基本的人権」だと僕は考える。
それは共同親権をめぐるいくつかの訴訟でも議題となっており、そうした訴訟の代理人でもある弁護士の作花知志氏の「作花共同親権訴訟」サイトでは、このように断言されている。
が、日本では、上の僕の記事にも書いたように、近代概念である基本的人権よりも、おそらく「イエ」概念を背景とした「監護の継続性」が重視される。
■離婚時に起こっている悲劇の5段階
単独親権システムのため、子どもはどちらかの親としか同居できない。別居する親はよくて1ヶ月に2時間ほどの「面会」しかできない。その理不尽さはたびたび当欄でも触れてきた。
その理不尽さを逃れるため、離婚を決意した親は弁護士と相談し、「監護の継続性」を手に入れるため、子どもを拉致/連れ去り/abductionしようとする。その際、拉致や離婚の根拠となるのが、「虚偽DV」であることも当欄でとりあげてきた(虚偽DVは、「昭和フェミニズム」から生まれた)。
虚偽DVを根拠として、子どもを拉致る。毎年20万組が離婚する我が国では、それが日常的に蔓延している(もちろんホンモノのDVも蔓延しているが、それは法律になるまで顕在化している)。その拉致の正確な数ははっきりしないものの、数万件あるのは確実で、弁護士によっては8万件や16万件という膨大な数字をあげる人もいる。ホンモノのDVと違い、この虚偽DVと子どもの拉致は潜在化したままだ。
現在、離婚時に起こっている悲劇は以下のように進む。
1.単独親権がベースにある、
2.「監護の継続性」により親権が決定する、
3.そのために子どもを「手に入れる」必要がある、
4.「虚偽DV」を主張する、
5.子どもを拉致/連れ去りする。
この5の事態は、これを行なう親もそれをアドバイスする「離婚弁護士」も意識していないかもしれないが、明確なDVである。
■潜在化する拉致というDV
内閣府の男女共同参画局のサイトでは「連れ去り」を明記していないものの(しいていうと「精神的なもの」のなかにそれらしき記述は発見できるドメスティック・バイオレンス(DV)とは)、興味深いことに、各自治体のサイトに「子どもを利用した暴力~子どもを取り上げる」として明記されている(たとえば八尾市サイトDV(ドメスティック・バイオレンス)とは)。
同様の記述は八尾市の他に、羽生市・陸前高田市・舞鶴市・群馬県・福岡県の各DVサイトに見られる。子どもを取り上げる(つまりは連れ去る/拉致する)は相手(夫/妻)への立派なDVだということだ。
さらに言えば、「連れ去られた子ども」にとっても、それはボディブローのように「事後的に」じわじわと効いてくる事象のようだ。直接引用できないものの、両親の離婚後(その離婚時には「拉致」もあったことだろう)、その片親の不在に対して悲しむツイートはTwitterに散見される。現実の支援現場でも、親に対する感情は複雑なものの根底に寂しさを抱く若者と僕は時々出会う。
その意味で、子どもの拉致は、拉致された子どもにとっては「第5の児童虐待」だと僕は思い始めた(身体的、性的、心理的、ネグレクト、の次)。
その結果、子どもが抱く「鬱」や「不幸感」にもそれは背景化しているのではないかと僕は疑っている。日本の子どもの「幸福度」は最低であると最近報道されていたが(日本の子ども、幸福度が最低水準 ユニセフの38カ国調査)、記事にある「いじめ」のような顕在化される事象だけではなく、その不幸の背景には理不尽な両親の離婚も含まれるのでは、ということだ。
また、成人の自殺の背景にも、子ども時代の両親の突然の離婚(と連れ去りという虐待)が暗い影を落としていると思う。
子どもの拉致は、子を拉致された親にとってはDVであり、拉致された子ども本人にとっては(第5の)児童虐待となる。子を拉致された親も、拉致された子自身も、暴力の被害者だ。
現代の離婚の背景には、いくつかの暴力が渦巻いており、顕在化されたDVとは別の、潜在化するいくつかの深刻なDVが存在する。それは激しい暴力として、潜在化したまま連れ去られた親や子どもを襲う。