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後悔が押し寄せて涙が止まらない
写真:現代ビジネス
離婚したくなかった。夫と子どもの家族3人で、ずっと暮らしていきたかった。しかし、相手から離婚を望まれれば、どうにもならない。粘って籍を抜かないという手もあったのだろうが、池田多美子さん(仮名・45歳)は、これ以上、子どもを傷つけないために身を引いた。
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「最後の2年くらいは、子どもの前でも夫婦喧嘩をおさえられませんでした……」 離婚が成立したのは1年前。すでに子どもは高校生で、物理的に母親を必要とする年齢ではなかった。苗字を変えたくない、住む場所も変えたくないということで、そのまま自宅で父親と暮らすことになった。多美子さんは、元夫を父親としては100%信頼していた。多美子さんは、高齢の親の世話もあるため実家に戻った。
結婚しているときからずっと続けている看護助手の仕事は、コロナ禍の影響もあってとても忙しい。だから、平日はあまり考え込まずにいられる。ずんと落ち込むのは週末だ。 「朝、目が覚めると、どうして私はここにいるんだろう、って……。もっと元夫や子どもにやさしくすればよかった。更年期を言い訳に、きつくあたらなければよかった。まだ元夫を好きな気持ちが消えないので、後から後から後悔が押し寄せて、涙が止まらなくなってしまうんです」
———- 上條まゆみさん連載「子どものいる離婚」。離婚の原因は、夫婦の数だけあるだろう。ただ、「きちんと話し合いのできる関係か否か」は、とても大きくかかわっているように見える。離婚したくなかったけれど離婚せざるをえなかった45歳の女性が悔やむこと、そして前に進むために考えることとは。 ———-
同じ年で学生時代からの知り合い
多美子さんが結婚したのは20代後半。相手は同じ年のサラリーマンで、学生時代の知り合いだった。しばらく疎遠になっていたが、いったん地元を離れていた多美子さんが地元に戻ってきてから再会し、交際を申し込まれた。
「実はけっこうイケメンでね。ほら!」と、多美子さんは持ち歩いているミニアルバムを開いて写真を見せてくれた。たしかに。ハンサムでやさしそうな男性がニコニコと子どもあやしている。
元夫は穏やかな人柄で、高圧的な親に育てられたせいか、不満があっても口には出さず溜め込むタイプ。多美子さんはチャキチャキしていて、はっきりモノを言うタイプ。性格の違う2人は、組み合わせとしては悪くなかった。
義理の父親がお金を借りに来た
元夫からしても、父がこうしてお金を借りてくることをよいとは思っていないだろう。そして多美子さんが言うことももっともだともわかっていたのだろう。しかし親子関係は簡単には言えないものだ
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幸せなはずの新婚生活に水を差したのは、義理の父だ。
「悪口になっちゃいますけど、義理父は、たとえば飲食店などで店員さんが失敗したときに大声で怒鳴るような人。しかも公然と浮気をしている。家族は誰も逆らえずにいるようでした」
そんな義理父がある日、元夫に10万円を借りにきた。元夫は嫌とも言えずに貸し、多美子さんに報告、多美子さんは了承した。当時は共働きで、家計に余裕があったのだ。 しかし、その後すぐに多美子さんが妊娠。いったん仕事をやめることになって、事情が変わった。
「出産にも子育てにもお金がかかるので、なるべく早く返してほしいと思ったんです。元夫を通じて催促するも、なかなか返してくれない。いま思えば、悪いのは義理父なんですけど、私は元夫を責め立ててしまいました」 夫は言い返さず、黙っていた。
「そもそも私には、親が子どもにお金を借りること自体、信じられなかった。私だったら、子どもに頼るなんて絶対、しない。私が育った家庭やまわりの友だちの家庭と違い過ぎて、ヒートアップしちゃったんですよね」
多美子さんは元夫に言わず、直談判に行った。暴言を吐かれたうえに、お金は返ってこなかった。
「それで私は、義理父が大嫌いになってしまったんです」 この「10万円事件」は、夫婦それぞれの心に黒いしみとなって残り、その後もしばしば夫婦喧嘩の火種となった。
教育費のためにもフルタイムに
子どもが1歳半のときに、多美子さんはパートタイムで看護助手の仕事を再開した。医療現場は常に人手不足。資格はなくても、経験があれば引く手数多で、パート先には困らなかった。 「家事と育児と仕事とで毎日、目の回るような忙しさでしたが、あのころは充実していました。私もまだ若くて元気だったので、週末など時間があるときはパンやケーキを焼く余裕もあったんです」 その後、子どもが中学生に上がるときにフルタイムに戻った。結婚前に勤めていた病院から、ぜひ来てくれと声がかかったのだ。更年期にさしかかり、体調に不安はあったが、子どもの教育費を考えるとそれがよいと思った。
「フルタイムに戻ったら、朝は8時ごろ家を出て、夜は8時か9時ごろ帰る生活になる。いままでみたいに家事はできなくなると思い、元夫に聞いたら、別にかまわない、って。それなら、と決断しました」 もしかしたら、元夫は多美子さんの復職に反対だったのかもしれない。でも、揉め事を嫌う夫は、それを口に出さなかった。思えば、この頃からコミュニケーションが不足していた。
家族に甘えてしまった
本音を言える関係は大切だ。ただ、責め立てる形になってしまったら、相手にも逃げ場はなくなってしまう。「家族への甘え」があるからこそ感情的に言ってしまうことはあるのだけれど… Photo by iStock
実際にフルタイムで働き始めてみると、体もきつかったが、それ以上に精神的なストレスが大きかった。
「ありがちなことですが、院長のパワハラが酷かったんです。更年期症状も重くなり、帰宅したらもう布団に倒れこむ感じ。イライラも止まらず、元夫にも子どもにもそれをぶつけてしまいました。女性ならわかってもらえると思うんですけど、病気じゃないって言われても、自分ではどうにもコントロールできなかった」
些細なことで腹が立ち、元夫にけんかをふっかけた。「10万円事件」も持ち出した。 「元夫は悪くない、とわかっていたんですが……」 元夫は、うんざりした顔を見せるようになった。 言い過ぎたという自覚はある。でも、「家族なんだから」と甘えてしまった。
あるとき離婚調停の申立書が…
ある日、多美子さんに家庭裁判所から離婚調停の申立書が届いた。多美子さんにとっては青天の霹靂で、地獄の底に突き落とされた気がした。結婚15年目のことだった。 「たしかに日々、喧嘩が絶えず、夫婦仲がよいとはいえない状況でした。でも、ふつうにいっしょに暮らしていたし、何より私は元夫を愛していたので、離婚なんてまったく考えられませんでした」
そんなに不満だったのなら、言ってくれればいいのに。まずは、夫婦2人で話し合うべきではないのか。そう思ったが、気が強いけれども気の小さい多美子さんは、一つ屋根の下にいながらにして本人に問いかけることができなかった。 多美子さんは調停に出向きはしたが、何をどう言っていいかわからず、うつむいたままひと言も言葉を発しなかった。もしかして「夫婦関係をやり直したい」と言えていたら、いまとは違う結果になっていたのだろうか。調停は不成立に終わった。
素直に「やり直したい」と言えていたら…
元夫が何を考えていたかは、わからない。離婚を言い出したものの、迷いもあったのだろう。ある日、ポツンと呟いたことがある。 「夫婦仲をよくするための調停もあるんだってね」 夫婦関係調整(円満)調停のことだ。
「あのとき素直に、あなたが好きだからやり直したい、と言えていたら……。いま思えば、何回かチャンスはあったと思うんです。でも、当時の私はそれに気づけなかった」
その後、しばらく元夫は離婚を言ってこなかった。多美子さんは、「なんだ、本気じゃなかったんだ」とタカをくくってしまった。 離婚調停から半年後、夫婦喧嘩の際に「離婚したいならしてやるわよ!」と、離婚届に名前を書いた。そうしたら。
「あっという間に提出されてしまったんです。え、ほんとに出したんだ、と愕然としました」 本気ではなかった。だって、判子は押していない。でも、そうまでされて、それでも離婚したくないと言い張る気力は、多美子さんにはなかった。 「そんなに別れたいなら、もう解放してあげたほうがいいのかな、と。夫婦が争う姿をこれ以上、子どもに見せたくありませんでしたし……」 約17年の結婚生活は、あっけなく終わった。
自分を責める日々…
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多美子さんは元夫と子どもの暮らす家を出て、実家で両親とともに暮らしている。子どもは母親を恋しがっているが、最近はあまり顔を合わせていない。 「ママ、ママって言う年齢でもないし、そうだったら逆に心配だし。バイトや部活に忙しいようです。楽しく高校生活を謳歌してくれているならそれでいい、っていうか仕方ないですよね」 親離れ子離れの時期だと割り切ろうと思うが、それでも、子どもと離れて暮らすことは苦しい。母親が子どもを手放したというと、よほどひどいことをしたんじゃないか、虐待や不貞があったんじゃないかと思われそうで、なかなか人に話せないのも辛い。何より自分がいちばん自分を責めている。
別居親の会に参加を
同じ境遇の仲間を求めて、多美子さんは別居親の会を探した。そこで出会った人たちの中には、相手に子どもを奪われるかたちで子どもと暮らせなくなった人も含まれていた。
「私の場合は子どもが高校生なので、会おうと思えばいつでも会えます。先日は、浅草で親子デートも楽しみました。でも、子どもがまだ小さいうちに連れ去られた場合など、子どもの居場所すらわからないという人も多いんです」
いまの日本の民法では、未成年の子の父母が離婚する場合、どちらか片方が親権者となる。離婚や別居の際、子どもを一方的に連れ去って親権者となり、もう片方の親に会わせようとしないケースがあるが、その原因のひとつがこの「単独親権」制だとする主張もある。先進国のほとんどが離婚後の「共同親権」制を採択しており、日本においても「共同親権」制を求める声は高まっている。
「実はそれまで共同親権という言葉すら知りませんでした。単独親権制のせいで苦しんでいる人たちに出会い、日本が共同親権になることでその人たちが救われるのだと気づかされ、私にできることはないかと考えるようになりました」
失敗しないことより、その後どう生きるか
なぜそうなってしまったのかを、ただ誰かのせいにするのではなく考え、自分の間違いを認識できる。それが、失敗したあとに前に進むための大きな第一歩だ Photo by iStock
これまで週末は、ほとんど布団から起き上がれなかった。自分を責める気持ち、元夫にすがりつきたい気持ち、子どもに会いたい気持ち、義理父を憎む気持ち、どれも消化できず、寝ていても吐きそうだった。どん底まで落ちた。 でも、同じように苦しむ仲間に出会ったことで、少しだけ生きる気力が湧いてきた。
「この取材を受けたのも、もしかしたら前を向くためのきっかけになるかな、と思ったからなんです。いますごく辛い思いをしている人が私の話を読んで、辛いのは自分だけじゃないと思ってくれたら」 人間、誰でも失敗はある。そのつもりがなくても人を傷つけてしまったり、よかれと思って間違った選択をしてしまったり。
大切なのは、失敗をしないことではなく、その後、どう生きるかだ。 自分の間違いを認め、素直に後悔と反省を口にできる多美子さんには、幸せになれる素質が十分に備わっていると思う。
上條 まゆみ(ライター)