乙武洋匡さんの子供たちが面会にノー?離婚した両親を子はどう見ているか

写真はイメージです(以下、同じ)

亀山早苗の恋愛時評>  次々と報道される有名人の結婚離婚。その背景にある心理や世相とは? 夫婦関係を長年取材し『夫の不倫がどうしても許せない女たち』(朝日新聞出版)など著書多数の亀山早苗さんが読み解きます。(以下、亀山さんの寄稿)

子どもは見ている?離婚した両親をめぐって

 乙武洋匡さんが離婚して4年。3人の子は妻がひきとって育てている。乙武さんは「子どもたちに会いたい」と面会交流の調停を申し立てたが、中学生と小学生のふたりは、父親に会いたくないと自分の意思を示したと8月27日発売の『週刊新潮』が報じている(あくまで“事情通”の発言ではあるが)。

6月末、俳優の西村まさ彦が25年以上連れ添った妻と離婚したことが判明したが、こちらも円満離婚を強調する西村に対し、25歳の長男がその非道さを訴える記事が週刊文春に掲載された。

両親のありようを子どもは見ている。そして幼ければ幼いほど、自分はどう立ち回ったらいいのかを本能的に察知するのも子どもだ。必ずしも自分の「意志」とは言い切れないところもあるかもしれないが、大人になって「当時の子どもたち」はどう考えているのだろうか。

母親がかわいそう

 日本では共同親権が認められていないので、離婚後はどちらかが子どもに対して親権をもつことになる。実際、母親が全児の親権をもつ場合が84.6%、父は11.8%だ(2017年度 厚生労働省政策統括官(統計・情報政策、政策評価担当)『人口動態統計』による)。父親はフルタイムで働いていることが多いため子どものめんどうが見られない、それまで母親と過ごす時間が長いので物心ついて意志を示せる場合も母親と一緒がいいと希望するなどの理由がある。

「僕が10歳のとき両親が離婚しました。僕にとっては悪い父親ではなく、よくキャッチボールをしてくれた記憶もある。だけど母にはいい夫ではなかったんでしょう。ケンカしては母が泣いていたのも知っている。離婚となったとき、父は『一緒に暮らすか』と聞いてくれたけど僕は母といることを選びました」

サトシさん(30歳)はそう言う。だが実際には、「母親を選ばないとかわいそう」という思いもあったし、年子の姉が「私たちはおかあさんについていこうね」と言ったことも母を選んだ理由のひとつだ。 「大人になった今、思うのは、父と暮らしても寂しかっただろうなということ。母は早朝から働いていたけど、夕方には帰っていて夕飯は家族3人でとることができた。でも父と一緒だったらたぶん、夕飯はどうなっていたか……。父は会社人間で、毎晩遅かったから」

今でも離婚の本当の理由はわからない。ケンカしているのは見ていたが、父が暴力をふるった記憶はない。離婚後も養育費だけはきちんと送ってくれていたようだから、それなりに責任感もあったのだろう。

「だから父を憎みきれないし、かといって今さら母に離婚した理由も聞けない。そういう意味ではずっともやもやしたものを抱えて生きてきましたね」

社会人になる報告をしに父に会いに行った

 サトシさんが父親と再会したのは、大学を卒業したときだ。父の勤務先はわかっていたので会いに行った。母には話していない。離婚してから母は、ときどきため息をつきながら「あんな人と結婚しなければよかった」と言っていた。

「結婚しなければ僕らも産まれていないから気分は複雑なんですが、小さいころはそういう母の言葉に惑わされて、父が悪いんだと思っていた。だけど高校生にもなると、僕らのわからない夫婦の関係というのもあるんだろうな、とやはり離婚家庭に育った友人と話したことがあるんです」

だから社会人になるとき、父に会いに行ったのだ。なんとか社会に出ることができたと報告したかった。 「父の会社で呼び出してもらったんですが、僕を見るなり父が立ち止まって、少しずつ近づいてきながら目に涙をいっぱいためていた。もっと早く来ればよかったと思いました」

父と話すと、父は子どもたちに会いたいとさんざん母に申し入れていたそうだ。だが母は頑として合わせてくれなかった。

「何が母をそこまで追いつめたのか、父が怒らせたのかと聞きたかったけど、もうそんなことはいいか、と思いました。それ以来、父にはときどき会って一緒に酒を飲んだりしています。このことをいつ母に言うかが非常に悩みどころで……」

大人になった今も、サトシさんは両親に忖度しながら頭を悩ませている。

母子家庭でずっと家事に追われて育った

「私が育った家庭もちょっとひどかったですよ」  苦笑しながらそう言うのは、ミキコさん(38歳)だ。彼女が8歳のとき父が帰らなくなった。どうやら女性と暮らし始めたらしい。下には3歳になったばかりの弟がいた。

その後、離婚が成立するとき、母は「おとうさんと一緒に暮らしたいなら言いなさい」と言ったし、父からも「来てもいい」と言われたんですが、「流れからして父を選ぶのは不可能」だったという。

「母は自分の実家と父の実家、両方から援助を受けて私たちを育ててくれました。もちろん弟が入学してからは母も必死で働いていた。私は中学生になっても部活もできず、早く帰って夕飯の支度をしていました。学生生活で楽しいことなんてなかった。ずっと家事に追われていたから」

 高校を卒業後、彼女は就職した。進学校だったため就職したのはクラスで彼女だけだったという。それでもミキコさんは弟が高校を卒業したあと、大学の二部に入学、仕事と学業をやりとげた。 「私が大学を卒業したのは28歳のとき。あんなに世話した弟は、高校を卒業すると海外を放浪するようになって……。私の努力はまったく報われなかった」

出て行った父が最後に頼ったのは

 母はいつも父の悪口を言っていた。ミキコさんも父を憎み、その憎悪をエネルギーにして生きてきたところがある。当然、男性には不信感が大きく、恋愛もうまくいかないことが多々あった。

「私、5年前からひとりで暮らしているんです。母からきちんと自立したかった。当時、母は58歳でまだまだ元気だし、いつか老いたらめんどうみようとは思っていました」

ほとんど実家には近寄らず、友人関係を構築し、自分のために時間を使うことを学んでいったという。

「ところが今年の正月、1年ぶりくらいに実家に戻ってみたら、なんと母が父と暮らしていたんです。もう、びっくりして、いったいどういうことなのとふたりに詰め寄りました」

 ふたりは3年前に再会、そして1年前に父が病気になり母を頼ってきたのだという。母は寂しかったのだろう、父を家に入れてしまった。婚姻届は出していないが実質的には同居を続けてきたという。

怒りがおさまらず、両親と連絡をとっていない

「親の離婚に振り回されてきた自分の人生が、バカバカしくなりました。ずっと母に同情してきたのに、結局、割りを食ったのは私だけじゃないですか」

頭に来たミキコさんは家を飛び出し、以来、父とも母とも連絡をとっていない。母からはたまにメッセージが来るが無視しているという。

「うちみたいに離婚して母と暮らした場合、母の父に対する悪口は彼女自身の後悔の念みたいなものなんですよね。それを鵜呑(うの)みにして父を恨んではいけない。自分自身が父親の非道さを目の当たりにしているならいいけど、私みたいに8歳くらいじゃよくわかりませんよ、夫婦のことなんか」

どんでん返しを食らったミキコさんの怒りは今もおさまっていない。

<文/亀山早苗> 【亀山早苗】 フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数

4週間前