結婚制度反対論者のわたしが同性婚を支持する理由

(ハーバー・ビジネス・オンライン)

 現在、全国で5件の同性婚訴訟が争われ、同性婚への注目が集まっている。わたしはこの報道に触れ、アメリカに夏季留学していたときのことを思い出した。

2016年6月26日のことだ。この日、アメリカ全土が祝福ムードに沸いた。アメリカ最高裁が同性婚を認めたのだ。当時、わたしはカリフォルニア大学バークレー校のLGBT+学生アパートに住んでいた。そのアパートでは、その時点ではヘテロセクシュアル自認だったわたしを除いて、全員がLGBT+だった。その記事を見て、わたしは隣で複雑な表情をしているレズビアンの友人に、どう思うか尋ねてみた。

「難しい問題だね……。わたしは結婚制度に反対しているから、結婚制度を拡大する同性婚には反対なんだ」

それが、わたしがはじめて結婚制度反対論に出会った瞬間だった。

なぜ結婚制度は問題か

 いまでは、わたし自身も結婚制度に反対している。  その理由は、この制度が明らかに差別的・抑圧的だからだ。現状の日本の結婚制度がという以上に、結婚制度それ自体が本質的に差別的・抑圧的だということだ。

なぜ結婚制度は差別的・抑圧的なのか。問題はふたつある。制度から排除される人々がいるということと、制度に包摂される人々を縛るということである。

結婚制度から排除される人々

「どうせみんなが結婚したら、わたしはひとりぼっちになるんでしょ?」

そう言ったのはアロマンティックの友人だった。アロマンティックとは、誰にも恋愛感情を持たないセクシュアリティのことだ。

結婚制度からの排除とは、つまり異性愛かつモノガミーのカップルを特権化・規範化しているということである。特権には、税制上の優遇から始まり、社会的ステータスまで様々なものがある。異性愛かつモノガミーのカップルになれない者は、その特権から排除されることになる。さらに、結婚は単に特権を与えるだけでなく、それだけが唯一の正しい関係性のあり方であるという規範を生み出すものでもある。それゆえ、それ以外の関係性は、価値のないものとして貶められることになる。

ここで、異性愛規範・モノガミー規範・強制的性愛をキーワードとして提示したい。

まず、現状の日本の結婚制度に異性愛規範が深く埋め込まれていることは疑いないだろう。一部の自治体で同性パートナーシップ制度が導入されはじめてはいるものの、いまだ日本では同性婚は実現していない。これはよりよい結婚制度のために最低限必要であるにも関わらず、実施されていない現実があるのである。

次に、モノガミー規範を見ていこう。この規範は、ポリアモリーという複数のパートナーと関係を持つ在り方を否定している。複婚という考え方もあり、オランダでは3人で市民同盟を結んだ例もある(※1)。ただ、これがもはや結婚といえるのかどうかは疑問になってくる。

さらに、より根本的なのは、強制的性愛だ。そもそも、性愛を持つことが前提とされていること自体に問題があるのである。ここで排除されているのは、主にアセクシュアル・アロマンティックというセクシュアリティを持つ人々である。

アセクシュアルとは、誰にも性的欲求や恋愛感情を持たないことである。たとえ同性婚や複婚が認められたとしても、それは性的欲求や恋愛感情を持つ人々への優遇は残存するのである。ここに来て、結婚制度の限界が露呈する。どれほど結婚制度を拡大したとしても、性と愛を結び付けて、それを最も大切な人間関係とする時点で、アセクシュアル・アロマンティックの人々に対する排除は残るのである。

(※1)イスラーム法では一夫多妻が認められているが、これはポリアモリーとは少し違った問題と考える。

結婚制度に縛られる人々

「同棲している彼氏がなかなか結婚してくれなくて困ってるんだよね」ヘテロセクシュアルの友人は言った。「まだ結婚してないのに、私ばっかり家事をしているなんて、タダ働きさせられているみたいな気分」

つまり、結婚しているということは、家事を全面的に押し付けられても、タダ働きと感じないということなのだろうか?  結婚制度に包摂されていたとしても、多くのことに縛られることになる。ここでのキーワードは、性別役割分業・ロマンティックラブ・イデオロギーだ。
まず性別役割分業とは、昔ながらの「男は仕事、女は家庭」という固定的な男女の役割分業のことをいう。そんなものは、もうすでに古いとおっしゃるかもしれない。しかし、夫婦2人の世帯では妻の家事時間が夫の2.6倍、子どものいる世帯になると妻の家事時間が夫の2.8~3.6倍、育児時間は2.1~2.7倍に上るという2020年のデータがある(※2)。ちなみに単身世帯では男女の家事時間に差がない。性別役割分業が、結婚という制度に支えられている現実が垣間見える。
次に注目したいのが、ロマンティックラブ・イデオロギーである。ロマンティックラブ・イデオロギーとは、「一生に一度の相手と恋に落ち、結婚し、子どもを産み育てる」という物語であり、愛と性と生殖が結婚を経由することによって一体化したものである。これは、本来多様なありかたがあるはずの人生において、一定のライフコースを規範化してしまう力を持っている。結婚して、さらには子どもを作っていないと、「何か理由があるんじゃないか」「お気の毒に」と周囲や親に詮索されたり心配されたりすることになる。このようにして、モノガミーの異性愛者でさえも、結婚制度に縛られているのである。 (※2)『令和2年版 男女共同参画白書』

結婚制度廃止の次善の策――同性婚の法制化へ

結婚制度は廃止できるのだろうか。おそらく難しいだろう。現在、結婚制度はあまりにも深く社会に根付いており、また特権を得ている人々の数も多い。民主的な手続きを持って結婚制度を廃止することは到底できないだろう、といわざるを得ない。

それでは、何が次善の策になるだろうか。結婚制度が本質的に差別的・抑圧的なのであれば、一体どうすればよりマシな結婚制度にすることができるだろうか。  まず、結婚制度から排除されている人々を包摂することである。同性婚の法制化がその最初のステップになるだろう。
そして、結婚の在り方を多様化して結婚制度に包摂されている人々のライフコースの縛りを緩めることである。友人同士の結婚、契約結婚、事実婚など様々な結婚の在り方があり得る。
 いま全国で5件の同性婚訴訟が争われている。また世論においても、2019年の電通調査によると20~50代の8割近くが同性婚に肯定的だという(※3)。まさに同性婚に向けての風が吹いているといってよい状況だろう。
 ここまで述べてきたように、同性婚が認められるべき理由は、認めないことそれ自体が同/両性愛者差別でしかないからだ。異性カップルを特権化・規範化し、同性カップルの関係性を価値のないものとして貶めている。結婚制度から排除された人々を包摂するために、第一にすべきことは同性婚の法制化であるはずだ。
 この風のなか前に進むために、力を合わせようではないか。NPO法人EMA日本のサイトでは、ネット署名もできる。これからのよりマシな社会のために、よりマシな結婚制度を作っていこう。
(※3)「同性婚合法化、8割が肯定的 電通調査の20~50代」2019年1月12日 朝日新聞 <文/川瀬みちる>
川瀬みちる
1992年生まれのフリーライター。ADHD/片耳難聴/バイセクシュアル当事者として、社会のマイノリティをテーマに記事や小説を執筆中。 Twitter:@kawasemi910
4年前