別居を続けながらも離婚しない両親。1人で実家に暮らし続ける父親が語った子どもへの思いとは

別居を続けながらも離婚しない両親。1人で実家に暮らし続ける父親が語った子どもへの思いとは

取材・文/ふじのあやこ 近いようでどこか遠い、娘と家族との距離感。小さい頃から一緒に過ごす中で、娘たちは親に対してどのような感情を持ち、接していたのか。本連載では娘目線で家族の時間を振り返ってもらい、関係性の変化を探っていきます。

父親の印象は厳しい教師みたいな人。少し遠い存在だった

美由紀さんは奈良県出身で、両親と3歳上に姉のいる4人家族。父親は普通のサラリーマンで母親は専業主婦という家庭で育ち、2人はお見合い結婚で、仲良しだったという印象はないと言います。 「近くに父方の祖母が住んでいて、その祖母からお見合い結婚だということは聞かされていました。今振り返るとなぜ子どもにそんなことを言う必要があったのか謎ですよね……。おそらく祖母は母親のことをよく思っていなかったのかなって。小さい頃から両親が仲良く会話している姿は覚えていなくて、お互いが何も知らないままお見合いで結婚したからなんだろうなって妙に納得してしまっていました」 小さい頃の両親それぞれの印象はどうだったのでしょうか。 「母親は優しいところも厳しいところもあるような一般的な母親といった感じで、勉強もよく見てくれました。私は九九が全然覚えられなくて、算数で早々につまずいてしまって(苦笑) 。国語や社会はできたんですが、ローマ字も覚えられなかったな……。母親は1つひとつ丁寧に教えてくれました。姉のほうが成績は良かったから、主に私に付きっ切りでしたね。父親は私が母親に怒られてもいうことを聞かなかった時の最終手段といった感じで、怒られた印象しかありません。例えていうなら、学校にいる一番厳しい先生みたいな存在です。そこまで子育てに参加していなくて、毎回怒られていた印象もないんですが、怖いだけの少し遠い存在でしたね」

祖母との同居後からおかしくなった家族。母親が家出した

家族仲が悪かったという印象もないと、家族旅行の話をしてくれました。 「父親が仕事関係の人から紹介してもらったところによく旅行に行っていた記憶があります。山奥にあるコテージとか、ペンションとか、自然に囲まれた場所が多かったんですよ。泊まる場所によってはテレビがなかったり、消灯がすごく早いところもあって、大人になった今ならその自然に囲まれた環境というのが素晴らしい体験だということはわかるんですが、子どもの頃は毎週見ていたアニメが見れないとか、トイレが怖いとかの印象のほうが強く残っています(苦笑)。でも、私たち家族だけにガイドさんがついたりしていたので、父親は会社で偉い存在なのかなって誇らしい気持ちにもちょっとなりましたね」 そんな家族関係に大きな変化があったのは、美由紀さんが中学生に上がる直前のこと。父方の祖母が足を悪くして、同居することになったと言います。 「祖父は私が記憶もない小さい頃に亡くなっていて、祖母はずっと一人暮らしでした。そんな中で家で転んでしまって、足を悪くしたんです。家の近くには父の弟も住んでいたんですが、長男ということで私の家で引き取るようになったみたいで。結局祖母は同居2年ほどで足とは関係なく持病が悪化してしまって亡くなってしまうのですが、同居していた頃ではなく、祖母が亡くなってから、両親はまったく話すことさえもなくなりました」 仲が悪化したと思ったきっかけは何だったのでしょうか。 「母親が出て行ったんです。何の前触れもなく、急に。その時は高校生で、反抗期などもあって母親ともそこまで会話が多かった時期じゃなくて、家に帰ったらいないという状況でした。当時はまだ携帯は大人の会社員ぐらいにしか普及していない時期で、連絡の取りようもなくて。結局母方の祖父母の家に帰っていただけだったんですよ。しばらくして普通に母親は戻ってきたんですが、戻ってこられてからどう扱っていいのかわからなくなりました。何も相談してくれないほど遠い距離だということを突きつけられた感じもしたし、両親に何があったのか触れていいのかもわからなかったし。戻ってきてからの母親はずっと何事もなかったように普通でした。父親もそのことにまったく触れなくて。姉は放っておけって言うだけだし、バラバラな家族がただ同居しているだけという感じでした……」 長い期間別居を続ける両親が離婚しない理由は? 【後編に続きます】 取材・文/ふじのあやこ 情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。

3週間前