3歳女児放置死の悲劇… 「自己責任化」された施設出身者が味わう現実

このライターは、「亡くなった子どもの父からはDVを受け離婚したそうだ。 」と簡単に片づけ、母親を社会制度の被害者として見るように促しています(その結果刑の減軽が期待されています)。

しかしこの場合、父親は、子どもを殺された遺族ということになりますし、その点では被害者家族です。父親も育児放棄だったかもしれませんが、現在のDV施策や親権制度はそれを促しており、子どもが両親から安全に子育てができるようにする環境を作ることはできません。つまりこの記事のような母親中心の見方では、類似した事件の防止という側面では的はずれになりかねません。

だから父親は娘を殺されても仕方がない、というのは「自己責任」論です。

https://news.yahoo.co.jp/articles/b574a445ff6d2fa2984024024b322a2722c34b66?page=1

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現代ビジネス

フランスの福祉のあり方から学べること

写真:現代ビジネス

 7月10日、東京都大田区の自宅に3歳の娘を8日間放置し、餓死させた疑いで母親が逮捕された。その間旅行していた理由について「子育てに疲れたからリラックスしたかった」と供述しているという。3歳児検診は受けさせておらず、昨年保育料が払えないとして保育園をやめていた。 【写真】子殺しの翌日、「鬼畜夫婦」は家族でディズニーランドへ行っていた  報道によると、母親自身も小学生のとき実母と養父から身体的虐待や育児放棄を受けて保護され、18歳まで児童養護施設で過ごしたとされている。また、亡くなった子どもの父からはDVを受け離婚したそうだ。

児童養護施設や里親のもとで育った人を対象とした調査では21.9%が新型コロナウイルス感染拡大による雇用環境の急変で経済的に困窮していると回答しているという報道もあった。そのなかで相談したり支援を求めたりできる人がいるのは2割にとどまり、孤立も見られるとしている。  これらは何重ものケア不足の結果起きている。

(1)心のケアの不足、(2)十分な道具を持って社会的養護から送り出されていない、(3)社会的養護出身者支援が足りていない、そして(4)親を支える機会の不足。最後については以前の記事で述べたので、今回は主に最初の3つについて書きたい。

厚生労働省によると日本全国で2万7000人が児童養護施設で暮らしている。毎年施設を出る人を積算すると少なくない数だ。  実際施設で子どもたちにインタビューをすると親も施設を経験していたり親戚に預けられていたという話はよく聞くし、生活保護の現場でも施設を経験している人や他の家に預けられて育った人に多く出会った。

 虐待が繰り返されないよう、負のサイクルを止める福祉について改めて取り組むことができないだろうか。フランスの福祉を参考にヒントを探る。

(1)心のケア

 日本の社会的養護の現場では長い間小児精神科医や小児専門心理士によるケアが十分おこなわれてこなかった。専門家の数も限られている上、親の了解が得られなかったり、他の子どもたちから特別な目で見られないようにという配慮で二の足を踏んでいる施設もあった。

フランスでは1900年代を生きた精神分析家フランソワーズ・ドルトが今でも児童福祉の現場に大きな影響を与えている。  その考え方とは、例えばまわりの人とトラブルを起こしやすい、取り組みが長続きしないなどの症状があるとしたら、それは幼かった頃の経験が解決していないためであり、話すことで辛かった経験を思い出し、言語化することでその封印していた気持ちを表出することができ、ケアしていけるとしている。

児童福祉施設で働く心理士は子どもがした経験を説明し感情を表出することの重要性も強調する。それぞれ子どもにとって重い経験をして施設に来ている。泣いたり怒ったり感情の浮き沈みを経験する子どもよりも、いつも笑顔で過ごしている子どもの方が心配は大きいと言う。

親と離れて暮らすようになった事情や暴力の経験など、子どもが傷を感じる思い出や疑問のままであることについて、子どもにはそれが起きた理由を時には親も交え一緒に考え、子どもが自分の言葉で気持ちや感情を表現できないと、子どもは大人を信用しなくなり頼らなくなる。

フランスの児童養護施設では子どもへの教育サポートと心理ケア、そして親の支援が3つの柱とされている。

週2回の心理士との面談を設けていたり、心理士が一緒に絵を描くアクティビティをしたり一緒に旅行するなどの活動を通じて子どもたちは自分の過去や現在に向き合う機会が多く設けられている。

自分の身に起きたことを理解し、現実を受け入れたら、次のステップとして自分の未来を築き始めることができ、親以外の大人から差し伸べられた手も受け取れるようになるという考えである。

なので、日本の施設の子どもたちがおとなしく我慢強いのに対して、フランスの子どもは怒鳴ったり叫んだり物に当たったり感情的で驚く場面がある。  私自身も最初は問題なく過ごせているのであれば、過去を掘り起こす必要はないのではないかと思っていた。心理士を交え、虐待した親が親自身の幼少期から歴史を遡って子どもが施設に来るまでを話すのは子どもにとって重すぎるのではないかとも心配した。

しかし、心の整理がつくとみるみる成績をあげ、すっきりした顔になっていく子どもを見る機会がある。「こわごわ歩いていたのが、自分でバンバン踏みしめて歩けるようになった」と言う子どももいた。心理士によると、本人の可能性を引き出すだけでなく、その子ども、孫の世代が幸せに生きられるためにもケアしておくことが重要であると言う。

逆に言えば、トラウマを治療せず、生い立ちに関する疑問に答えず努力だけするよう子どもに言うのは無理があるということである。精神医学、心理学、脳科学の分野で得られた知識を、特別ケアを要する社会的養護の子どもたちに生かそうという考えがある。

以前も引用したが、パリ市児童保護セクションの責任者はこのように話す。

「子どもを守れば守るほど、将来、行動障害や精神的な医療が必要、住居や社会保障のお金が必要な大人を減らすことができる。教育を受けられケアされた子どもは、ケアを受けられなかったときより、よい社会の未来を作ることができるということを共通認識にする必要がある」

可愛がっていた我が子を放置死させてしまった母親も、ケアを受けることができていたら、母親も子どもも幸せになることができたはずだと思わざるを得ない。

(2)十分な道具を持って送り出されていない

国会で児童相談所出身者がアドバイザーとして意見を言うのがテレビ中継される。写真の若者は自叙伝も出版しメディア露出も多いが、自身も若者たちを支援する職業に就いている

 3歳児放置死についても母親は居酒屋で働き、単身で保育園を利用せず子育てをしており頼る人もいなかった。

日本で母子家庭の貧困率は50%を超えているということをどれだけの中高生女子が認識した上でキャリアを考えているだろう。

社会的養護について「家庭の代替」という捉え方があることにより、本来一般の家庭よりもケアと教育を要する子どもであるにもかかわらず、十分な予算と人材が充てられていない。  自立支援についても強化されつつあるが、実際に半年に1回学校や親など関係者も招いて会議を開き、さらに子どもと振り返りをして次の半年の目標を立てるということが体系的におこなわれているとは限らないようである。

日本で施設出身者に、当時一緒に施設にいた仲間たちの現状を聞いても明るい話は多くない。

そもそも日本の仕組みでは社会的養護の子どもは長年の学業を要する医師や弁護士になる道が拓けていない。厚生労働省の資料によると 2018年の一般の大学進学率は52%であるのに対し施設では14%、一般の高卒者の就職率は18%であるのに対し施設では63%だ。大学院まで行った友人は700万円の奨学金貸与を受け、その返済のプレッシャーの中で生きている。学費が高いということで大きな不公平がある。

資格や学歴だけではない。私は生活保護の現場において十分な「道具」を持って社会に出られなかった場合の不利に何度も直面してきた。

コミュニケーション能力、トラブルを克服するスキル、自信、何かを成し遂げてきた経験、生きることについての肯定的な気持ち、幸せになると信じられる気持ちなどを得るためのチャンス。特に自信や自尊心があれば挑戦できるし、挫折しにくい。

フランスでは心のケアを優先した上で自分自身の人生を築く準備ができたら「どれだけたくさんの道具を持たせるか」「社会的資源をどう増やしていくか」ということが施設や里親、児童相談所職員にとっての議論のテーマとなる。

フランスは学費がほぼ無料、大学でも収入があっても年間3万円程度、職業専門学校も無料のところが多いのは公平性という点で大きな価値がある。さらに25歳までは生活費の保障をもらいながら職業訓練を受けたり、給料をもらいながら資格を身につける方法もある。学業やキャリアという点では若いうちは特に不公平が少ない。

さらに社会的養護では、親が与えられなかったことを与え困難な環境の中で生きていくための力を身につけられるよう多くの機会を作る。

ある15歳の男の子は個別指導で通信制高校の卒業資格が得られる学校に通い、習いたかったタイボクシングを習い、ゲーム依存気味だったのでゲーム制作会社に毎週通ってゲームのプログラミングを学びプロたちに認められ、アニメ好きだったので日本に3週間ホームステイしてその間日本のフリースクールに通わせてもらった。

そのように本人のしたいことを実現させていく中で、人を信頼したり頼ることを覚え、挑戦をして自信をつけ、生きることへの肯定的な気持ちを育てようとする。生きる力をつけるため個別に支援し、特に頼れる人、資格、職業経験、自尊心を獲得してから送りだすことにこだわっている。

それでも途中で飛び出してしまったり、犯罪組織に勧誘されたりすることもあり、困難な経験をしてきた子どもたちの育ちを支えるのは簡単なことではない。フランスではホームレスの2割は施設出身者だったという調査結果もあり、毎年当事者や児童福祉関係者たちが取り組みの改善と予算拡大を求めている。

国では戦略として政策決定の場に出身者や当事者を参加させることを定めており、国や県だけでなく各施設の方針会議にも施設出身者や当事者が役員として参加している。  放置死させてしまった母親は十分な道具を持っていなかった上、彼女が出て行った社会は所得が高くなく頼れる人もいない母子を十分に支えることができなかった。

保育園退所や離婚も子どもと親の状況を確認する機会とすることができる。

フランスは裁判によってしか離婚できず共同親権なので、裁判の際に専門家が父母それぞれの育児能力を判断した上で育児の分担を決めたり、経済状況についても確認できる。暴力など問題がなければ父親も育児に参加する。保育も給料の約1割の金額で受けられ特に片親家庭は優先的に利用できることなどの配慮もある。保育園に入れてもすぐに働かず資格取得を勧める傾向もある。

 母親のことを「おかしい」という報道もあるが、自分が同じ境遇だったらと想像するととてつもなく大変な環境ではないだろうか。

(3)支援組織が足りていない

施設出身者支援組織のホームページより

 助けを求めなかった母親が悪いと言うだけでなく、実際助けを求めやすい環境かどうかの検証も必要だ。  日本でもフランスでも施設を出るとき「二度と福祉のお世話にはならない」と宣言する人はいる。フランスの社会学者Labacheらによる研究では出身者の多くに「人生を救ってくれた人たちに対し大きな借りがある気持ちがある」としている。  施設出身者と福祉をつなぐ仕組みは十分だろうか。日本では施設出身者の支援組織は多くない。

それなのに施設出身者のぶつかる現実は簡単ではない。

私は生活保護の仕事をしている中で地域の不動産屋と知り合い、独居高齢者が亡くなった安いアパートを家具電化製品つきで敷金などなしで融通してもらい施設出身者で住居のない人に繋いだりしていたが、体系的な支援がなかったからこそ見つけた方法だった。

退所後1年以内に就職者の半数が転職又は退職を経験しているという調査結果を報告している県もある。私も、施設出身者が職場で計算の合わないお金の責任を押し付けられたり、給料からペナルティを引かれたり、結果的に最低賃金以下で働かされているなど相談を受けてきた。

フランスでは施設出身者の支援機関を各県に設置している。そこでは二つの役割を担っている。一つは政策決定側に施設入所者や出身者の声を代弁すること、もう一つは出身者や入所者を福祉につなぐことである。

フランスでは1943年に施設出身者や養子として育った人専門の支援組織を各県に作ることが法律で定められた。3ヵ月以上児童相談所のフォローを受けた人であれば生涯困ったときに助けを求めることができる。加盟者が3万人を数える。

公的資金がほとんどであるところや参加者の寄付や遺産や不動産の提供が多いところなど財源はそれぞれで、支援の内容も県により違いがあるが、国と県から合わせて日本円にして年間3億2千万円の活動資金を受け取っているところもある。

セーヌ・サン・ドニ県の支援組織は職員が38人で全員ソーシャルワーカーの資格を持っている。102軒の住居を持ち月収入が6万円以下の人には月3000円の家賃で提供。その間に自立支援をおこない、精神的ケアも提供している。

その他にも自立支援プログラムを用意し、精神的肉体的健康回復、金銭管理や借金の整理、就労支援、返済不要の奨学金の手続き、法律問題の解決などをサポートしている。ここの職員が付き添ってその人が受けられる諸々のサービスにつないでいる。

パリ市の支援組織では施設出身者同士知り合う機会を多くもうけ、友達同士のようなネットワークで助け合い、施設出身者で現在児童福祉の分野で専門家として働いているスタッフがコーディネーターとして困難な状況にある人を福祉につなぐ支援をしている。

先のLabacheらの研究では、施設出身者には借りの気持ちがあるからこそ、義務のように「自分も人に与えられるようにならなければ」と考える人も多く、実際他人をケアする職業、困難な状況にいる人を助ける仕事に就く人が多いことがわかっている。

支援組織は支援者縁組機関と協業しているところもあり、支援者縁組機関が施設出身の若者1人に支援者1人を縁組し、ボランティアである支援者が仕事探しだけではなく「社会的親」として継続して相談にのる。  日本での「職親」にも近いが、職業人生だけではなく血のつながりはないが親戚のような長い関わりを重視するスタイルだ。

これだけ心のケアに力を入れて本人が力を発揮できるようにしているのも、生きていくための道具を持って卒業できるようにしているのも、福祉とつなぐ役割として支援組織を作っているのも、困難な経験をしたり傷ついた子どもを支えることは簡単なことではないからである。

だからこそフランスは予防に力を入れリスクを防ぎ、困難を経験した子どもにはその次の世代も見越してケアしようとしている。  困難な状況で生きざるを得ない人たちがいるという現実を認め対策を用意することと、「少数なのではないか」と自助努力・自己責任を押し付けるのとでは国としてのスタンスは大きく違う。

———- 注:セーヌ・サン・ドニ県の児童養護施設での3年間の長期観察、その他にセーヌ・サン・ドニ県とパリ市の児童相談所、施設出身者支援組織、支援者縁組機関等での調査を元に書いている。制度の運用面が他県、他団体では異なる場合がある。

引用: https://www.tokyo-np.co.jp/article/41827 https://www.tokyo-np.co.jp/article/36049 パリ市児童相談所出身者の支援組織 https://www.adepape75.com/ 支援者縁組機関 「社会的養育の推進に向けて」令和2年4月厚生労働省子ども家庭局家庭福祉課 Françoise Dolto, 1985, La cause des enfants. Labache Lucette, Mihai Dinu Gheorghiu, 2009, « Les anciens de l’ASE de Seine-Saint-Denis: Profils de vie après la sortie du dispositif de protection », Caisse nationale d’allocations familiales, Informations sociales, 2009/6 n.156, p.92-99. Isabelle Lacroix, 2016, « Les associations d’anciens placés : des intermédiaires dans l’accès aux droits sociaux des jeunes sortant de la protection de l’enfance », Agora débats/jeunesse, 2016/3 n.74, p.89-100. ———-

 

安發 明子(在パリ 通訳/コーディネーター/ライター)

4年前