妻との泥沼離婚劇で息子の青春が台無しに…57歳父の後悔と決意

子どもが離婚の犠牲者に

写真:現代ビジネス

 離婚のいちばんの犠牲者は、間違いなく子どもだ。夫婦は別れてしまえば他人だが、子どもにはどちらも自分の親。離婚は致し方ないにしても、親同士が争う姿を見せることは子どもを酷く傷つける。 「息子が中学に入学したあたりから離婚調停が始まり、もうまる5年、揉めています。双方離婚には同意済みなのですが、なかなか決着がつきません。親同士の争いに息子まで巻き込んでしまい、せっかくの青春時代を暗いものにしてしまいました」と言うのは、大手広告代理店に勤める田中哲夫さん(仮名・57歳)。その経緯を聞いた。

【写真】夫とのセックスレス、私たちはこうして解消しました ———- ライターの上條まゆみさんによる連載「子どものいる離婚」。

今回取材をさせていただいた田中さんは、目下離婚係争中だ。大手代理店でバリバリ仕事をする妻との間にひとり息子がいるが、彼の青春を傷つけてしまったことにずっと胸を痛めているという。ときに裁判をして問題を明確にしなければならないが、裁判によって傷が生じることも忘れてはならないと教えてくれる。 ———-

12歳年下のバリバリキャリアウーマン

Photo by iStock

 哲夫さんの妻は、哲夫さんより12 歳年下で、大手広告代理店でバリバリ働くキャリアウーマン。妻がまだ大学生で就職活動をしていたとき、OBとして相談にのったことが縁で知り合い、2~3年付き合って結婚した。  「妻のほうから猛烈にアタックしてきてね。年の離れたオジさんになぜ? と思ったけど、親が離婚していて父親がいないとか、年上の人と不倫していると聞いて、ファザコンなんだな、と。でも、辛い状況のなかで自分の足で立とうとして頑張っている姿が健気で、幸せにしてやりたいと思いました」

共働きで、家事育児は完全に折半。いや、育児についてはむしろ、哲夫さんのほうが多く分担していた。 「妻は業界では大手と言われるところに就職し、すごく仕事を頑張っていました。仕事人としてはとても優秀だったけど、子育てにはあまり関心がないようだった。たとえば、子どもが熱を出したときも、会社を休むのは僕。夫婦とも残業は日常茶飯事だったけど、保育園のお迎えに間に合わないというときは、いったん僕が保育園に迎えに行って、会社に戻って仕事をする、ということもありました」

それが不満だったわけではない。哲夫さんは、「男だから」「女だから」という意識はなかった。いわゆる「ギョーカイ」で、華やかに活躍する妻が自慢でもあった。「あのころは確かに幸せでしたね」

親のがんに異動が重なった

公私ともにいろんな状況が重なった Photo by iStock

 結婚して10年ほどが経ち、子どもは小学生になった。保育園の送り迎えから解放され、 育児もひと段落というころ、よくないことが立て続けに起こった。 哲夫さんの父親ががんにかかった。会社では、多忙な部署に異動となった。それらのストレスから、哲夫さんは自律神経を病んでしまい、しばらく会社を休んでしまった。

家にいる時間が増えたことで気づいたのは、妻の金使いの荒さだった。哲夫さん夫婦は、哲夫さんの収入を生活費とし、妻の収入はそこからローンが引き落とされる以外は、すべて貯金に充てていた。それまで哲夫さんは資産の管理は妻任せにしていた。

「当時、僕の年収だけで1300万円くらいありました。二人合わせたら年収はゆうに2000万円は超えていた。夫婦がそれぞれ10万円ずつ小遣いをとっても、家族3人の生活費としては十分なはず。だから、それなりのお金が残っていると思っていましたが、ローンも払い終えているのにどんどん預金の残高が減っていました。通帳を見たら、妻が毎月、遊興費、エステや美容医療、ファッションに何十万円も使っていたんです」

妻の言い分としては、「おしゃれな店で食事をするのも、ブランドものを身につけるのも、仕事のうち」。 「たしかにそうかもしれません。たとえば、エルメスの仕事をするならエルメスのバッグ買わなきゃ、みたいなこともあるんでしょう。でも、限度があるだろ、やるなら自分の収入の範囲でやってくれ、と言いました。でも、妻はきかなくて」

喧嘩が増え、他の女性に…

 その後、何度も話し合いをしたが、妻のお金の使いっぷりは改まることはなかった。喧嘩が増え、家の中の雰囲気は悪くなった。

「そんなとき、近づいてくる女性がいて癒しを求めてしまったんです。夢中になり、妻が知るところになりました。もちろん、いろいろな思いはありました。でも、妻が子どもの面倒を見るのが苦手なのはわかっていましたから、子どもを置いて女性と一緒になるわけにはいかない。かといって、夫婦関係は冷え切っていたので、何度か子供のためにやり直そうと思いましたが、それもうまくいかなくて……」

そこへ哲夫さんの単身赴任が重なった。

「まわりに絶対負けたくない」

まわりが裕福な育ちの人ばかりで、「負けたくない」と思う気持ちもわかる…Photo by iStock

 夫婦のコミュニケーションを放棄したのは、どちらが先か。哲夫さんに言い分があるように、妻にも思うところはあるだろう。 「金使いが荒い」という事実だけ見ると、妻だけに非があるようだが、もしかしたら妻にとってお金の使い方を責められるのは、自分の仕事を、ひいては自分の生き方を否定されるように感じられたのかもしれない。  そういえば、いつか妻がつぶやいていたことがある。「会社に入ってみたら、まわりはお嬢さん育ちばかり。彼女たちには絶対に負けたくない」。離婚家庭で苦労し、恵まれた友人たちを羨みながら育った妻は、必死な思いでいまの仕事や地位を獲得した。それを目に見えるかたちで、誇示したかったのかもしれない。  家庭に恵まれなかった女性は、男性に「母性」を求めがちだという話を聞いたことがある。妻は、年の離れた哲夫さんに、ただ「よしよし」と受け止めてもらいたかった。それが満たされる前に、子どもが生まれた。自分を可愛がってくれるはずだった夫は、子どもに夢中になってしまった。うまく母親になれない自分を暗に責めているようでもあった。それが辛くて、さらに仕事に気持ちを向けていったのかもしれない。――いずれも、想像でしかないが。

預金の大半が妻の口座に移されていた

どんどん泥沼に…Photo by iStock

 子どもが中学生になったある日、単身赴任先に弁護士を通して、妻から離婚の申し出が届いた。

「心はすっかり離れていたから、離婚もやむなしと思いましたが、それと同時に子どもと会えなくなりました。子どもに会えないことがこんなにも苦しいとは。正直、死のうとまで思いました」 ネットや離婚に関する本を読んで初めて、離婚をするとき子どもを連れ去ったり、別居親に合わせないようにするケースが横行していることを知った。

子どもとの面会もままならないまま、面倒なことに巻き込まれそうと思ったのだろう、交際の女性は去っていった。大切なものを次々と失い、哲夫さんは心身を病んでいく。

その間にも、妻は着々と離婚の準備を進めていた。ふと不安になった哲夫さんが調べてみると、知らないうちに妻は預金の大半を引き下ろし、自分の口座に移していた。

その後、離婚調停は不成立となり、1年経って離婚訴訟を起こされた。哲夫さんは子どもにはかろうじて会えるようになった。息子のためにも早く裁判を終わらせたいと思ったが、なかなかそうはいかない。

「双方ともに離婚に異論はないけど、妻は全財産を寄こせと主張して譲らない。さすがにそれはOKできなくて…」

夫婦の争いが収まらず、息子に変化が…

お金のことはたしかに重要で、明確にするために裁判することも必要だろう。ただ、忘れてはならないのは、妻も夫も、ずっと息子の親だということ。「息子のためにも円満に別れたい」その想いは真実だ(写真の人物は本文と関係ありません)

 夫婦の争いが泥沼化するうち、息子の様子もおかしくなった。体調が悪くなり、学校も休みがちに。たまに会う時もふさぎこんだり、目がうつろだったりした。

「その後、裁判での意向調査で、息子が『お父さんと住みたい』と言っているのを知って、離婚裁判とは別に監護者指定の審判を申し立て、認められました」

昨年から始まった男2人暮らし。はじめは笑顔だった息子の表情も最近は硬い。これまで反抗期どころではなかったが、生活が落ち着き、反抗心が芽生えてきたのかもしれない。それはそれでいいのだが。

「お父さんと住みたいと言ってはくれたけど、気持ちは複雑でしょう。母親といっしょにいるときは、僕が恋しかったように、僕と一緒にいるときは、母親が恋しいのかもしれない。子どもはどちらの親と住んでも、夫婦の板挟みになる。つらいでしょうね」

高校生活も後半に差し掛かり、そろそろ進路の話も出てきた。息子は地方の大学か海外の大学に行きたいと言う。大賛成だ。 「嫌なことたくさんあったからね。離れてリセットしたいよね。中高時代が暗かったぶん、親のことなんか忘れて、大学生活を謳歌してほしいと思っています」

親同士が揉めていることが、子どもにはいちばん辛いはずだから、早く裁判を終えたい、と哲夫さん。

「いろいろあったけど、最後は子どものためにも円満に別れたい。そして、いつか子どものことで連絡を取り合えるくらいの関係になれたらいいな、と思います。息子のことを同じ立ち位置で見守れるのは、この世に妻と僕の2人だけしかいないんだから」

 

上條 まゆみ(ライター)

4年前