「DV冤罪」~昭和フェミニズムの罪

https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakatoshihide/20200630-00185839/

 

■拉致の予告

Twitterとはいっても具体的な出来事が書かれているため、このYahoo!記事に直接引用するのは僕はためらってしまう。

そのTwitterでなにがつぶやかれているかというと、

「これから子ども(実子)を拉致して夫の元から姿を消します」

という予告ツイートだ。

これまでは「連れ去り」と表現されてきた、同居親(主として母親)によるこうした行為は、abduction/拉致として欧州議会を中心に激しい批判が巻き起こっていることから、当欄でも正しく「拉致」と記載することにしている(もうひとつの「拉致被害者家族」~離婚時のabduction)。

その、「これから拉致を決行します」というツイートは非常に幼く未熟で、タイムラインをたどっていくと、夫からのDVはどうやらなさそうではあるが、1才すぎの子どもの写真をそのままアップするなど、そのTwitterとの向き合い方も「大人」として疑問を抱くものだ。

そのツイートたちを繰り返し読んでいると、その若い母の精神的な苦しさも見て取れ、彼女には福祉的支援(保健所の保健師・役所のケースワーカー・NPOや臨床心理士等)がまったく配置されていなさそうなことも気になる(現実は保健所による「特定妊婦」の指定はされているのだろうが、Twitterには登場していない)。

■「励ましてくれる仲間を得て実子拉致が増えているのではないか?」

こうした事例は、本来であれば「支援」の対象であり、その幼い母の不安を取り除きその孤独な日常をケアすることがポイントになる。

実際、そうした支援の介入はなされていると思う。

けれども、Twitterで見る限り、その若き母にアドバイスするのは、1.一般市民からの「かわいそう、すぐに逃げて」的アドバイスであったり、2.「子どもといっしょに逃げるのが当たり前」的アドバイスだったりする。

1.は、実子の拉致が引き起こす数々の悲劇を一般市民が知らなすぎる、という日本社会の問題がある。それについては当欄でも上に引用した記事のほかにいくつか言及している(別れた親は「人間ATM」ではない~養育費と親子交流崩壊した養育費と面会交流が、「単独親権離婚システム」終了の証し)。

2.については、たとえばジャーナリストの石井政之氏がこのような個人ブログを書いている(SNSで実子拉致をする女性が励まされている 共同親権)。

石井氏のブログには、冒頭僕が引用しなかったツイートなども引用しているので参考にしてほしい(ただしTwitterでのこのアカウントは削除されたようだ)。実子拉致を推奨する弊害について、石井氏はこう書く。

SNSの普及で、実子拉致(誘拐)をする女性たちは励ましてくれる仲間を得て実子拉致が増えているのではないか?

少なくない女性たちが実子拉致をしていることが可視化されている。

出典:SNSで実子拉致をする女性が励まされている

■「やさしく泣き虫で、子煩悩で子育てに熱心な男性ジェンダー」

当欄でも度々触れてきたが、こうした実子拉致を思想的に推奨するのが、「昭和フェミニズム」である(虚偽DVは、「昭和フェミニズム」から生まれた)。

言い換えると、離婚問題の原因を男性からのDVを中心とし、それ以外の多くの原因を排除してきたのがそうした「昭和フェミニズム」でもある。

昭和フェミニズムは、「男性」すべてを否定する。もちろん、DVやセクハラの主体は今も男性ではあるが、それらは離婚原因の10~20%の少数派だとも言われる(6月7日 離婚後の子どもの親権問題で養育費義務化の問題)。

そうした現実は捨象しつつ、「男性=DV=悪」とし、昭和フェミニズムは多くの暴力とは無縁な男性たちを潜在化させてきた。

それは、昭和フェミニズムが生まれた初期はそれなりの使命を帯びていたと思う。僕のTwitterフォロワーの方はこのようにそれを表現する。

また、昭和の少女フェミニズムが異性嫌悪という凶器を自己表明として宙に掲げたところまでは問題が生じなかったのだが、実際に「男女の社会的・家庭内役割について分業と協業を行う時代」「性認識を社会が認め入れる時代」への変化のなかで、当然その凶器は収めなければならなくなったということかと。

出典:住之江 亘 @watarusumi

つまり、時代は変わってしまった。昭和フェミニズムが怒りに震えた昭和的男性ジェンダーの暴力は過渡期の現在でもなお生き残っているが、平成から令和にかけて出現した新しい男性ジェンダー(それは「やさしく泣き虫で、子煩悩で子育てに熱心な男性ジェンダー」)は、おそらく1,000万人以上は出現していると僕は読んでいる。

昭和的暴力男性ジェンダーは現存しており、彼らに対して「男性嫌悪というナイフ」は振りかざされた。

と同時に、その収め時も、その一方ではとっくにやってきている。

■「DV冤罪(虚偽DV)」を見抜くことがフェミニズムのミッション

それら、新しい男性ジェンダーは、昭和フェミニズムの想定外である。

そして、昭和フェミニズムが「フェミニズム」を名乗るのであれば、そうした新しい男性のあり方も射程に収める必要がある。

言い換えると、DV被害者を見つけて支援するのがフェミニズムのミッションであれば、DVとは無縁の新しい男性ジェンダーを定義し、それが関与する離婚案件を区別する必要性がある。

現実にDVする昭和男性も当然存在する。そうした暴力とは関係ない新しい男性ジェンダー像も大量に存在する。

DV被害者の女性たちを救済するのがフェミニズムの行動指針だとすると、その範疇に入らないDVとは無関係の多数派男性ジェンダーを区別することもフェミニズムには求められている。

いわば、「DV冤罪(虚偽DV)」を見抜くことがフェミニズムのミッションなのだが、男性性へのルサンチマンに侵食された昭和フェミニズムにはそれができない。

DV被害者をピックアップするのがミッションのフェミニズムが、「男性すべて(DV加害者はその中の1~2割)」を恨むあまり、真のDV被害女性を曖昧にしてしまう。

この「曖昧化」により、離婚時の実子拉致等、単独親権(否定する男性に親権を渡さないという運動)に伴う悲劇が生じている。昭和フェミニズムは、本来の対象であるDV加害者を見つけ出して、自らの射程をそこに絞り込むことが求められる。

4年前