「シングルマザーの思想」が親たちを苦しめる~コロナパニックを男性の子育ての導火線に~

社会が引き離しと親子の対立を作り出す

 

先日、千葉県に住む娘に会いに行った。

娘が中学生になる前、月に1度4時間という養育時間を裁判所の決定でぼくは得ている。それ以前は隔月4時間だったので倍に増えたのだけれど、実際には娘は途中で帰るようになり、娘の行動はそれとしてぼくは4時間という時間を持っているので娘についていくと、途中で娘の母親やその再婚相手(養父)が待ち構え、「ストーカー」や「つきまとう」と娘の前で呼ばれて妨害を受け、胸を痛めた。

それだけでなく、母親に娘といっしょに警察を呼ばれたり、娘の安否確認をしようと思って娘の家に行こうとすると、着いてもいないのに母親の再婚相手に警察を呼ばれたりした(いわゆる「予防拘禁」)。さすがに約束を破っているのは先方なので、警察で逮捕されることはないけれど、「これは明らかに名誉棄損で犯罪ですからね」と警察には伝えている。

彼らは新しい家庭を作っており邪魔だてするのはぼくだというのだろう。実際に娘は、娘の学校に現れるぼくのことを「迷惑」と言い、現在行っている中学校がどこかを教えない。母親とその再婚相手に聞いても「娘の意思がある」と教えない。養父から「つきまとうな」と言われたときには、「何様なんだろう」と実父が思うのは普通だ。共同親権の発想からすると彼らのやっていることは無茶苦茶だけど、家制度の発想からするとまっとうになる。

「お父さんなんだからきちんと話し合わないとだめよ」「あなたが悪態ついても毎月来てくれるって素敵なことじゃない」と娘の周囲の誰かが言えばすむことかもしれない。父親の表現の仕方が突拍子がなくても「ユニークね」で終わることが、同居しない家族が同居家族の平穏を乱すのが問題、という発想だと「DV支配が続く」「ストーカー」と呼ぶことが正義となる。娘の周囲にはぼくのことを「迷惑」と呼んではばからない人がいるのだろう。

「親に向かってなんだその言いぐさは」と古い人間なら一言言いたくなるが、それが「DVの証拠」となり、行政や裁判所はもともと家制度的な人たちが運営しているので、こっちの発想に流される。

彼らの周りには共同親権の発想をする人はいないし、いてもそういう人は避けるだろう。ぼくからすれば別れて13年なのに、まだぼくに付きまとうのかと思うけど、彼らは自分たちの家庭を守っているだけ、ということになる。つまり、社会が彼らの行動を支えている。

 

「シングルマザーが悲鳴」、そんなに同情できないわけ

 

新型コロナウィルスで「シングルマザーが悲鳴」を上げているという記事を見かけるようになった。仕事がなくなり収入減になりそう人は、自分も含めて身近にうようよいるので、「すぐに現金給付を」ということなら、シングルマザーに限らず全員にすればよいと思う。

しかし「働かざる者食うべからず」という資本主義ずぶずぶの発想だと、誰が一番苦境かと、「苦境タイトル争奪戦」が始まる。つまり限られたパイの中で優先的に予算配分を得るためには、がんばっている姿を見せてなおかつ苦しい「いい弱者」が必要になる。「いい弱者」は被害者でなければならず、一般的なイメージで言えば女性だ。「しんぐるまざぁずふぉーらむ」やらがえらいのは、そういう仕掛けがよくわかっており、すぐに調べてデータ化し「見える化」する力があるところだろう。

養育費や婚姻費用の額も上がっている。一定額が給料から天引きされる父親の場合は、支払いができなくて自殺したりする人も出てくるかもしれないが、彼らは多く男性なので、経済的な側面での「苦境タイトル争奪戦」では負けがこみやすい。

だから別居親が、「シングルマザーだけ特別視する必要がない」と言いたくなる感情はわかる。何しろしんぐるまざぁずふぉーらむの赤石千衣子さん自身が、引き離し運動のイデオローグの一人だから「何を虫のいいこと言ってるんだ」とぼくも思う。子どもには両親がいるのに、「男はいなくても女は幸せになれる」というなら、誰もいない密林の奥地で実現してくれと思う。おっといけない、これじゃ小学生の「男子対女子の喧嘩と同じだ。

「私がいなくなったら子どもはどうする」「1対1だと煮詰まる」と、父親がまるでいないかのような発想で言われると、「ひとり親」団体のリーダーが煽ってきた「男への敵意」と日常的に接する側の人間としては、「だったら父親に子どもを見させろ。父親に子育てがどんなにたいへんかこの機会に思い知らせろ」と支援者は言うべきだと思う。これで心中(子殺し)されてはたまらない。最終的に保育園や親(祖父母)に見させるなら、別居親との感染だけをことさら恐れるのは理由にならない。このパニックは父親の子育てを促すチャンスだ。

 

「ひとり親」支援団体はもはや同居親のニーズに答えられていない

 

あまり知られていなし、多くの別居親団体にはその受け皿がないけれど、電話窓口を開いていると同居親の側からの相談をときどき受ける。何しろぼくも同居親をしていた時期があるので、「あなたたちにシングルマザーのたいへんさなんかわからない」と言外に言われると、「自分で勝手に大変になってて、甘えてんじゃないよ」と言いたくなる。

以前から相談であるのが、「どうやって会わせていいかわからない」「会わせたいけど相手にはかかわりたくない」というものだ。また、「相手が会いに来ない」という相談や、「父親に子育てもあてにしたいんだけど、弁護士や周囲からはそんなのおかしいと言われる」という相談もある。

「共同親権」はこれらすべての悩みをいっぺんに解決できる魔法の言葉ではない。しかし、「相手に面倒見させればいいじゃないですか」という言葉は現状の支援ではないのはわかる。来た人に「被害者」という立場でいてもらわないと、現状の「ひとり親」支援や女性支援の意味がなくなる。「加害者」として男性を敵視してきたなら、どうやっていいか、具体的な方法がわかるわけもない。そういう意味では、彼らの「シングルマザーの思想」と女性支援は、男社会が永続することに依存している。そしてそういったマッチポンプの支援の正体に当事者たちは気づき始めている。何しろ「共同親権」という別の選択肢があるということを、知ってしまったのだ。

だからこそ単独親権の維持は必要になる。何しろそれは離れていても家族でいることを拒み、家父長制を支えた家制度にとって、もう一方の「別居シングルペアレント」を二級市民とするために欠くべからざる道具だからだ。「単独親権制度」という「錦の御旗」がありさえすれば、「引き離し」という行為は「正当な手段」として免罪される。

だからぼくは子どもに「ストーカー」と言われている。(2020.4.13)

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6か月前