「共同親権制の導入」か、「単独親権制の廃止」か? |
後藤 富士子 |
2019年4月 |
http://www.midori-lo.com/column_lawyer_131.html
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民法は、父母が婚姻中のみ共同親権としており、父母が法律婚をしていない場合や離婚した場合、父母のどちらか片方の単独親権としている。婚姻中のみであっても父母の共同親権とされたのは、単に「両性の平等」というだけでなく、それが「子の福祉」に適うと考えられたからである。その根本には、「家」制度が否定され、夫婦・親子という家族構成員個人が尊重される「家庭」が措定されている(憲法24条)。
一方、未婚や子の出生前に父母が離婚したときには、一義的に子を産んだ母の単独親権とされ、父母の協議または家裁の審判により父を親権者とすることができるが、いずれにせよ単独親権である。この場合、子が生まれた時点で父母が法律上の夫婦でないために、共同親権を是とする「家庭」が存在しない。これに対し、子が生まれた後に父母が離婚した場合、共同親権から単独親権に変更される。この場合には、共同親権を是としていた「家庭」が消失するのである。
すなわち、共同親権か単独親権かの区別は、専ら父母が法律婚関係にあるか否かによっている。それは、法律婚のみを「正統な家庭」とみなし、「家庭の在り方」の多様性を許容しない。だから、父母が法律婚関係になくても、実質的に共同親権行使が可能か否かは一顧だにされない。そして、父母が法律婚関係にない場合には、法制度として単独親権制こそが子の福祉に適うと擬制されている。
しかしながら、これでは、父母が法律婚関係にあるか否かで親権について極端な差を設けることになり、父母にとっても、子にとっても、社会的身分により社会的関係において差別されることにほかならず、憲法14条に違反する。また、別の視点でみれば、離婚や未婚を「家庭の在り方」として異端視することでもあり、個人の尊重と幸福追求権を定めた憲法13条にも違反する。
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父母が婚姻中は共同親権とされたのは、それが子の福祉に適うとされたからである。それでは、父母が法律婚関係にない場合には、共同親権は例外なく子の福祉に反するのであろうか?
1985年に日本でも発効した女性差別撤廃条約16条1項(d)は、子に関する事項についての親(婚姻をしているかいないかを問わない)としての同一の権利及び責任を定め、あらゆる場合において、子の利益は至上である、としている。また、1994年に日本でも発効した児童の権利条約18条では、
①子どもの第一次的養育責任は親にあり、国はその責任の遂行を援助する立場にあるとする基本原理を定め、
②子どもの発達・養育に対しては、親双方が共同の責任を有するとしている。
これらの規定からすれば、父母が法律婚関係にないからといって共同親権制が排除される理由はなく、むしろ共同養育が子の福祉に適うと前提されている。そのうえで、親権の行使が子の福祉に反する場合には、父母が法律婚関係にあるか否かに関わらず、また、共同親権であるか単独親権であるかに関わらず、国の介入が認められる。実際、民法でも、親権喪失・停止や管理権喪失の審判が制度化されているが、離婚が親権喪失事由とはされていない。
しかるに、婚姻中は父母の共同親権であったものが離婚により単独親権となるのは、父母のどちらか片方について離婚を親権喪失事由とするものであって、「子の福祉」が論じられる余地がない。換言すると、婚姻中は父母の共同親権が子の福祉に適うとされているのに、離婚によって単独親権となることが子の福祉に適うと論証することは不可能である。
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ところで、昨年7月17日の記者会見で、上川陽子法務大臣は「親子法制の諸課題について、離婚後単独親権制度の見直しも含めて、広く検討していきたいと考えています」と述べた。私は、「離婚後単独親権制度の見直し」=「離婚後単独親権制の廃止」と受け止めたが、憲法学の木村草太教授は「共同親権制度導入」と言い換えて論難している。
私がこの10年余り主張してきたのは、「離婚後単独親権制の廃止」である。それは、ある日突然に妻が幼い子を連れて失踪する「離婚事件」が頻発し、離婚紛争として想像を絶する悲惨な家庭破壊・人間破壊が繰り広げられるのを目の当たりにしたからである。すなわち、離婚が成立していないのに、事実上片親の親権行使が不可能になる事態が生じ、「婚姻中は父母の共同親権」という民法の規定は踏みにじられる。しかも、裁判所がそれを違法としないばかりか、離婚判決では連れ去った親を単独親権者に指定するのである。こうなると、「離婚後の共同親権制導入」などと寝言を言ってはいられない。「単独親権制の前倒し」を止めさせるしかないのである。しかし、離婚前に子を連れ去るのは、離婚後の単独親権者になるためである。したがって、「離婚後単独親権制」がある限り、「連れ去り」「引き離し」の横行を防ぐことはできない。
また、離婚後単独親権制では、離婚と単独親権者指定が同時決着しなければならない。そのことが、離婚紛争の解決手続を荒廃させ、親にも子にも全く理不尽な辛苦を強いている。この理不尽で不合理な手続を解消するためには、離婚後単独親権制を廃止すれば足りる。すなわち、離婚後の共同親権の具体的なあり方について、家裁の手続により解決すればよいのである。民法766条は、それを想定している。 こうしてみると、「共同親権制度の導入」と「単独親権制の廃止」と、問の立て方によって答えが正反対になりうることが見て取れる。実際に生起する「リアル」に基づいて論理を構築しなければ、理屈だけの「バーチャル」に打ち勝つことはできない。法律には素人の当事者が、「離婚後単独親権制の廃止」(民法改正)という正確な目標を掲げて運動することが極めて大切と思われる。