共同親権運動が家裁の人員補充を求めたのは10年前です。今は、単独親権でも会せなければ「親権変えますよ」と社会が変われば、ほとんどの親は会せるようになるので、家裁の人員10倍じゃなくて、家裁廃止が現実的です。
家裁は職権主義です。立証とかやってませんし、いくら10倍にしても調査官は暴力について調べたりしません。暴力を立証するのが難しいとかいうなら、家裁で調べても同じです。それを立証するなら、刑事事件にするしかないです。
この木村さんという学者さんは、1件でも離婚事件扱ったことあるんでしょうか。法律の解釈と現場の運用を混同しているみたいですが、生徒に突っ込まれないうちにもうちょっと現場を勉強したほうがいいよ。仮にこの人の言うこと聞いても勝てる人いないから。
あと、引き離しの被害者が名乗り出るのをけん制するなら、DVの被害者が名乗り出るのもやめたほうがいいと言ったほうがいいです。自分が何言っているのかわかってるんでしょうか。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191019-00010005-abema-soci&p=7
法務省が先月末、離婚後も両親共に親権を持てる共同親権を導入すべきかを検討する研究会を年内に設置すると発表した。
これに先立つ9月25日、AbemaTV『AbemaPrime』では、「離婚後に自分の子どもに会えなくなる」「子育てにも関与したい」と共同親権の導入を求める当事者や弁護士、そしてDV等の懸念から単独親権の維持を主張する関係者を招き討論を実施した。放送後、ネット上には「円満離婚なら共同親権でも良いけど、DV・虐待のケースで共同親権は子どもにとって地獄」「共同親権は子どもが2人の親と十分な関わりを持って育てられる権利だから必要」と、子どもの視点でこの問題をどう考えるのか、という意見も散見された。
現行の制度を改めて押さえておくと、親権には、同居し、世話をしたり、養育したりする「身上監護権」(民法820条)と、子の教育方法、進路決定、職業選択、契約、財産管理などの重要事項を決定する「財産等管理権」(820~824条)が含まれる。現行民法では、婚姻中は共同親権だが、離婚後は単独親権となっている(818条3項本文)。共同親権で期待されている点について、上野晃弁護士は「親権争いで過熱した夫婦間の紛争を鎮静化させる」「現状では子どもと会わせるかは親権者の意向に大きく左右されるため、面会交流できない可能性があり、他の国に比べて面会交流が圧倒的に少ない。他の国と同じように十分に交流できる可能性もある」との見解を示している。
そこで10月9日放送の『AbemaPrime』では、首都大学東京の木村草太教授(憲法学)、元家庭裁判所調査官の伊藤由紀夫氏、そして一般社団法人りむすび代表のしばはし聡子氏を交え、議論した。
木村:法律上の親子関係や、親権の概念を正確に理解しないまま行われている議論も多いと感じている。
まず、法律上の親子関係について、簡単に解説したい。日本の法律では、母親が出産すると自動的に「法律上の母子関係」が成立する。他方、父親は、認知の手続をとると「法律上の父子関係」が成立する。ただし、母親が結婚している場合、その子は夫の子と推定され、自動的に夫との「父子関係」が成立する。法律上の親子関係があると、親権を持っていようといまいと、扶養義務や相続権を持つ。親権がないからといって、「法律上親子ではない」ということはなく、扶養のためのお金を払わなくていいということにもならない。むしろ、親権の有無に関わらず、子を扶養する責任は継続する。
次に、親権について説明したい。現在、親権には、同居して世話をしたり、養育したりする権利である「身上監護権」と、財産の管理や教育・進路の決定、職業選択、契約などの重要事項を決定する「財産等管理権」が含まれている。
第一の身上監護権については、誤解が多い。民法766条は、監護や面会交流については、単独親権になったとしても、親権者が自由に決められる事柄ではないと定めている。父母は、どちらが親権を持つかに関わらず、「子の利益」を最優先して監護・面会交流の方法を協議で決めなくてはならないとしている。「親権を持たなくなった方は、法律上、親と扱われなくなり、子どもに会うこともできなくなる」という説明は誤りだ。
具体的には、民法766条1項・2項は、次のように定めている。この規定は、協議離婚(裁判所を通さない夫婦の合意による離婚)についてのものだが、民法771条で裁判離婚(裁判所の判断による離婚)にも準用されている。
つまり、「離婚をする時には、子の監護に必要な事項は協議によって定める。子の利益を最も優先して考慮しなくてはいけない」ということだ。また、父母が合意できないときは、裁判所が、子どもにとって最善の面会交流や監護のやり方を決める。
例えば、親権がお母さんにある場合も、「お父さんとは、どこどこで月1回3時間会いましょう」とか、場合によっては「子どもの家にお父さんとお母さんが交代で泊まりこみ、半分半分で面倒をみよう」ということを合意によって決める。その時は、父母の都合ではなく「子の利益」を最優先させるべきとされている。合意できなかった場合も、「子どもにとって一番いいのはこういう監護のあり方だから、こうしなさい」ということを家庭裁判所が決めることになっている。今年2月の答弁(衆議院予算委員会2月25日)で、安倍総理も、“親の面会、そういう権利については対応している“と説明している。
では、別居親が子どもに会えない場合とは、どういう場合か。一つには、裁判所が、子どもが忙しい、遠方に住んでいる、暴力の恐れがある、子ども自身が嫌がっているなど、「別居親による監護や面会が子の利益を害する」と判断し、それに十分な理由がある場合だろう。もう一つには、裁判所の判断が不十分だったという場合もあり得る。前者は、安心・安全な面会場の整備や交通費の支援、父母子の気持ちどうやって解きほぐしていくかというカウンセリングの支援など。後者は家庭裁判所の人員などを強化しなければ解決できない。つまり、共同親権にしたからといって改善できる問題ではない。
第二の財産管理などの子の重要事項決定権については、どうか。この点、山下前法務大臣は「父母の関係が良好でない場合にその親権の行使を共同にしてしまうと、父母の間で適時に適切な合意を形成することができないことで子の利益を害するおそれがあるとの指摘もなされている」と答弁している。何かを決定する時、お父さんとお母さんが話し合いをできる関係ではないと、どこの学校の行くのかが決められない、あるいは子どものための銀行口座も両方が合意できずに開設できない。といった可能性が出てくる。裁判所が調整するにしても、子どもが契約をするたびに、裁判所に行くのでは、手間も時間もかかりすぎるだろう。だから、この部分は、離婚後は、共同にはしていない、という説明をしている。また、父母の関係が、スムーズに話し合いができるほど良好なら、共同親権でなくても、親権を持つ親がもう一方の親に日常的に相談しているだろう。そもそも、親権の有無に関わらず、離婚後の父母が子どもについて話し合いをすることは、全く禁止されていない。
このように、この身上監護権と財産管理などの重要事項決定権は、別々に考えると分かりやすい。
パックン:僕の発言は共同親権推進派のように聞こえるかもしれないが、共同親権というキーワードは人々の意識を変える意味でも大きいと思う。同居もしない、決定権、管理権も持たない親が親なのか。もし、お母さんが“ごめんね。裁判所で元旦那が来ないと行けないことになっているから我慢してね“というような言い方をしたら、子どもも“なるほど。そういうことか“と思ってしまうかもしれない。しかし、お父さんも権利を持っていて、一緒に週末を過ごすことができれば、両方が親であるという意識は変わらないと思う。アメリカでは仲の悪い夫婦であっても共同親権だ。お互いの同意が必須という条件で、部分的に導入することが大事だと思う。アメリカでは、生まれてから死ぬまで親は親だから。
DV被害者を守るためには単独親権の方がいいのは間違いないし、共同親権の導入後もそのような家庭は単独親権が選択できるようにすべきだと思う。でも、DVとは関係のない家庭を犠牲にするのは乱暴ではないかと思う。
伊藤:もちろんそれはあると思う。私は心情的にはパックンさんに近い。というのも、大半の離婚は当事者の協議で済んでいて、家裁に来るのは難しいケースだからだ。その中では、親権者をどちらにするかで最初に対立が高まってしまい、面会交流をどうやって作り出すか、という議論にならなくなってしまうことが実務的にある。だから子どものことを考えれば、最初から共同親権の形でスタートできた方がいいかなと思うこともなくはない。ただし、そのためには親権の制限や、DVの認定に関する機能強化が不可欠だ。
パックン:僕がなぜここまで熱くなるかと言うと、男親だからだ。そして仕事が忙しいし、子どもの面倒は妻が見てきた。僕が離婚することはないが、万が一離婚した場合、裁判所が僕の親権を認めるとは思えない。仲が悪くなったら会えなくなる可能性があると思うし、共同親権の可能性もない以上、妻が再婚して「この人が新しいパパですよ」って言えば…。
宮澤エマ:みんなが法律のことを考えて生きているわけではないから、お互いに話し合い、会える関係性であれば、そこは意識しないのではないか。これまではアメリカ的に共同親権がいいと思っていたが、どう思われますか?と尋ねられたとき、「ケース・バイ・ケース」としか答えられなかった。やはり離婚にもたくさんの形があるし、単独親権の方がいいケースと共同親権の方がいいケースがあると思う。だからこそ法律はどちらにも対応できるようになっていた方がいいと思う。
堀:僕はパックンさんのお子さんにお会いしたことがあるので、すごく愛情を注いでいるということを証言できる。でも奥さんが「それは世間的な顔であって、みなさん知らないでしょ?」と主張すれば、もうパックンさん側は反論できず、親権は母親、面会もこれくらいですね、と決められ、声を上げられないということを心配しているんだと思う。
木村:お互いがいい関係を築けていれば、離婚していても相談をすると思う。そういう父母にとって、法律上、共同親権にしておくメリットはさほど大きくない。他方、円満ではないところで共同親権にしてしまうと、デッドロックの問題が出てきて、子どものためにならないということだ。
しばはし:今は単独親権なので、世の中的には離婚後は一人で育てるのが当たり前のことだと思われがちだ。親世代の中には、離婚したらもう会わせなくてもいいと言う人もいる。そこに共同親権が導入されることで、離婚しても親は変わらず2人だという意識が世の中に浸透するのではないかという点は有意義だ。また、共同親権にした方が葛藤は少なくなると思われるのは、親権を手放したくないので離婚に踏み切れない人もいる。また、できるだけ早く離婚したいので、離婚してもちゃんと会わせると主張する同居親も多いが、それが信じられないという別居親がいる。それが裁判になれば、相手方を責めるようになり、「あんな人に子どもを会わせたくない」という気持ちになってしまう。もともと共同親権ということであれば、離婚後も親権があるという安心感から、離婚に進むきっかけになるかもしれない。
ただ、離婚後も両親が子育てに関わることを「共同養育」というが、共同親権になったから共同養育が浸透するかといえば、そこには警鐘を鳴らしたい。夫婦としては「さようなら」でも、親子としては何らかの形で関わっていかないといけないという覚悟がないまま、離婚しているケースが散見されるし、あくまでも子どもを真ん中にして、お父さん側、お母さん側それぞれが歩み寄る努力がなければならない。離婚後も旅行ができるような家庭もあれば、親同士は没交渉で子どもだけが行き来するような家庭もある。小さいうちは親のやり取りが必要だが、基本的には自由に行き来し、発言できる関係性や環境を整えられるよう、お互いが協力することが離婚後の子育てには大事だ。
堀:前回も時間を延長して議論した末に、柴山前文部科学大臣から最後の最後に「共同養育」という言葉が出てきた。やはり親権云々の前に、子育ての良好な環境づくりということをゴールに議論を進めないといけないのではないか。
伊藤:面会交流の機会や交流については、民法で親権の帰属や監護権、養育費について書いたところに書き込まないと、家裁の離婚の調停条項の中にも書かれないことになる。また、調停では“最低限このラインなら合意できる“というところから積み上げていくので、現場の感覚としては月1回、数時間程度という形をまず作り出していた。ただ、それではあまりにも少ないのではないか、もう少し子育てに関与したいという意見があるので、そこは柔軟性を持って動き始めていると思う。ただ、かなり激しい対立もあるのが実情だ。
共同親権を導入することを懸念する立場からは、「DVパートナーと関係を継続しなければならない不安」といった意見がある。東北大学の水野紀子教授氏は「日本では家族に介入する社会福祉は貧弱。そういう状況で共同親権を導入すると、被害の永続化を意味する危険性が高い」と指摘している。
他方、欧米諸国では、婚姻中でも別居命令など不当な親権行使には公権力が積極的に介入しているという。ドイツでは親権制限判決数が2万9405件(2015年)、フランスでは9万2639件(2016年)となっている。日本では、支援と介入が乏しく、自ら逃げて別居を実現し、離婚を具体化している面がある。つまり自力救済を前提とした家族法になっているため、親権喪失審判数は25件、親権停止審判数は83件(2016年)となっている。
堀:前回、家庭裁判所の体制が不十分ではないのではないかと問題提起をしたが、そこは共同親権賛成・反対の両陣営ともに合意していたと思う。本当だったらどういう本音があるのかを子どもファーストでちゃんと聞き取って決めないといけないはずが、実際には調査官の数も不足していると思う。やはり共同親権、単独親権に関わらず、家裁や調停員のあり方の改善は進めていかなればならない。
しばはし:そう思う。離婚する人たちは調停に行けば自分の気持ちの部分の話し合いもできると期待している。しかし実際は自分たちのことをよくわかっていないのではないかという方が仲介に入り、面会の頻度や、お金のことだけを取り決めていく。そうすると感情の部分が置いてきぼりになってしまって納得がいかないどころか、「会わせたくない」「会わせろ」というような話にもなってしまう。
伊藤:例えばお父さんとお母さんに揃って運動会に来てほしいと思う年齢もあるが、やはり10歳くらいになると、別れているお父さんが来るのは嫌だと感じる子どももいる。そういうことについてお互いの気持ちを伝えることのできるよう面会交流であって欲しい。また、法律上は15歳以上なら意思の表明ができるとされているので、裁判官が調停の場や審判の場で直接確認することはあると思う。ただ子どもにとっても相当な負担なので、実際は調査官が個別に調査面接で確認している。子どもの権利条約の考え方や面会交流の規定も入ってきているので、意思確認をもっと丁寧に行えということで、10歳前後から本人の意思を確認する形になってきていると思う。ただ、一緒に暮らしているお母さんが同席しているところで“どうなの?“と聞くような場合、すごく難しい。調査官1人ではとても無理だし、時間もかかる。調査官は全国に1500人くらいいると思うが、実働部隊は1300人くらいだと思う。少年事件など、非行の総数は激減しているが、それでも450人くらいが担当していて、家事の方に割けているのは800人くらいだ。それで全国をカバーしている。それも全国異動がある仕事だし、調査官の志望者は減りつつある。
そして、調停でも審判でも、身体的DVに比べて精神的DVの認定はすごく難しい。当事者同士はあった・なかったで感情的にエスカレートしていくし、話し合うという関係も壊れてしまう。そこで私は、親の紛争・対立の下にいて引き裂かれている子どもの調査を尽くし、どんな意見を持っているか。どういうことを願っているかを丁寧に考え、それを親にフィードバックする。共同親権を導入するのであれば、少なくともそういうことについて十分に手当てできるような形にすべきだ。それができないのであれば、残念ではあるが期限を設け親権を制限する制度が必要だ。
木村:DV被害の立証は難しい。モラハラの場合は、さらに輪をかけて難しい。現在の制度は、厳密な立証ができなくても、自分の方がより適切な監護・養育ができると説明できれば、単独親権となり、加害者との距離を取ることができる。単独親権は、DV被害からの防波堤の役割を果たしている。
他方、現在の家庭裁判所の人員や予算は、単独親権制度を前提に組み立てられている。今の裁判所の調査能力で、どちらか一方が拒否している場合に共同親権を命じる制度を導入してしまうと、裁判所がDVを見抜けず、被害が永続してしまうケースが出てくる懸念は理解できる。また、DVがなくても、話し合いができないくらいに仲の悪い父母に共同親権を命じると、政府が強調しているように、スムーズな合意ができず、子の利益を害する事例がたくさん出てくるだろう。不適切な親の親権を裁判所が事後的に制限しようとするなら、裁判所が、ドイツやフランス並に、年間数万件の事案を捌くことになることを覚悟しなければならない。現在の司法や国には、それだけの予算を立てる覚悟や財政力はなさそうに見える。
共同親権の選択肢があれば、親権を巡る争いがなくなり、夫婦の葛藤を下げるという主張も根拠がない。共同親権であれ、どちらの親が日常同居し監護するかは決めなくてはならない。親権争いに変わって、子どもの生活の本拠の争いが、これまで通り継続するだけだろう。さらに、裁判所から強制的に共同親権を命じられるかもしれないということになれば、共同親権にしたくない父母は、「自分の同居・監護で問題はない」と主張するだけではなく、「相手は共同親権を持つのにふさわしくない酷い親だ」という主張までしなくてはならなくなる。単独親権制度の下での離婚よりも、葛藤が高まる危険があるだろう。
こういう問題を考えると、検討に値するのは、お父さんとお母さんが合意した場合に限り共同親権を選択できる「選択的共同親権」の制度に限られるだろう。また、単に合意があればよいというだけだと、DV加害者が「共同親権に合意しろ」と脅迫した事例や、離婚手続を早くすすめたくていい加減な気持ちで子の利益にならない共同親権の合意をしてしまう場合も出てくる。そうすると、合意は「真摯かつ積極的」なものでなければならない。
パックンさんが、アメリカの例を紹介してくれた。アメリカでは、無理やり共同養育をしろと命じても、2人で協力する関係がなければ、養育も重要事項の決定もうまくいかないということがわかってきたようだ。だから、その関係づくりに大きなコストを割いている。だから共同親権運動をされている方は、“家裁予算10倍運動“も併せてやるべきだろう。
最後に、これから離婚や共同親権の報道が増えると思う。メディアの方には、注意して欲しいことがある。NHKの「生活ほっとモーニング」が、離婚の一方当事者だけを取材・報道し、もう一方の当事者から名誉毀損で訴えられた事件がある。この事件の判決は、次のように述べ、賠償を命じた。
離婚問題について当事者の声を報じるときは、お父さん、お母さん、双方からの取材を尽くして、できるだけ真実の把握に努めなければならないとされている。報道に関わる方も見る側も、そこに注意しないといけない。
また、両親が離婚や親権で争っているという事実は、多くの子どもにとって、人に知られたくない事実だろう。両親が同意していても、当事者の顔出しや実名での離婚報道は、子どものプライバシーの保護のために、できる限り控えるべきだ。
報道関係者のみなさんには、真実を探求することと、子どものプライバシーに配慮してほしい。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)