「『本当の親』にならなければいけない」という道徳~単独親権派のアポリア

そもそも単独親権でDVが防げるとか、何年か引き離せばDVが起こらないとか、連れ去られたほうがDV男とか言ってる時点で、フェミニズムの枠内で考えているにすぎませんし、あんまり現場のことを知っているようにも思えませんが、とりあえずオーソドックスなありがちな議論です。

https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakatoshihide/20191005-00145399/

■「『本当の親』にならなければいけない」という道徳

残念ながら、また起きてしまった埼玉での悲しい事件を受けて『AERA』ではこんな記事が掲載されている(さいたま男児殺害事件 「本当の親」像に囚われる危険性指摘する声)。

ここで指摘される『本当の親」という概念が、義理の親たちに重くのしかかり、強烈なしつけ=虐待となって子どもたちへと向かうという専門家の意見だ。記事の後半では、男女の古典的ジェンター規範がこれに加わり、たとえば義理の父であれば、「強く厳しい父/男でなければいけない」という言葉になって彼らを覆うと示唆されている。

この「本当の親」という概念は、社会規範というよりも、むしろ「道徳」そのものかもしれない。「人を殺してはいけない」「親孝行をしなければいけない」等の、時代ごとに変遷する社会規範(「学校に行かなければいけない」というのはどちらかというと規範に属する)というよりは、人間が普遍的にもつ暗黙の決まりごと、つまりは「道徳」そのものだと僕は思う。

また、「強い父でなければ」も規範というよりは道徳くさいが、社会によっては強い父は不要である社会もあると思うので、ここでは規範に一応収めておく。

こうした道徳や規範は多くの人には無意識的なものであり、それは皮膚のように親たちを覆っている。そうした規範性にがんじがらめになっていることも気づかず、「厳しいしつけ」や「男らしい父親」等のティピカルな像そのものに自分をつくりあげる。

そして中には子の死へと至ることもある。また、その男たちが持つ道徳と規範は妻にも襲いかかり、DVというかたちで現れる。その結果、妻たちは子を連れてその家を出ることになる。

この現象が、いわゆる「子の連れ去り」と呼ばれることになる。

■単独親権派の拒否

古典的フェミニストたちは、こうした被害妻たちを守るため、「単独親権」にこだわりつづける。世界的には共同親権が大多数であり、日本は数少ない単独親権国家なのであるが、そうした事実を共同親権派から聞かされても、古典的男性ジェンダーの暴力の被害にあった妻たちを単独親権派の古典的フェミニストは守る。

この、DVと虐待の防止は、親権の停止等で対処し、そのこと(DV・虐待対策)と「親権そのもの」を考えることは別の問題だというのが共同親権派の人々の考えだ。

この考えは徐々に浸透してきており、国も動かしつつある(「共同親権」導入の是非検討 法務省、研究会立ち上げ)。

また、法律家からも論理的かつ説得力のある説明がなされている(離婚前に「共同養育」の構築を)。

けれども、単独親権派はこれらの動きや意見をかたくなに拒否する。その動機は、「妻/女を守る」に尽きるのではないか、と僕は想像している。

共同親権派は、この動機に対して、「隠された弱者である子どもの声が聞こえない」「子は母と父、両者を求めている」として、潜在的当事者である子の声を聞け、と主張する。

■「父/夫」として忌避すればするほど、それら「父/夫」の力は温存され強化される

こうした「子/真の当事者の声を聞け」は、女が暴力にさらされる危険性により隠される。古典的ジェンダー区別である「女/男」「妻/夫」という二項対立の中の弱者、つまりは「女」の権利擁護が何よりも優先される。

DVの加害側、父/男の親権を停止することで被害を防ぎつつ、親権を共同親権に法的に整える、というパラレルな議論が単独親権派には受け入れられない。

ふだんはひきこもり支援をする僕も、DV男の「こわさ」はよくわかる。ひきこもり界隈では父は暴力をふるわず子(主として息子)が暴力を母に行使するのであるが、その威力はものすごい。

ひきこもりの家庭内暴力は親子の別居が効果的なため、DVにおいても夫婦の別居は当たり前だと思う。と同時に暴力親の親権を停止し、数年間は法の監視下に置かれるのも仕方ないかもしれない。

ひきこもり家庭内暴力はここでは置いておき、DV案件での「別居→親権停止/監視」を単独親権派はたぶん信じられないのだろう。いくら住所を知らせていなくても、DV男の来襲を危険視し警戒し、いちばん安全な方法である「単独親権」にこだわるのだろう。

皮肉だが、こうした暴力への徹底した防御が、暴力は否定しつつも、夫/妻、男/女という古典的二項対立を固定してしまう。

暴力的な父/夫を古典的ジェンダーオトコとして定立し対決してしまうことが、その暴力オトコを男としてはめ込む。また、それら暴力オトコたちが強迫的に抱いてしまっている「『本当の親』にならなければいけない」という道徳を、それに対立して否定するという行為そのもので、その道徳を認めてしまうことになる。

二項対立すればするほど、その存在を「父/夫」として忌避すればするほど、それら「父/夫」の力は温存され、それら古典的ジェンダー役割は生き残り、「本当の親」という道徳は強化される。

単独親権派フェミニストが抗議すればするほど、その力は、保守的位置にある男/父の役割を強化していく。

■「家族」というシステムを少し柔らかに

フェミニズムを最新系にするには、そうした行き詰まりからすり抜け、もっと「父」や「オトコ」を軽くしたほうがいいと思う。別居=親権停止という方策に関してより安全なシステムを整えつつ、それとは別の次元で「親権」をゆるやかにしていく。

つまりは、共同親権という、離婚してからも続く親子の新しいかたちを受け入れる。その受入そのものが、固く固定されてしまった「家族」というシステムを少し柔らかにし、少しだけ解体させていくはずだ。

田中俊英 一般社団法人officeドーナツトーク代表

子ども若者支援NPO法人代表(淡路プラッツ02〜12年)のあと、2013年より一般社団法人officeドーナツトーク代表。子ども若者問題(不登校・ニート・ひきこもり・貧困問題等)の支援を行なう。03年、大阪大学大学院「臨床哲学」を修了。主な著書に、『ひきこもりから家族を考える』(岩波ブックレット)ほか。内閣府・広島県・川西市・大阪市ほかで子ども若者支援専門委員。officeドーナツトークは、平成29年度 内閣府「子供と家族・若者応援団表彰、内閣特命担当大臣表彰」受賞。

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