■離婚は当たり前の現実としてそこに
昨日、僕も一年前に出演したAbemaPrimeで、「離婚後、現状の単独親権か、世界基準の共同親権か」を議論する特集が組まれ、Twitterを中心に大きな話題になっている。
年間21万組の夫婦が離婚し3組に1組が離婚する現在、我々の生活に離婚は当たり前の現実としてそこにある。
そのように当たり前のように離婚した後、日本の親権は単独親権であることに気づき、どちらかの親が子どもと住むことになる。そうした状態に落ち着くため、日本では「子の連れ去り」という事態が日常化している。
これは国際問題にもなっている。国連からも勧告されているし(国連子どもの権利委員会から日本政府に対する勧告について)、ヨーロッパの首脳からも不満を明言されている(親による「誘拐」が容認されている日本の異常)。
これらの勧告と批判、昨日のAbemaPrime的世論の高まりを受けたせいなのかはわからないが、今日、法務省は、共同親権の導入に関して研究会を立ち上げると発表した(「共同親権」導入の是非検討 法務省、研究会立ち上げ)。
共同親権を切望する「別居親」たちにとっては念願の一歩前進だったようだ。
■「DVの反復」可能性
これは当事者たちの嘆きや怒りと反するように、それほど難しい問題ではないと僕は思う。上のAbemaPrimeの共同親権派識者も含む多くの人々が、「親が離婚しようが、子どもにとって共同親権が当たり前」だということだ。
警察発表で9000件あるDV数(配偶者からの暴力相談等受理状況)も見逃せない数字ではあるが、21万件の離婚数と、その2/3は別れた子どもと会えない/会いにくい状況(上記「親による『誘拐』が容認されている~」記事)と比べると、9000件のDVだけを単独親権維持の理由にはできない。
日本の平均的離婚カップルは、どちかの親が子ども同居し、別居したほうの親は子とまったく会えないか月に1回、あるいは数年に1回しか会えない。しかも、その「面会」時間は2時間ほどだ。
その状況を後押しする第1の理由は、「DVの反復」可能性のようだ。DV案件自体は9000件ほど、離婚数は21万件なので、およそ1/21の確立が、20/21の別居親の願いを打ち砕いている。
■営利組織に
上のAbemaPrimeでは大激論だったようだ。単独親権派と共同親権派の歩み寄り可能性は絶望的だったらしい。
たしかに、1/21の確率とはいえ、DV警戒派の理屈は首尾一貫している。けれども僕は、以下の2点で現状の行きづまり感はバカバカしいと思う。
1.原則的に言って、「親の権利」は両親に平等である。また同じく原則的に、子が両親に要求できる「子の権利」も平等である。単独親権は、同居と親権という「葵の印籠」を持ったもの勝ち、あるいは連れ去った早いもの勝ちに与えられる、事後的なエセ権利だ。
2.そうした原則的な親権である共同親権に対して、単独親権を懸命に擁護する人々は、AbemaPrimeにも見られるように、DV支援NPO・離婚問題専門弁護士、あるいは著名憲法学者たちだ。憲法学者の単独親権擁護は意味不明だが、DV支援NPOにとっては、共同親権になるとおそらく減少するだろうと見積もられている予想を本来ならば歓迎してもいいのではないかと思う。
けれども、DV支援NPOは単独親権擁護にこだわる。
それは単に、「目の前のDV被害者を見捨てたくないから」が直接的な動機だろうが、大きな目で見ると、「共同親権になってDV問題が激減すると、自分たちが存在する意味がなくなる」ということも大きいのではないかと僕は思う。
NPOという非営利組織からすると、社会課題(ここではDV)が減少すれば、その非営利組織はつぶれてもいい、というのがNPOの存在理由のはずなのに、NPOという定義からすると、それら単独親権派NPOは大きく矛盾している。
弁護士が自らのミッションを現実化させれば自分(弁護士)は商売上がったりになっても上等、と思うかどうかはわからない。だが、僕も20年近く属してきたNPO業界においては、そのミッション貫徹(たとえばDV撲滅)がなされれば、自組織は解散してもいいはずだ。そのミッション達成が目的というのが非営利組織の宿命なのだから。
こうした宿命を受け止めずに、不合理な単独親権にこだわり続けるNPOはもはや営利組織といってもいい。つまり、NPOのN、not/非を捨てて、単なる営利組織になっていつまでも単独親権を擁護すればいいと思う。
NPOのなかにはもしかして、単独親権のままのほうが自組織の事業(たとえば特別養子縁組の手数料ゲット)が繁盛するという思惑もあるかもしれない。それも単なるNPOという名を被った営利組織なので、Nを削除すればいい。