■海外からみれば「日本は連れ去りを容認している国」
子育て中心の人生を送っていた男性が去年12月、妻から5歳と3歳の子どもを連れ去られた。男性は子どもを連れ去られる理由はないとして、共同監護などを求める審判を申したてたものの、現在も子どもとの生活は戻っていない。今年6月には妻から単独親権を求める離婚裁判を起こされ、現在係争中だ。
この男性のように、妻や元妻から子どもを連れ去られて、事実上の生き別れになってしまう父親は、日本では珍しくない。逆に、夫から子どもを連れ去られる母親もいる。その背景には、日本が「単独親権」を原則としている点がある。裁判所は「単独親権」を前提にしながら、多くは連れ去った親に有利な運用をしているのだ。
しかし、「単独親権」を採用している国は先進国にはない。子どものために「共同親権」を認めるのが一般的で、日本は連れ去りを容認している国として国際的に非難されている。国連子どもの権利委員会は今年2月、「共同親権を認めるために、離婚後の親子関係に関する法律を改正する」ことなどを日本政府に勧告した。
それでも法整備に向けた議論は、国内ではまだまだだ。「単独親権」の制度の下で、理不尽な苦しみを受けている男性に話を聞いた。
■同意なく子どもを連れて消えた妻
「去年12月、妻に当時5歳の長男と当時3歳の長女を連れ去られました。子どもたちがどこにいるのか伝えるように求めても、知らされることはありません。子どもたちに私を会わせるかどうかは、妻の一存で決まります。
私はDVや不倫をしたわけでもなく、子育ての大半も担ってきました。にもかかわらず、裁判所は連れ去りから8カ月以上がたっても、子どもたちと私が日常生活を過ごすことを認めないのです。このまま生き別れになるのかと思うと、胸が引き裂かれる思いです」
こう話すのは、東京都港区在住で、パイロットとして航空会社に勤務しているAさん(47)だ。Aさんは同じ年齢の妻と8年前に結婚し、長男と長女が生まれた。
しかし、去年12月、妻が2人の子どもを連れて出ていった。子どもたちの居場所は、Aさんにはわからなかった。これは夫婦生活の破綻によって起きる、いわゆる「子どもの連れ去り」だ。
■5年半、子育ての大部分を担ってきたのに
Aさんはもともと別の航空会社のパイロットだったが、約15年前、空港に向かうバスにクルーの荷物を積む手伝いをした際に、椎間板を割る大けがをした。労災が認められたが、回復して仕事に戻るまで2年半かかった。このけがが理由で、のちに解雇されている。
当時、前の妻と結婚生活を送っていたが、この大けがが原因で離婚。8年前に裁判が終わり、その直後に同じ高校の同級生だった現在の妻と知り合った。お互いバツイチで、交際が始まると、まもなく再婚した。
再婚後、Aさんは最初は主夫として妻を支えた。約2年がたって長男を授かり、Aさんは子育てを担いながら、可能な時間で保育ルームの仕事をしていた。
長男が2歳になると、今度は長女が生まれた。生活費も必要だったため、以前勤めていた会社の同僚の紹介で別の航空会社にパイロットとして復帰した。子育ての時間が必要だと会社に相談すると、会社は理解を示し、フライトを調整してくれた。
「平日や週末を問わず、家を不在にしていた妻よりも、5年半もの間、子育ての大部分を担っていました」
Aさんは子育てに重点を置いた生活を送っていたと話す。
■病院は「警察と児童相談所に通告する」と告げた
問題が起きたのは去年6月だった。長男、長女ともに体調が悪く、病院に連れて行く必要があり、Aさんは妻に相談した。すると妻は仕事に行かなければならないという口ぶりだったが、実際は知人と旅行にいくつもりでいたことがわかった。
Aさんが「いくらなんでもそれはないよ」ととがめると、妻は激怒し、子どもたちが見ている前でAさんの口のあたりをつかんだ。爪が食い込み、Aさんは流血したが、妻はそのまま家を出た。Aさんはそのまま港区内にある病院に子どもたちを連れていくと、「虐待対応チーム」を持つ病院は傷を負っていたAさんに事情を聞き、次のように告げたと言う。
「夫婦であっても子どもの前で暴力を振るうことは、お子さんの心に傷を残します。面前暴力という子どもへの虐待にあたり、児童虐待防止法違反になります。私たちは警察と児童相談所に通告しなければなりません」
■妻の遊びをとがめると暴力、突然子どもを連れ去られる
通告されれば妻はもっと怒るだろう、と思ったAさんは、何とか穏便にすませるように病院にお願いした。その結果、今後もAさんと病院が連絡を取り続けることを前提に、児童相談所への「報告」という処置が取られた。この時に病院は「虐待対応記録」の書面を発行している。
Aさんはしばらく時間がたったあと、病院が児童相談所に「報告」したことを妻に話し、反省を求めようとした。すると妻は、「あなたに言われる筋合いはない」「出ていけ」と言い、離婚に向けて弁護士と相談していることを明かした。
その後、妻の希望で双方の母親が同席して、話し合いの場がもたれた。妻はAさんに家から出ていくよう求めたが、Aさんは「子どもと離れて暮らすことは受け入れられない」と主張した。話し合いはまとまらず、妻は同居のまま離婚に向けて調停や裁判を進めることAさんに伝えた。
しかし、同居のままという前提は約1カ月後に破られた。去年12月中旬の午後3時ごろ、Aさんが保育園に迎えに行くと、子どもたちはいなかった。妻がすでに迎えに来たという。普段、妻が迎えに来る時間は、仕事が終わった後の午後6時から8時の間だった。妻と子どもたちがどこにいるのか、Aさんには分からなくなった。子どもたちは妻に連れ去られてしまったのだ。
■警察は「民事不介入」、家裁は「問題なし」
妻は事前に弁護士と相談し、子どもたちと暮らす場所を確保していたことをAさんは悟った。連れ去られる3日前に、義父の命日のため家族全員で妻の実家を訪れていたが、その時には何の話もなかった。子どもたちを連れ去ることを、義母も知っていた可能性がある。
Aさんはすぐに警察署に届け出た。警察官は妻に電話して安否の確認をしたが、妻が弁護士を雇っていることが分かると、警察は「民事不介入」の旨をAさんに告げた。妻や子どもたちがいる住所を教えることはできない、ということだった。
Aさんは司法の力を借りようと、今度は家庭裁判所に共同監護などを求める審判を申し立てた。自分は不倫もDVもしていないし、子育ての大半をやってきたとして、子どもたちを連れ去られる理由はないと主張した。
しかし審判では、発端となった妻の暴力はまったく取り上げられず、病院やAさんへの聞き取りも行われなかった。その上で今年2月に出た調査結果は「妻と子どもたちが一緒に暮らすのは問題ない」というものだった。この結論により、連れ去りから8カ月がたった現在も、Aさんの元に子どもたちは戻っていない。
Aさんが裁判所によって子どもと引き離されるのは、今回が初めてではなかった。前妻との離婚裁判でも、子どもの親権は前妻が持つことになり、結果的に子どもと8年以上会えない状態になっている。Aさんは2度も、子どもと引き裂かれる目に遭っているのだ。
■日本の「単独親権」制度は国際社会から批判
Aさんが2度にわたり子どもと引き離された原因は、日本は離婚後の「共同親権」を民法で認めず、「単独親権」だけを認めている点にある。「単独親権」制度の下では、子どもの親権や監護権をめぐる裁判では、連れ去った側に有利な判決が出るケースが圧倒的に多いという。
実は、「単独親権」しか認めていない国は、先進国では日本しかない。日本人女性と国際結婚した場合に、妻が子どもを日本に連れていき、父親が子どもと会えなくなるケースが問題となって、日本の「連れ去り」の実情が国際的に広く知られるようになった。
「国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約」、いわゆるハーグ条約は、国際結婚が破綻した際の子どもの扱いについて、親権や面会権を確定しないまま、無断で16歳未満の子どもを国外に連れ出す行為を不当とし、元の居住国への帰還を求めている。
ハーグ条約は1980年に作成され、日本は2013年にようやく締結した。今年5月現在、100カ国が締結している。しかし、日本はハーグ条約を締結しながら「単独親権」の制度を変えていないため、状況が改善されているとは言えない。
さらに日本は1994年に「子どもの権利条約」も批准しているが、条約が求める父母の共同養育責任も、「単独親権」制度によって果たすことができない状態だ。
このため、国連の子どもの権利委員会は今年2月、共同親権を認めるために離婚後の親子関係に関する法律を改正することを日本政府に勧告した。日本が「単独親権」しか認めないことは、国際社会から公然と非難されているのだ。
■「単独親権」は虐待受けた子どもを守る制度ではない
日本で離婚後の「共同親権」の法整備が進まないのは、根強い反対があるからでもある。その代表的な理由として挙げられるのが、「共同親権」だと引き続き夫と連絡を取らなければならず、夫から妻への暴力や、夫から子どもへの虐待があった場合に、妻や子どもを守ることができないというものだ。
しかしAさんの場合は、子どもの面前で妻がAさんに暴力を振るったことで、妻による子どもへの虐待が病院によって指摘されている。「単独親権」だからといって、虐待を受けた子どもを守ることにはならないケースもあるのだ。
「虐待から子どもを守るのは、親権とは別の機能です。共同親権であれば、私の妻も子どもを連れ去る必要はなかったでしょう。子どもを連れ去られることを望んでいる人などいません。むしろ単独親権制度によって、苦しむ人が生まれているのです」
■子どもたちと以前のように暮らせる可能性は限りなく低い
Aさんは昨年末に共同監護などを求めて審判を申し立てたあと、妻が申し立てた離婚調停が不調に終わり、現在は離婚裁判で争っている。しかしAさんは、過去の経験からも、現状からも、裁判に勝訴して子どもたちと以前のように暮らせる可能性は限りなく低いと感じている。
「私にとって子どもたちと一緒に暮らすことは、人生のすべてです。子育て以上に人生で大切なことはないと思って生きてきましたから、子どもたちとの日常生活が失われた状況は、自分の体が引き裂かれたような苦しみです。共同親権の実現について、もっと多くの方に考えていただきたいと思っています」
海外では、親と切り離された子どもたちの心理を研究した結果、共同親権が普及していったという。Aさんは自分のケースを多くの人に知ってもらうとともに、日本で共同親権の法整備が実現するよう訴えていきたいと話している。
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田中 圭太郎(たなか・けいたろう)
ジャーナリスト
1973年生まれ。早稲田大学第一文学部東洋哲学専修卒。大分放送を経て2016年4月からフリーランス。警察不祥事、労働問題、教育、政治、経済、パラリンピックなど幅広いテーマで執筆。
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ジャーナリスト 田中 圭太郎