「共同親権」の展望(下)出遅れた研究 早川昌幸(新城通信局)

https://www.chunichi.co.jp/article/feature/newswotou/list/CK2019071402100028.html

「共同親権」問題を含む親子の心理の追跡研究は、欧米で古くから進む。子どもの「人格発展権」を尊重するドイツでは、連邦憲法裁判所が一九八二年に「離婚後の例外なき単独親権は違憲」と判示した。

 米国の研究では、離婚は子どもに心理的不適応を引き起こし「重大なリスクになる」との報告がある一方で、共同監護で世話をした子どもと親の離婚を経験しなかった子どもとの間で、精神疾患の割合に大きな差異はない、とも報告されている。

 棚瀬一代さん(二〇一四年、七十一歳で死去)は、大学教授、臨床心理士として米国カリフォルニア州などで共同監護の実態に接し、傷ついた子どもの心の深層をつぶさに見てきた。その経験を日本に戻って実践した。「心のよりどころだった」と振り返る当事者も多い。

◆子に与える傷を浅く

 「離婚そのものが、子どもに心的外傷(トラウマ)を与えるわけではない。その後に両親がわが子のために賢明な選択をしていけば、子に与える傷を小さくできる」

 一代さんと十代で出会った夫の孝雄弁護士(76)も、「共同親権」実現をライフワークにした。「日本は欧米に比べ、この問題で完全に出遅れた。取り組みを進める人材を育成し、少しでもグローバルスタンダードに近づけなければ」という亡き妻の主張を代弁する。幾多の反対意見をものともせず活動を続けた二人の存在は国内では希少だという。

 東京都港区に住む国際・国内線パイロットの男性(47)も当事者の一人。妻は昨年暮れ、保育園児の長男(5つ)と長女(3つ)を連れて家を出て行き、現在は共同監護などを求め、東京家裁で審判中。離婚訴訟も近く始まる。男性は勤め先の理解もあり、フライトを減らして子育てや園への送迎、通院に積極的に関わってきた。そのためか二人の父親への愛着は強い。録音とともに家庭裁判所に提出した陳述書に目を通すと、男性の切ない思いが伝わってくる。

 四月の夕刻、同居していたころに遊ばせていた公園で母子と出くわした際の記録だ。駆け寄ってきた子どもたちは「パパの家に帰って一緒に過ごしたい、一緒に泊まりたい、朝はパパと保育園へ行きたい」と、母親である男性の妻に泣き叫びながら、必死に訴え続けたという。妻の激しい文句が始まった。

 妻「こんな強行するような!」

 男性「強行なんかしない、強行したのは、あなたでしょ」

 妻「違う」

 男性「連れ去ったんでしょ」

 妻「今一緒に暮らしてるのは私でしょ」

 男性「連れ去ってね」

 妻「どうしたらいいの、じゃ!」

 子煩悩な男性は「週三日でも面倒をみたい。子どもを元の環境に戻したい」と願い、「子どもと人生を過ごすために生きている」と話す。子どもが通う区立保育園が保護者への行事案内を男性に送ってこなくなり、園内での接触も制限されたため、「妻と同等に扱われていない」と区に訴え、ある程度改善された。

 代理人弁護士は「これほど父親を慕うのはレアなケース」と驚く。同じ立場の男性の知人は「子煩悩な親ほど心のバランスを崩すことが多い。家裁に抗議して自殺を図ったケースも聞く」と気遣う。

◆腰が重い政治、行政

 男性による支配・差別が問題視された「家父長制」を乗り越えて女性の社会進出が当たり前になったことで、子どもの監護を巡る紛争が激増したのは、時代の流れかもしれない。上川陽子前法相は「家族の在り方が変化している」として共同親権の導入に一定の理解を示した。各国から批判が相次いでも事態が進展しない背景には、反対意見やしがらみへの配慮、行政事務の作業が煩雑になることへの警戒など、政治や行政の消極姿勢があるのではないか。

 一方で、司法の世界でも日本の後進性を危惧する声があった。最高裁家庭局の元調査員は、論文で「困難な事件の解決について、米国の実践から学ぶ点は少なくない」と指摘。夫婦の対立が激しいケースでこそ、第三者が子どもの立場に立って共同監護に導く必要性を説くが、日本の家裁はそんな先進国の標準にほど遠いのが実情だ。

 孝雄弁護士が「私のバイブルです」と語る国連の「子どもの権利条約」(一九八九年十一月二十日署名、九〇年九月二日効力発生)の九条三項に、こうある。

 「締約国は、児童の最善の利益に反する場合を除くほか、父母の一方又は双方から分離されている児童が定期的に父母のいずれとも人的な関係及び直接の接触を維持する権利を尊重する」

 子どもの立場になれば当たり前のこと。これ以上、放置すべきではない。

5年前