愛媛新聞社説:ハーグ条約 子どもの利益保護を最優先に

ハーグ条約 子どもの利益保護を最優先に2012年02月01日(水) 詳細はこちらから 国際結婚が破綻した夫婦間の子ども(16歳未満)の扱いを定めた「ハーグ条約」加盟に向け、法制審議会が関連法の要綱案をまとめた。政府は今国…

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日本の論点PLUS「ハーグ条約」

日本の論点PLUS「ハーグ条約」(2012.01.26 更新) 1980年、オランダのハーグ国際私法会議で採択された「国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約」のことで、国際結婚が破綻した夫婦の一方が、もう一方の了解を…

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ハーグ条約の真実:ハーグ条約の趣旨

詳細はこちらから ハーグ条約の趣旨 ハーグ条約は、「子どもの親権をどちらがとるか」を決めるものではありません。常居所国で、きちんと法的手続きをとるための手続き規定です。 夫婦が別れる場合には、「きちんと子どもの将来のこと…

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文藝春秋日本の論点PLUS:「ハーグ条約」

詳細はこちらから ハーグ条約 2012.01.26 更新 1980年、オランダのハーグ国際私法会議で採択された「国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約」のことで、国際結婚が破綻した夫婦の一方が、もう一方の了解を得ない…

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NHK:ハーグ条約加盟へ外務省が指針

1月22日 5時53分 外務省は、国際結婚が破綻した場合などに、相手の承認を得ずに国外に連れ出された子どもを、これまでいた国に戻す手続きを定めた「ハーグ条約」への加盟に向けて、外務大臣に、子どもの所在を把握する権限を与え…

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毎日新聞:「国の立法にはコメントはできない」としながらも、「全国的に外国人が当事者となっている。子の福祉を尊重し、適切に解決したい」松山家庭裁判所新所長、着任会見で抱負

松山家庭裁判所:「住みよい社会に」 新所長、着任会見で抱負 /愛媛

 松山家庭裁判所長に着任(先月27日付)した大谷吉史氏(63)が6日、松山市南堀端町の同家裁で記者会見し「住みよい、安心して生活できる社会にしたい」と抱負を語った。

大谷所長は少年犯罪について「全国的に若年層の人口が減っている事もあり少年事件は減少している。一方で非行の低年齢化が進んでいる。少年の再非行を防止し全体の社会の調和を図りたい」と決意を話した。

また、国際結婚が破たんした夫婦の16歳未満の子の扱いを定める「ハーグ条約」加盟へ向けた国内法が今年にも整備される動きについては、「国の立法にはコメントはできない」としながらも、「全国的に外国人が当事者となっている。子の福祉を尊重し、適切に解決したい」と話した。

石川県出身。東京地裁判事、さいたま地裁部総括判事などを歴任。趣味は硬式テニス、映画鑑賞など。座右の銘は「公平無私」。【村田拓也】

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山形新聞12月21日朝刊、提言 「親に会えない」悪影響:分離の現状 早急に是正■離婚後も子供の福祉が第一

菅内閣が今年5月、国際結婚が破綻した夫婦の子どもの処遇を定めたハーグ条約に加盟する基本方針などを閣議了解して以降、政府内に、親子に関する法律、特に離婚後の親子関係に関する法律を整備する動きがある。背景には、日本の国内法において離婚後、片方の親にのみ親権を定め、親権を持たない親(別居親)と子どもが会う権利が保障されていないことが挙げられる。

※ 記事をお読みになった方は記事の感想 (出来れば良かったとか続編希望といった励ましの感想など)を山形新聞に送って頂けると有難いです。
山形新聞連絡先:(dokusha@yamagata-np.jp, info@yamagata-np.jp, 023-622-5271)

家庭裁判所も別居親には子どもとの面会をなかなか認めない傾向にあり、そのやりようから、家庭裁判所は「親子分離機関」とやゆされることもある。父親、母親を問わず、離婚時に子どもを連れ去られてしまうと、以降は会うことすら許されず、一生生き別れになってしまうことも日本では珍しいことではない。

別居親が子どもに会いたい場合、まずは監護親に面会を求めるが、監護親が拒んだ場合は、家庭裁判所に調停(面会交流調停)を申し立てることができる。面会交流調停では、客観、中立の立場から、調停委員や調査官が両者の言い分を聞きながら解決を図ることになっている。

しかし、実情は違い、たとえ別居親にDV(家庭内暴力行為)や虐待がなく、監護親側に離婚の原因があったとしても、監護親が「会わせない」とすれ ば、それが尊重される傾向にある。別居親が子どもに会う権利、子どもが別居親に会う権利を明記した法律がないためではあるが、子どもの福祉よりも、監護親 をいかに説得するか、いかに許可してもらえるようにするかといった視点で調停は進められるのである。

調停でまとまらず、審判(裁判所が終局判断を行う)に移行したとしても、月に1、2度、1~2時間程度の面会が認められる程度であり、写真数枚を 別居親に送りさえすればいいと判断されるケースもある。すなわち、家庭裁判所においては、別居親の役割はその程度で十分であるとの認識なのである。

一方、監護親が子どもに対し、別居親と引き離す態度を取ることで、子どもの精神的不安定を引き起こす事例が多々報告されている。これはPAS(片親引き離し症候群)と呼ばれ、監護親が子どもに対して別居親の誹謗中傷を吹き込み、別居親の悪いイメージを持たせ、別居親から引き離すよう仕向けている状況を指す。PASは子どもに、さまざまな情緒的問題や対人関係上の問題を長期にわたり引き起こすことが明らかにされており、心理専門家からは虐待行為であるとの指摘もある。

われわれが山形県内で行った調査でも、別居親と引き離されている子どもは、別居親との関係が良好な子どもに比べて、自己評価や自己肯定感が低く、対人不安感が高いことが示され、欧米や日本の他地域での調査と同様の結果が得られている。

理由はどうであれ、離婚によって一番被害を受けるのは子どもである。根本的な解決には親権制度の改正が必要かもしれないが、子どもの福祉を第一に考えるのであれば、親権以前に、まずは子どもへの悪影響を最小限にとどめるにはどうすれば良いかという視点で議論し、実の親との分離を行っている現状を早急に是正する必要があるのではないだろうか。

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国際問題12月号:◎巻頭エッセイ◎家族の国際化への子の保護に関するハーグ条約の対応 / 鳥居淳子

◎ 巻頭エッセイ ◎

 家族の国際化とは

Torii Junko

http://www2.jiia.or.jp/kokusaimondai_archive/2010/2011-12_001.pdf 

家族の国際化とはどんな現象を言うのだろうか。まず、考えられるのは、異国籍 の者との婚姻や養子縁組などの身分行為による家族の国際化であろう。しかし、家 族全員が同一国籍であっても、そのなかの誰かが、商用、軍務、留学、出稼ぎ、海 外移住等で長・短期に本国以外に滞在するような場合、あるいは、戦争や内乱、災 害等で、家族が複数の国に別れ別れに住まざるをえなくなるような場合も、広い意 味で、家族が国際化する場合と言える。

国際化した家族は、複数の法制度にかかわって生活することになり、一国のそれ なりに統一的に作られた法制度の下で生活する場合には生じない不利益を被る場合 がある。そして、そのような不利益を被りやすいのは、子ども、高齢者、女性など の家族のなかの弱者、特に子どもである。国際社会は、いままでに、このような子 の保護を目的とした条約その他の国際文書を数多く作成してきた。現在、日本が批 准のための準備を進めている、ハーグ国際私法会議が 1980 年に採択した、「国際的な 子の奪取の民事上の側面に関する条約」(以下、「子の奪取条約」と言う)も、家族が 国際化した場合に子どもに生じうる不利益を可能なかぎり取り除こうとする国際文 書のひとつとして捉えることができる。

そこで、この小稿では、第 2 次世界大戦後にハーグ国際私法会議が作成した条約(以下、「ハーグ条約」と言う)が、広い意味での家族の国際化のなかに置かれた子の保護の問題にどのように対応してきたかを、きわめて大まかにみることにしたい。

子の保護に関するハーグ条常居所の重視と国家間協力の仕組みの構築

子の保護に関するハーグ条約には、子に対する扶養義務、子の監護養育および養 子縁組に関するものがある。これらの条約にみられる、子の利益保護の問題への対 応は、大きく分けて、次の 2 つであると言えるであろう。

第 1 は、準拠法および裁判管轄権の決定において、国籍よりも常居所を重視する 方向への移行による対応である。

本国法より常居所地法の重視を最初に行ったのは、1956 年の「子に対する扶養義務の準拠法に関する条約」(以下、「子扶養準拠法条約」と言う)である。同条約は、第2 次世界大戦の戦中・戦後における避難民の国際的移動や駐留外国軍人の他国への移動等により、扶養義務者である親等から事実上遺棄された状態に置かれた子の扶養問題に対処すべく作成された。同条約は扶養義務の原則的準拠法を子の常居所地法と定めたのである。このことはハーグ条約にとって画期的なことであった。それまでの身分法分野に関するハーグ条約は、すべて、当事者の本国法を原則的準拠法と定めていたからである。同条約が、子の利益保護になるとして、扶養権利者である子の常居所を連結素として採用した理由は、子の扶養の問題は、子が現実に生活する常居所地の経済的・社会的状態に密接に関連していること、子の常居所地の法の適用によってその地の公的扶養制度との調和を図ることが可能となること等である。

扶養権利者の常居所地法を原則的準拠法とする立場は、子に対する扶養も含めた親族扶養一般を対象とする 1973 年の「扶養義務の準拠法に関する条約」(以下、「扶養準拠法一般条約」と言う)でも、既存の扶養義務の準拠法に関するハーグ条約の現代化を図った 2007 年の「扶養義務の準拠法に関する議定書」(以下、「2007 年議定書」と言う)でも維持されている。

扶養義務に関する条約ばかりでなく、子の監護養育に関するハーグ条約でも原則的常居所地主義への移行がみられる。1961 年の「未成年者の保護に関する官庁の管轄権及び準拠法に関する条約」(以下、「1961 年条約」と言う)は、原則的本国主義を採る 1902 年の「未成年者の後見を規律するための条約」(以下、「1902 年後見条約」と言う)を原則的常居所地主義へ改めることを目的として作成された。同条約は、1902 年後見条約をめぐるオランダとスウェーデン間の紛争事件(「ボル事件」〔BallCase〕として知られている)につき、1958 年に国際司法裁判所が下した判決(I.C.J.Reports, 1958)を受けて作成された。この事件は、オランダ国籍の未成年者につき、その常居所地国のスウェーデンの公的機関によるスウェーデン法に従った保護教育措置が 1902 年後見条約に違反するとして、オランダがスウェーデンを訴えた事件である。国際司法裁判所は、当該措置は、私法上の後見を対象とする同条約の適用範囲外であると判示して、スウェーデンを勝訴せしめた。この事件は、子の常居所地の公的機関が、子の国籍にかかわりなく、子の保護措置をとる時代には、本国主義をとる 1902 年後見条約では、もはや対応できなくなっていることを示した。1961 年条約は、子の常居所地国の公的機関が子の保護措置に関する管轄権を有し、その国内法に従って措置することを認めた。そこには、子についてその最善の利益を適切に考慮できるのは、子の常居所地であり、その地の司法・行政機関がその国内法に従って子の保護措置をとるのが適当であるとの認識がある。しかし、1961 年条約では、なお本国の管轄を認めるなどの規定があり、常居所地国の管轄との競合問題が生じることや、国家間協力に関する規定が不十分であることなどから、同条約は、1996 年の「親責任及び子の保護措置についての管轄権、準拠法、承認、執行及び協力に関する条約」(以下、「親責任条約」と言う)により改正されている。親責任条約は、子の常居所地国の公的機関が子の保護措置につき優先的管轄権をもち、子の国籍所属国等に認められる管轄権は例外であることを明記し、管轄権を行使する国は原則として自国法を適用して保護措置をとることを定める。そして、裁判所または行政機関が関与することなく法律上直接生じる親責任の付与・行使・消滅は子の常居所地国の法律によると定め、子の常居所地主義を鮮明にしている。また、国家間協力については、後述の「中央当局制度」の採用によって1961 年条約のもつ問題点の克服に努めている。

国際養子縁組についても、常居所を管轄権決定の第 1 次的基準として取り入れた条約が作られた。1965 年の「養子縁組に関する裁判管轄、準拠法及び判決の承認に関する条約」(以下、「1965 年養子条約」と言う)がそれである。同条約の作成の背景には、次のような状況があった。第 2 次世界大戦後、交通機関の発達と相まって、戦災孤児や戦後に多く生まれた混血児など、その本国では適当な養親を見出しにくい子との国際養子縁組が、子や実母等への十分な法的・社会的保護手段を欠いたまま広範に行なわれだし、さまざまな弊害が生じていた。そこで、国際養子縁組につ

いて生じる可能性のある弊害から、子、実母、養親等の関係者を護ろうとする動きが社会事業家や法律家の間に生じていた。1965 年養子条約は、このような動きのなかで作成されたのである。条約が、子の利益保護を目指したことはその成立の経緯から明らかである。たしかに、同条約が、養子縁組の成立を認める裁判等の第 1 次的管轄権を養親の常居所地国に認めたことは、養子縁組の機会を増やすことから、子の利益になることである。しかし、縁組成立に関する管轄権を養親の常居所地国および本国に限り、管轄権を有する国の法が原則的準拠法となると定めたことは、養子の出身国にとって受け入れがたいものであった。同条約は、締約国であった 3ヵ国のすべてが廃棄したことにより、2008 年 10 月 23 日に失効している。

第 2 は、国際的環境に置かれた子の実効的かつ迅速な保護のため国家間協力の仕組みを作ることによる対応である。1980 年の子の奪取条約は、各締約国により指定された中央当局が国際協力によって不法に連れ去られた子の迅速な返還に取り組むための仕組みを構築した(以下、各締約国の中央当局が中心となって国際協力により子などの要保護者の保護を図る仕組みを「中央当局制度」と言う)。同条約作成の背景には、破綻した国際結婚の一方当事者が、国境を越えて不法に子を連れ去るという事例の増加がある。

子の奪取条約で構築された中央当局制度は、1993 年の「国際養子縁組に関する子の保護及び協力に関する条約」(以下、「1993 年養子保護条約」と言う)でも取り入れられている。同条約作成の背景には、発展途上国の子どもが養子となるために、出生率の低下した、いわゆる先進国に送られるという形態の国際養子縁組の急増という状況がある。このような養子縁組には、その背後に、子の誘拐や、養子縁組という名の下の子どもの売買、取引などの危険が潜む場合がある。同条約は、こうした危険から子どもを護るために、当事者の国籍を問わず、子がその常居所地から国境を越えて移動するような養子縁組が、締約国の中央当局の管理の下、国際協力によって行われるための手続を詳細に定め、条約に従った養子縁組の締約国間における承認の保障につき定めている。

中央当局制度は、2007 年の「子及びその他の親族の扶養料の国際的な回収に関する条約」(以下、「扶養料回収条約」と言う)でも採用されている。

2007 年の扶養料回収条約は、以下のような経緯で作成された。扶養義務に関して、ハーグ国際私法会議は、前記の 1956 年の子扶養準拠法条約および 1973 年の扶養準拠法一般条約のほか、これらの 2 条約の実効性を高めるために、それぞれ 1958 年の「子に対する扶養義務に関する判決の承認及び執行に関する条約」および 1973 年「扶養義務に関する判決の承認及び執行に関する条約」を作成したが、扶養料の回収に関する条約は作成していなかった。その理由は、扶養料の回収については、子扶養準拠法条約と同じ時代背景の下に、1956 年に国際連合により「外国における扶養料の回収に関する条約」(以下、「国連条約」と言う)が、採択されたことにある。国連条約は、扶養権利者と扶養義務者が異なる国に居住している場合の扶養権利者による扶養料の回収を、締約国間の行政協力により容易にする仕組みを作っている。

しかし、上記の 4 つのハーグ条約および 1956 年の国連条約は、それぞれ単独では子の扶養を受ける権利の保障には十分ではない等の理由から、これらの条約を包括した新しい条約の作成が要請された。これを受けて作成されたのが、2007 年の扶養料回収条約および 2007 年議定書である。同条約は、扶養料回収を求める申立人にさまざまな便宜を与えるために、締約国の中央当局が果たすべき多様な任務について詳細に規定している。

子のよりよい保護のために

以上、きわめて大雑把に検討したところからも理解されるように、第 2 次世界大 戦後、ハーグ国際私法会議は、その時々の国際社会の要請に応えて、家族の国際化 のなかに置かれた子のよりよい保護のために、新たな条約の作成、あるいは既存の 条約改正のための努力を重ねてきている。その努力は、今後ますます加速すること が予想される家族の国際化のなかで、引き続き必要とされるであろう。

とりい・じゅんこ 成城大学名誉教授/元法制審議会会長

国際問題 No. 607(2011 年 12 月)● 4

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